トシの読書日記

読書備忘録

わたし あなた 「わたしたち」

2006-11-30 19:21:46 | や行の作家
山田太一「飛ぶ夢をしばらく見ない」読了。

最近、乱読気味です(笑)

以前、同作家の「君を見上げて」を読み、なかなかいいじゃんと思ったので、手にとった次第。

孤独をかこっていた男と、時間の流れに逆行して生きる女との愛の物語。

時間に逆らうというのは、彼女は、男に会う度に若返っていくんですね。でも、その若返り方が尋常じゃない。最初の出会いは、60代後半の老女、次が40代前半、その次が30になるかならぬかといった年頃、その後は20代半ば、それから12、3歳の少女、最後は4、5歳の幼女といった具合。

何故、そんなふうになってしまうのかという、答は示されていない。新聞の記事で、中国で50代の男性が どんどん若返ってしまうという、原因不明の病気のこととか、宇宙は今、ビッグバン以降、広がりつつあるが、それが終わると宇宙は収縮を始め、時間の向きは逆転するという、S・ホーキング氏の講演とか、それを示唆するものは、あるにはあるが、だからという明確なことは書いてない。

でも、この小説で味わうべきは、そんな不可思議なことではなく、最後は消えてなくなってしまうとお互いが暗黙のうちにわかっていながら、ただ逢瀬を重ねるしかない二人の哀しみであると思う。

一見、荒唐無稽な話なのだが、それに気をとられることなく、男と女の切ない情を読み取らねばと思った次第です。

悪意の裏

2006-11-29 20:21:32 | か行の作家
桐野夏生「アンボス・ムンドス」読了

表題作を含む7編が収められた短編集。

いつ読むかわからないようなこと言ったのに、気になってすぐ読んでしまいました(笑)

この作家は、女性の「悪意」とか、容姿に対する根深い「コンプレックス」とかいうものを、これでもかいうくらい執拗に書いている。ちょっとぞっとするくらいです(苦笑)

「浮島の森」というのだけ、ちょっと毛色の変わった話だったが、それ以外は楽しめました。



三崎亜記「バスジャック」読了

これも、7編からなる短編集。

「二階扉をつけてください」と「バスジャック」は、筒井康隆の初期のドタバタSFみたいで、なんだかなぁと(笑)筒井康隆のそれは、結構好きなんですが。

日常の中に、音もなくすべり込んでくる非日常とでもいうシチュエーションが多いのだが、上記2作以外は、なかなか楽しめました。「動物園」「送りの夏」がよかった。



重松清「きよしこ」読了

この作家は、以前「ビタミンF」を読んで、嫌悪感を持ったんですが、ブログのK氏が誉めてるので、気になって読んでみた次第。

吃音(どもり)の少年の小1から高3までの12年間を描いた物語。

作家の名前とタイトルが重なるように、自身のことを基に創作したのだと思われる。
すごくいい話なんです。すごく泣けます。でも、素直に「いい作品」とは言えないんです。私としては。前の川上弘美「真鶴」から一歩も進歩してませんね(笑)この小説の向こうに「あざとい感じ」が見え隠れするんです。

もっと素直にならなきゃなぁと思う晩秋の夕暮れでした(笑)

(写)悪意の裏

2006-11-29 20:00:00 | さ行の作家
桐野夏生「アンボス・ムンドス」読了

表題作を含む7編が収められた短編集。

いつ読むかわからないようなこと言ったのに、気になってすぐ読んでしまいました(笑)

この作家は、女性の「悪意」とか、容姿に対する根深い「コンプレックス」とかいうものを、これでもかいうくらい執拗に書いている。ちょっとぞっとするくらいです(苦笑)

「浮島の森」というのだけ、ちょっと毛色の変わった話だったが、それ以外は楽しめました。



三崎亜記「バスジャック」読了

これも、7編からなる短編集。

「二階扉をつけてください」と「バスジャック」は、筒井康隆の初期のドタバタSFみたいで、なんだかなぁと(笑)筒井康隆のそれは、結構好きなんですが。

日常の中に、音もなくすべり込んでくる非日常とでもいうシチュエーションが多いのだが、上記2作以外は、なかなか楽しめました。「動物園」「送りの夏」がよかった。



重松清「きよしこ」読了

この作家は、以前「ビタミンF」を読んで、嫌悪感を持ったんですが、ブログのK氏が誉めてるので、気になって読んでみた次第。

吃音(どもり)の少年の小1から高3までの12年間を描いた物語。

作家の名前とタイトルが重なるように、自身のことを基に創作したのだと思われる。
すごくいい話なんです。すごく泣けます。でも、素直に「いい作品」とは言えないんです。私としては。前の川上弘美「真鶴」から一歩も進歩してませんね(笑)この小説の向こうに「あざとい感じ」が見え隠れするんです。

もっと素直にならなきゃなぁと思う晩秋の夕暮れでした(笑)

海に漂う濃密な空気

2006-11-25 18:12:56 | か行の作家
川上弘美「真鶴」読了

久しぶりに味わった川上弘美の世界。川上弘美は、その作風から三つの時期に分けられると思う。

「神様」「溺レル」「物語が、始まる」に代表される、初期の作品集。そして「センセイの鞄」「古道具中野商店」の中期、それからこの「真鶴」・・・・。

読みながら考えた。これは、川上弘美の内から湧き出てくる芸術性の発露なのか、それとも、「こんな感じで書いたら受けるのよね~」みたいな計算ずくなのか。

前者ならすごいと思い、後者なら許せんなぁと思っていたのだが、読み終わってそんなこと、どっちでもいいやって気持になった(笑)

昔から思っていることなのだが、芸術というのは絵画にしろ、音楽にしろ、文学にしろ、作者の内面からあふれ出てくるものが形になり、それを見たり、聴いたり、読んだりする人が感銘を覚えるかどうかであって、決して受け手に阿って自分の内面を曲げてはならないと信じていた。

でも、この小説を読んで、そんなケツの青いガキのようなこと言っててもなぁなんて思った次第(笑)どっちでもいいんです。そんなことは。経緯はどうあれ、自分の心に響けばそれがいい作品なんだと、この「真鶴」を読んで目からウロコが落ちた思いがした。

今回は、作品の内容に全然ふれてなくてすみません(って誰に謝ってんだ? 笑)



そして桐野夏生「OUT」読了

いわゆるクライムノベル(犯罪小説)というもので、自分はミステリーとか、こういった類いの本は、まず読まないのだが、なんでだろう・・・手にとってしまいました(笑)

長編なので(二段組で447ページ!)途中で挫折するかと思ったけど、おもしろいですねぇ。一気に読んでしまいました。

弁当工場で働く主婦雅子の仕事仲間の弥生が、自分の旦那を絞殺したところから話が動き出す。その死体を雅子の家の風呂場で解体し、バラバラにしていくつかのゴミ袋に分けて入れ、3人で手分けして捨てるのだが、いい加減な性格の邦子が捨てた死体が発見されてアシがつく。
警察の捜査にはなんとかうまくごまかすのだが、ちょっとした綻びから街金の十文字とバカラ賭博のオーナー佐竹がそれを嗅ぎつける。
この佐竹がすごい。時間と人と金を使って、その犯罪の確信を得ると、まず邦子を殺す。
そうして雅子に恐怖を味あわせてじわじわと雅子を追い込んでいく。
最後、雅子は佐竹に犯されながら殺されそうになるのだが、死体解体に使っていた手術用のメスで逆に佐竹を殺す。
雅子は、抜け殻になったような状態で、海外へ行くことをぼんやりと決意する。

とまぁ、こんなストーリーなのですが、読み物としてはおもしろかったです。

でも、それだけじゃなく、佐竹の暗い過去に秘められた心の淵、雅子の目に、昔殺した女と同じものを見た佐竹の思いに人間の業という、やるせない思いを感じました。

桐野夏生は、もう1冊、「アンボス・ムンドス」という短編集があるので読んでみたいです。(っていつになるかわかりませんが 笑)

死は敗北ではない

2006-11-20 20:10:25 | た行の作家
辻仁成「白仏」読了

著者の祖父、今村豊をモデルにした、セミ・ドキュメント。

全編に、逃れることのできない死に対する不安というものが流れているのだが、不思議に暗い気持にならないのは、主人公である稔の、生きていく積極的な姿勢を強く感じるからである。

稔は、様々な体験を通して生きることの意味を模索する。答えは示されていない。文中の言葉を借りるなら、「絶対に見つからない答え。決してたどり着くことのできない真理。どんなに悩んでも安心を得ることのできない納得。つまり答えなど最初からないのだった。何故だろうと疑問を抱きつづけることが生そのものなのではないか。」

読みながら、中島義道の一連の本を思い出していた。「どうせ死んでしまうのに、何故そんなにみんな一所懸命生きようとするのか。」

しかし、「白仏」の稔は、生きることにあくまでポジティブである。中島義道がネガティブというわけではないが。

物語が、生と死だけでなく、様々な愛というものにも話が及んでいて、とても簡単には感想を語りつくせない。

深く心に残ったのは、稔は少年時代に愛した(憧れた?)緒永久に対する思いをずっと抱き続け、それはヌエと結婚してもその気持は変わらないのだが、それは夫婦愛とはまた違う次元の愛であり、読み手の心にそれがストレートに伝わってきた。

いずれまた再読して、生きていくことの本当の意味をもう一度、じっくり考えてみたいと思う。



筒井康隆「日本以外全部沈没」読了

先に読んだ本から、またなんでこんなのを選ぶんでしょうかね(笑)

おととい、エリック・クラプトンの公演があり、行き帰りに読む本を捜していて、時間がなかったので適当に抜き出したという次第です。

少し前に、小松左京原作の「日本沈没」のリメイクが公開されていたが、これは、そのパロディ。で、これも映画公開されるようなんですね。というか、されてる最中で、さっきネットで調べたら、名古屋は終わってました。見たい気もするんですが、岐阜(大垣)で今やってるようです。行くほうに気持が傾きつつあります(笑)

タイトル作を含む、11編が収められている短編集。1962年~1976年に書かれたものということで、今から30~40年前のSFということになる。

全然色あせてないんですね。これが。発想が奇想天外、奇妙奇天烈、魑魅魍魎、摩訶不思議。おもしろいのなんのって、もうね、たまりません(笑)

こんなことあり得ないと思わせながら、強引に引っ張っていけるのは、一見でたらめに見えるストーリーの細部が、意外に綿密な裏打ちがあったりするからなんですね。

文句なく楽しめました。

無頼にして市民

2006-11-12 02:37:59 | や行の作家
山口瞳 男性自身シリーズ「巨人ファン善人説」読了。

このブログを初めて3ヶ月が経つが、山口瞳が登場するのは初めてである。

なにをかくそう、私、山口瞳の大ファンなのです(苦笑)
今、書棚にある山口瞳の本を数えたら、61冊ありました(笑)人に差し上げたものもあるので、70冊くらいは読んでいるものと思われます。

しばらく山口瞳から遠ざかっていたので、ここらで読まねば、と思って手にとった次第です。

本書は、週刊新潮に連載していた男性自身シリーズのひとつで、このシリーズにはずれはないですねぇ。というか、山口瞳の小説、エッセイ、すべていいんです。

山口瞳・・・一言でいえばタイトルに表されると思われます。とにかく、まっすぐなんです。読むと姿勢が正される思いがします。

これからも、定期的に読まねばと思った秋の夜更けでした。


今日は仕事を休んで、ひがな読書。買い物に出たついでに本屋へ寄る。

購入本

小川洋子「アンネ・フランクの記憶」
久世光彦「むかし卓袱台があったころ」
嵐山光三郎「寿司問答 江戸前の真髄」
筒井康隆「日本以外全部沈没」
泉麻人「ありえなくない。」

「アンネ・フランク・・・」は、「犬のしっぽを撫でながら」を読んで、欲しいと思っていたのをやっと見つけて。
「むかし卓袱台・・・」は、なんと、書店員にすすめられて買いました(笑)
「寿司問答・・・」は、山口瞳つながりということで。
「ありえなくない。」は、なんとなく買ってしまうんですね(笑)泉麻人。

未読本がたまる一方です(苦笑)

海からの贈り物

2006-11-08 18:43:35 | あ行の作家
小川洋子「海」読了。

2001年から2006年の間に文芸誌に書かれたものを7編収めた短編集。
「博士の愛した数式」の前後に書かれたものということだが、小川洋子の作品は、「博士の愛した数式」を境として作風が大きく変わっている。

自分としては、断然「博士の・・・」以前の方が好きなのだが、この短編集もやはり「博士」以前と以後に分類することができる。

「バタフライ和文タイプ事務所」。これが一番よかった。「薬指の標本」、「ホテル・アイリス」を彷彿とさせる妖しい世界。医大の学院生の原稿をタイプするために打つ生殖器関係の文字群が、一種独特のグロテスクな雰囲気を作るのだが、これが小川洋子の手にかかると、えもいわれぬエロティックな世界になるのだ。

あと、「海」、「風薫るウィーンの旅六日間」、「ガイド」も秀逸であった。

キング・クリムゾンの夜

2006-11-06 02:37:50 | あ行の作家
さっき、知りたい本の題名を見るために、他のサイトを開いて、戻ってきたらここが全部消えてしまっていた(苦笑)

ほとんど書き終わっていたのに・・・

改めて同じことを思い出して書くパワーがないので、簡単に・・・。

昨日、映画「薬指の標本」を観る。
かなり原作に忠実で、それなりにおもしろかった。

帰りに本屋へ。

購入本
小川洋子「海」
小川洋子「深き心の底より」
サイモン・シン「フェルマーの最終定理」
レイモン・クノー「地下鉄のザジ」

それぞれの本についてのコメントは、省略します。疲れました(笑)

行き返りの電車で糸糸山秋子「イッツ・オンリー・トーク」読了。

初めて糸糸山秋子を読んだのなら、きっとびっくりしたかも知れないが、「袋小路の男」「沖で待つ」「逃亡くそたわけ」を読んだ身としては、免疫ができてます(笑)それなりにおもしろかった。
この文庫には「第7障害」というのも併載されていて、こっちのほうがおもしろかった。

なんだか不完全燃焼で、もやもやしてますが(笑)もう、こんな失敗はすまいと固く心に誓った夜でした(笑)

果てしない迷路

2006-11-04 11:53:34 | あ行の作家
井上荒野「もう切るわ」読了。

やっぱり気になってすぐ読んでしまいました(笑)

読んでよかった! これです!井上荒野は、こうでなくっちゃ。

小暮歳という男とその妻硝子、そしてその愛人私市葉。

物語は、硝子(「私」)と葉(「あたし」)が、かわるがわる一人称で語る展開になっている。最初、その構成がよくわからず、話についていけなかったのだが、読むうちにだんだんわかってきて、読み終えたあと、もう一回ゆっくり読み返したわけです。

葉の「歳さん」に対するせつない思いが荒野流に見事に描かれている。そして妻である硝子の夫に対する思い。また硝子は、西口という男とも通じているのである。歳と別れて西口と一緒になろうとは、本気では思ってないのだと思うのだけど、どうなのか、そこのところはあえて曖昧に書かれている。

解説で、角田光代も書いてたけど、出てくる場所の描写が、他の作家にはない特異な書き方なんです。というか、緻密な描写が一切ない。そんなものはどうでもいい、勝手に想像してくれと言わんばかりに。で、読み手としては想像するわけです。そうしてそこで繰り広げられる男と女の会話を読むと、妙なリアリティを伴ってこちらに迫ってくるんですね。

この作家の小説に流れるなんともいえない空気を、角田光代は、解説の最後でこう締めくくっている。「・・・・・この人の書く世界に、常識は通用しないのだ。常識だと私たちが思いこんでいることどもを、この作家はことごとく壊しにかかる。そうして私たちは知るのである。生きていくことや、だれかを愛することは、いつだって常識の外にあるのだという真実を。」

まったくそのとおりとまでは思わないが、かなり井上荒野の作風を言い当てていると思う。

ともあれ、井上荒野らしい、「ざわっとした」空気を感じさせてくれた佳作でした。