倉橋由美子「偏愛文学館」読了
前回の「あたりまえのこと」という小説論を読んだからには、流れとして当然本書に帰結すると思います。倉橋由美子の「おすすめ本」が38冊紹介されています。
しかし偏屈な人ですね。世間一般に言われている大作、名作など見向きもせず、ちょっと変わった(?)本ばかり紹介しています。しかしさすがに夏目漱石、谷崎潤一郎、森鴎外、内田百などは、はずしていません。外国の作家の作品もたくさん出ているんですが、恥ずかしながら知らない人ばかりです。これを読んで、読みたい本のリストをあとに記しますが、倉橋由美子が、いかにひねくれた人であるかというのをちょっと引用します。
<作家のプロとしての力量を知るには短編を読むのが一番です。それに読んで楽しく、冴えた料理のように味わえる小説といえば短編に限ります。(中略)生涯かけて長大な小説を書くというのは、何かを創造することが暇つぶしであるような神様か、稼がなくてもよい貴族の御曹司が、大富豪か、あるいは泥をこねて遊んでいられる子供のすることでしょう。>
<私の言う偏愛の条件にはいろいろありますが、形式的なことをあげてみると、それはまず再読できるということです。(中略)再読できないものにダメな小説があります。これは本当にダメな小説で、文章がひどすぎたり、話が徹底的につまらなかったりして、読んでも頭に入らないものがそれです。>
<自分の弱さを克服し、ボディビルで筋肉をつけるようにして弱さを覆い固めてしまった三島流よりも、弱さを露呈してピエロを演じた太宰流が若い人には受けるということでしょうか。>
なかなか食えないおばさんです。
澁澤龍彦「高丘親王航海記」
吉田健一「金沢」
イーヴリンウォー「ブライツヘッドふたたび」
壺井栄「二十四の瞳」
トーマス・マン「魔の山」
サマセット・モーム「コスモポリタンズ」
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます