トシの読書日記

読書備忘録

2011年を総括する

2011-12-29 17:21:21 | Weblog
今年も残すところあと3日。今年読んだ本を振り返ってみようと思います。


読んだ本は全部で85冊。買った本は38冊でした。秋に約1200冊あった本を800冊に減らしたのが、今年の最大のイベントでありました。以下に今年のベスト24を列挙します。



<1>  レイモンド・カーヴァー著 村上春樹訳「象」
<2>  深沢七郎「楢山節考」
<3>  坂口安吾「肝臓先生」
<4>  谷崎潤一郎「春琴抄」
<5>  伊藤比呂美「日本ノ霊異(フシギ)ナ話」 
<6>  小池昌代「怪訝(けげん)山」
<7>  エイモス・チュツオーラ著 土屋哲訳「やし酒飲み」
<8>  幸田文「流れる」
<9>  谷崎潤一郎「細雪」
<10> 平出隆「猫の客」
<11> レイモンド・カーヴァー著 村上春樹訳「必要になったら電話をかけて」
<12> 辻原登「家族写真」
<13> いしいしんじ「みずうみ」
<14> 林芙美子「放浪記」
<15> 永井荷風「濹東綺譚(ぼくとうきたん)」
<16> アゴタ・クリストフ著 堀茂樹訳「悪童日記」
<17> 曲亭馬琴著 石川博編「南総里見八犬伝」
<18> 松浦寿輝「もののたはむれ」
<19> 尾崎紅葉「金色夜叉」
<20> ジョン・アーヴィング著 村上春樹訳「熊を放つ」
<21> レイモン・クノー著 生田耕作訳「地下鉄のザジ」
<22> カズオ・イシグロ著 堀政雄訳「夜想曲集」
<23> 中上健次「日輪の翼」
<24> ポール・オースター著 柴田元幸訳「鍵のかかった部屋」



とまぁこんな感じであります。例によって11位以下あたりからは、順不同です。


去年、書店で発見したカーヴァーに、今年もずっと魅せられておりました。それと、日本の古典とまではいかない、大正、昭和初期の文学にも親しむことができたのは大きな収穫でした。谷崎しかり、林芙美子しかり、荷風しかりであります。


来年は、とりあえず一人の作家を追って、集中して読む予定もないので、まぁ気楽にぼちぼちいこうと思っております。来年も充実した読書生活が過ごせますように。

12月のまとめ

2011-12-29 17:13:09 | Weblog
今月読んだ本は以下の通り



曲亭馬琴著 石川博編「南総里見八犬伝」
エイモス・チュツオーラ著 土屋哲訳「やし酒飲み」
目取真俊「虹の鳥」
河野多恵子「臍(へそ)の緒は妙薬」
松浦寿輝「もののたはむれ」
ポール・オースター著 柴田元幸訳「鍵のかかった部屋」
山崎ナオコーラ「手」



以上の7冊でありました。なんといってもチュツオーラの「やし酒飲み」でしたね。ほんと、びっくりしました。今月も、そこそこ楽しめました。

自分を客観視する醒めた目

2011-12-21 17:19:21 | や行の作家
山崎ナオコーラ「手」読了



「ブ」で100円で出ていたのでなんとなく買ってみました。


なんだかなぁですね。軽い。あまりにも軽すぎ!


26才だか27才のOLが主人公なんですが、なんていうこともない子なんですね。10時半の出社なのに遅刻ばっかりしてるし、仕事もミスばかり、おまけに仕事が遅いので、自分の担当の仕事が終業時間に終わらなくて残業ばっかりやってるし、食事は、いつも一人、自分のデスクで昼はコンビニのサンドイッチ、夜はカップラーメン…。


そんな子なんですが、同じ会社の一つ上の男とつき合い始めるんですが、その男に彼女がいることも知っている。だから長続きはしないってことも承知してると。まぁそんな感じでだらだらと話が続いていくんですが、なんだか読んでてだんだん不快な気分になってくるんです。なんでかはよくわからないんですが。


今、自分のブログを見て、この作家の「浮世でランチ」ってのを読んで、この作家はつまらんみたいなこと自分で言ってました。懲りないっすねぇ…(苦笑)

あらゆる書物は孤独の象徴である

2011-12-21 16:45:26 | あ行の作家
ポール・オースター著 柴田元幸訳 「鍵のかかった部屋」読了



今まで、オースターの本は何冊か読んできたんですが、例えば「幻影の書」「最後の物たちの国で」等。しかし、本書はそれらの作品とは全く趣を異にしている内容で、これが同じ作家の作品かと、ちょっと驚かされました。


テーマが実に深い。ちょっとうまく感想が書けません。「孤独」ということなんでしょうが。


主人公の「僕」と幼なじみのファンショー。そのファンショーとは高校生くらいを境にしてずっと疎遠になってしまうのだが、何年も経ったある日、突然そのファンショーの妻と名のる女性から手紙が届く。夫であるファンショーが何ヶ月も前から失踪している。ついては一度お目にかかりたいと。


ここから物語は始まっていくんですが、息をもつかせぬ展開で、読む者をぐいぐい引っ張っていく筆力は相当なものです。しかし、内容はというと、なかなか手強いものがあります。


「僕」がファンショーの姿を思い描く場面、ちょっと引用します。

<だが僕の頭はいつも、ひとつの空間を浮かび上がらせるだけだった。せいぜい出てくるとしても、あるごく貧しい情景にすぎなかった――鍵のかかった部屋のドア、それだけだった。ファンショーは一人でその部屋の中にいて、神秘的な孤独に耐えている。(中略)いまや僕は理解した。この部屋が僕の頭蓋骨の内側にあるのだということを。>


作中に何度も出てくる「僕」の独白。非常に理解しづらいです。何度読んでもなかなか頭に入っていかなくて苦労しました。


<「読む」という行為は、他人(作者)の孤独の中に入り込んで、その孤独を自分のものにする。>  

であるとか、


<「読む」ことを通して、人はたえず自らの幽霊を産出し、自らを他者の幽霊に仕立て上げている。したがって、ある瞬間に、一人でいると同時に一人でいないということは可能なのだ。>

どうですか、これ。



素晴らしい作品であることは間違いないんですが、自分の頭のレベルが追い付いていないのが悔しいですね。


ストーリーじたいはすごく面白かっただけに、自分が歯がゆいです。残念。

途惑いと陶酔

2011-12-14 16:45:59 | ま行の作家
松浦寿輝「もののたはむれ」読了



以前、「あやめ 鰈 ひかがみ」という短編集に強烈な印象を受けた同作家の処女短編集です。


一種独特の世界ですね。幻想文学とでも形容したらいいんでしょうか。いわゆる「夢か現かまぼろしか」といった世界が広がり、一瞬身の毛がよだつような結末があったり、かなりエロチックな、それこそ陶酔の場面があったりと、読む者をあきさせません。一番印象に残ったのは、最初に収められている「胡蝶骨」です。


東京の赤羽あたりに出かけて仕事を終えた主人公が、そのまままっすぐ帰る気にもなれず、ぶらぶら歩いているうちに一軒の古道具屋を見つける。なんの気なしに入ったその店で、彼は小さな象牙の蛇を買う。そろそろ帰ろうと駅の方角を目指すのだが、道に迷ってしまったようで、なかなか駅にたどり着けない。仕方なくさっきの古道具屋へ戻ってそこの主人に道をたずねるのだが、一向に要領を得ない。困惑していると、店の奥から和服の女性が出てきて駅まで案内すると言う。言われるままに着いて行くと、やがて駅に着くのだが、女も当然のように電車に乗り込む。このあたりから物語は、なんとも不思議な空気に包まれてくるわけです。


結局、この男はその和服の女と電車のシートの上で性交するんですが、窓は閉まっているはずなのに、折から降ってきた雨に二人はずぶ濡れになりながらセックスをするんです。そして、走っているはずの電車もいつの間にか止まっているようだし、そもそも二人は電車に乗っているのかどうかさえよくわからなくなり、もしかして自分達は降りしきる雨の中、野外の草むらの上で交わっているのではないかという疑問がわいてくる…。



とまぁこんなあらすじなんですが、これはあれですね。内田百間の世界ですね。吉田健一の小説にもこんなのがあったような気がします。しかし、この作家はそれらの大先輩の決して二番煎じではない、なんというか、きらめくものがあります。そこがすごい。


また折があったら最近の小説も読んでみたいところです。




蛇足ですが、解説の三浦雅士。知った風なことをこむずかしく並べ立て、陳腐な美辞麗句を連ねて得意になっている。こういう解説が一番たちが悪い! 最低です。

非常識な常識

2011-12-09 16:30:53 | か行の作家
河野多恵子「臍(へそ)の緒は妙薬」読了




たまにはまとも(?)な小説を読もうと、未読本の棚から手に取ってみたのでした。


やっぱりいいですね。河野多恵子、倉橋由美子、大庭みな子、富岡多恵子といった、いわゆる昭和の女流文学者たちの小説は、安心して読むことができます。


四つの作品が収められた短編集です。どれも中年(40代)の女性が主人公になっていて、十分に分別をそなえた女性の中に、じょじょに少し常識の範疇からはみ出しかけた欲望がうずまき、ついにはそれを決行したり決行しなかったりと、河野多恵子の華麗な筆さばきに酔いながら、どきどきしながら読み終えました。


いやぁうまいもんです。こういうのを手練れの技と言うんでしょうかね。堪能しました。

閉塞のオキナワ

2011-12-09 16:10:41 | ま行の作家
目取真俊「虹の鳥」読了



少し前に新聞の書評で紹介されていて、興味がわいて買ってきたのでした。


めどるま しゅん と読みます。沖縄の作家です。1960年生まれといいますから、もう50代なんですね。何の予備知識もなく読んだんですが、もっともっと若い、30代くらいの作家のイメージでした。のっけからすごい暴力シーンがあり、よっぽど読むのをやめようかと思ったんですが、なんとか耐えて読み終えました。


リンチ、私刑、売春、恐喝と、いわゆる「裏社会」の醜いところをこれでもかとえぐり出し、そこに沖縄の基地問題をからみ合わせた、という印象です。


中学に入学した主人公のカツヤが不良グループのリーダーである比嘉にいじめぬかれ、屈服し、卒業後も比嘉の手下になり、比嘉に回された女(マユ)を使って売春させ、またそれをネタに客をゆする。


読後、ネットで少し見たんですが、ある新聞の書評に、比嘉はアメリカ、カツヤは日本、マユは沖縄のメタファーであると、そんな記事があったそうです。なるほどですねぇ。


しかし、作中にあるように、沖縄県民は、アメリカのことは、もちろん決して良くは言わないんですが、アメリカの基地のおかげで仕事があり、それで生計を立てている人も大勢いるわけでそこらへんの屈折した心情が、この小説の深いテーマであると思ったわけです。


いろいろと考えさせられました。しかし、尿道にマッチの軸を差し込んで、それに火をつけたり、女の爪をナイフで削ぎ取ったりというシーンを読むのは、かなりつらかったです。根が小心者ですから(笑)

ただ、カオスを傍観する

2011-12-09 15:49:58 | た行の作家
エイモス・チュツオーラ著 土屋哲訳「やし酒飲み」読了



アフリカ文学です。姉が貸してくれたんですが、著者はアフリカのナイジェリア出身とのこと。とにかく、アフリカ人の作家の小説は、初体験でした。


一読、目まいがしましたね。いろんな意味ですごい本です。冒頭を引用します。


<わたしは、十になった子供の頃から、やし酒飲みだった。わたしの生活は、やし酒を飲むこと以外には何もすることのない毎日でした。当時は、タカラ貝だけが貨幣として通用していたので、どんなものでも安く手に入り、おまけに父は町一番の大金持ちでした。>


小学生のとき、文章を書くとき、「です・ます」体と「だ・である」体とがあって、必ずどちらかに統一して書くのが基本中の基本であると教わったんですが、それを平気で無視したこの文章に、まずがつんとやられました。それにしても英語の原文を訳者の土屋氏は、こんな風に訳したという、そのチャレンジ精神に脱帽します。


内容はというと、裕福な家に生まれ育った主人公が、自分のお抱えのヤシ酒造りの名人が亡くなってしまい、その男を捜しに「死者の町」へ旅する道中の奇想天外なお話であります。

読んでて、これって町田康の「宿屋めぐり」じゃんと思いましたね。発表はこの「やし酒飲み」の方がずっと早いので、町田康は、この小説にインスパイアされて「宿屋めぐり」を書いたのでは、と推察されます。


まぁ、そんなことはどうでもいいんですが、この小説では、さっきの文体もそうなんですが、死者と生者、動物と人間、夜と昼、そういった相対するものが、なんかもう混沌として、一種のカオスになってしまっているんですね。めまいがする所以であります。


こんな小説もあるんですね。すごい体験をしました。いや、おもしろかったです。

血沸き肉踊る大活劇

2011-12-05 16:14:20 | か行の作家
曲亭馬琴著 石川博編「南総里見八犬伝」読了



「八犬伝」といえば知らぬ者はないくらいの江戸時代の名著であります。本書を読むまでまったく知らなかったんですが、この小説は、日本の古典中、最長の作品ということで、全106冊、あの長い物語といわれる「源氏物語」の2倍以上といいますからびっくりします。今回選んだのは、角川ソフィア文庫のビギナーズ・クラシックス日本の古典というシリーズで、この長い長い物語を、29のクライマックスとあらすじにまとめたもので、まぁダイジェスト版といったものです。


いや、面白かったです。読んで思ったのは、この小説は儒教の教えを内容にかなり反映させているということ。伏姫のお腹から飛び出した八つの玉、すなわち「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」の文字を刻んだ玉が八人の剣士を導くようにして次第に集まり、ついには八剣士が揃い、里見家のために戦うという、典型的な勧善懲悪の物語であります。


ラストの場面が印象的でした。悪者を懲らしめて、里見家とその地域に平和が訪れると、八人の剣士は、忽然と姿を消してしまうんですね。勧善懲悪という思想が目指す世界は、悪人のいない世界なのであって、それが達成できたということは、この八剣士はこの世に必要ないということなんでしょう。


子供のころにNHKでやっていた「新八犬伝」の辻村ジュサブローの人形がなつかしく思い出されます。