トシの読書日記

読書備忘録

5月のまとめ

2011-05-31 17:16:00 | Weblog
今、読みかけの本が今日中に読み終わりそうにないので、まとめてみます。


今月読んだ本は以下の通り



原田康子「蝋涙」
万城目学「プリンセス・トヨトミ」
尾崎紅葉「金色夜叉」
佐野洋子「シズコさん」
平出隆「猫の客」
井上靖「あすなろ物語」
深沢七郎「楢山節考」
林芙美子「放浪記」
佐藤隆介「池波正太郎の食卓」



以上9冊でありました。


今月は、なんといっても「楢山節考」ですね。ほんと、衝撃を受けました。また、平出隆という、素晴らしい作家に出会えたのも大きな収穫でした。姉に感謝、感謝です。「金色夜叉」も面白かったし、「放浪記」もすごい作品だったし、「プリンセス・トヨトミ」も相変わらずだし、今月も充実した読書ができました。

「細雪」を読もうとは思っているんですが、とにかく分厚すぎて、持って歩くにはちょっと大変なんですね。(上)(中)(下)の三つに分かれている文庫もあるんで、そっちにしておけばよかったと、今さらながら後悔しております(苦笑)

「食通」ではなく「食道楽」の人

2011-05-31 16:53:24 | さ行の作家
佐藤隆介「池波正太郎の食卓」読了



ちょっと重いものが続いたので、肩のこらないのを選んでみました。


池波正太郎が生前こよなく愛した店の料理を、自称「通いの書生」こと佐藤隆介が、それらを季節ごとに紹介し、実際に料理人に作ってもらって食べ、その感想、写真、レシピまでつけたという1冊であります。そして、その料理が、どのエッセイのどのあたりに出ているかを、そのつど紹介していくという念の入れようで、読んで面白く、また作って食べても良しという、まことに贅沢な本です。


ホットケーキにカリカリのベーコンを乗せたものやら、平目のすり身を混ぜ込んだ鰯のつみれのおでんやら、紙のように薄く叩きのばしてカリッと焼いたポーク・カツレツやら、読んでいて生唾が出てちょっと困りましたね。


この本の中から、何か一品、かみさんに作らせてみましょう。あ、自分で作るかな(笑)

どこへも行き場のない放浪

2011-05-31 16:22:54 | は行の作家
林芙美子「放浪記」読了



恥ずかしながら、林芙美子を読むのは初めてであります。著者自身の自叙伝とでもいうべき作品で、大正11年から5年間にわたって、著者がノートに書き付けた日記風の文章をまとめたものです。大正11年といえば林芙美子が19才。若き日々の生活を綴ったものです。


自分のイメージとしては、代表作「浮雲」等で、押しも押されぬ大女流作家という風に思っていたんですが、それは昭和20年頃の話であって、若い頃は大変な苦労をしていたんですねぇ。


当時、林芙美子は、詩、童話等を書いては出版社へ、いわゆる「持ち込み」という形で売り込みに行っていたんですが、ほとんど相手にされず、書くだけでは食べていけないので、カフェーの女給、あるいはお屋敷の女中等、職を転々としながら、相当な貧困にあえいでいたんですね。


作中のいたるところに「お金がない」「御飯をお腹一杯食べたい」等の記述が見られます。苦しい生活に目をみはる思いで読んでいたんですが、そんな話が延々と続くので、最後の方はちょっと食傷気味でありました。(笑)


しかし、詩は素晴らしいものがたくさんあります。言葉の選び方がすごい。ひとつ書きとめておきます。



肥満(ふと)った月が消えた
悪魔にさらわれて行った
帽子も脱がずにみんな空を見た。
指をなめる者。
パイプを咥(くわ)えるもの
声を挙げる子供たち
暗い空に風が唸(うな)る。


咽喉笛(のどぶえ)に孤独の咳(せき)が鳴る
鍛冶屋(かじや)が火を燃やす
月は何処かへ消えて行った。
匙(さじ)のような霰(あられ)が降る
啀(いが)みあいが始まる。


賭(か)け金で月を探しに行く
何処かの暖炉(だんろ)に月が放り込まれた
人々はそう云って騒ぐ。
そうして、何時(いつ)の間にか
人間どもは月も忘れて生きている。




貧しい生活ながら、自分の生きていく道をまっすぐに見すえ、よろけながらも自分を信じて歩んでいく林芙美子の姿に感銘を受けました。この一念があったればこそ、40代で、ついに開花する人生であったわけですね。


凄絶な20代を送った林芙美子、とてつもない作家がいたもんです。他の作品(「浮雲」とか)も読んでみます。

アンチ・ヒューマニズムと「愛」

2011-05-31 15:53:21 | は行の作家
深沢七郎「楢山節考」読了



ずっと探していた本書を、名古屋・栄の「ブ」でついに発見しました。まぁ、ネットを利用すればすぐ手に入るんですが、本好きとしては、本屋でたくさんの本の中から見つけたいという心理があるわけです。


しかしこれはすごい小説です。あの車谷長吉をして、自分の生涯読んだ本の中で三本の指に入ると言わしめただけある、かなり衝撃的な内容です。



姥捨(うばすて)――信州の奥深い山村に伝わる厳しい掟。これに材を取った本書はテーマは、やはり「愛」ということになるんでしょうか。齢70になろうとするおりんは、早く山へ行かねばと、いつもその時のことを考えるのだが、息子の辰平は、なかなか母を背負って山へ行く踏ん切りがつかない。しかし、暮も押し詰まった寒い夜、ついにそれは決行されるわけです。


母を背板に乗せて楢山へ登っていく様は、鬼気迫るものがあります。頂上近くに母を降ろし、辰平が山を下っていくとき、雪が降ってきます。山への行き帰りには決して一言も口をきいてはならない、帰るときは絶対後ろを振り向いてはならない。辰平は、そういった山の掟を破って母の元へと走っていきます。


「おっかぁ、雪が降ってきたよう」母が以前、自分が山へ行くときはきっと雪が降る、そう言っていたのを思い出したのです。辰平は、母にそのことを言いたくてたまらず、山の頂上へ走って行ったのです。「おっかぁ、ふんとに雪が降ったなァ」このあたりのシーン、本当に感動的です。



母を背負って山へ捨てに行くという、この情容赦ない行動と、それと全く反対の親と子の愛情が微妙に入り混じったこの小説は、まことに不思議な世界を作り出しています。読了後、しばし呆然としてしまいました。



この文庫は、他に「月のアペニン山」「東京のプリンスたち」「白鳥の死」の三篇が収められています。「月のアペニン山」というのも、これまた風変わりな小説で、不条理というか、シュールというか、カフカの「変身」を思い出させるような短篇でした。




「楢山節考」。今年の(まだ早いけど)ベスト5に入ることは間違いないと思われます。

「あすなろ」の悲哀と希望

2011-05-31 15:43:37 | あ行の作家
井上靖「あすなろ物語」読了



これもFMラジオの「メロディアス・ライブラリー」で紹介されていたものです。著者本人は否定していますが、井上靖の自伝的小説といえると思います。


主人公である鮎太の幼年期から壮年期に至るまでの、波乱に満ちた半生を描いたものです。


最初から予期してはおりましたが、面白いことは面白いんですが、それほど感情移入できずに読み終えてしまいました。


興味深いのは、六つの物語から構成されているんですが、それぞれに一人、計六人の女性が鮎太の前に登場するんです。そして、その六人が六人共、タイプが違うという、なかなか工夫をこらした作りになっています。


この作家は、かなりの多作で知られているようですが、その中でも歴史小説を数多く出しているとのことです。「天平の甍」が有名ですね。まぁ自分は読みませんが。



井上靖、ちょっと自分の守備範囲の作家ではなかったですね。残念でした。

「稲妻小路」の小さいお客

2011-05-18 16:24:34 | は行の作家
平出隆「猫の客」読了



姉が「あたしはピンとこなかったけどあんたにはいいんじゃない」と言って貸してくれて読んでみました。


めちゃめちゃピンときました。いいなぁこの人。ネットで調べてみたら詩人とのことでした。やっぱり!静謐な香りのする小説で、堀江敏幸の世界に似ていなくもないです。


古い大きな屋敷の庭に建てられた離れを借家として住む主人公。その屋敷の隣家で飼われ始めた子猫が庭を通ってわが家を訪れるようになる。抱いてやろうとするとふいと逃げる。しかし用意した小鯵の焼いたのなどは食べる。この猫と人間のつかずはなれずの距離感がまずいいですね。


そうして気持ちが段々その猫に傾いていくうち、ある日、猫は車に轢かれて死んでしまう。その隣家の松の根元に埋めたという墓に花を手向けようと、飼い主の奥さんに話をするのだが、やんわりと拒絶される。ここらの微妙な心理描写がまたいいですね。


結局主人公は、借主の母屋が取り壊しになるのに伴って引越しを余儀なくさせられ、移った低層マンションで、また迷い猫の世話を始めるという、これは考えてみたら現代版の「ノラや」ですね。



季節の移ろいを見事な言葉で駆使しながら日々の暮らしを淡々と綴っていくこの短篇は、渓流を流れる水の味にも似た、簡素で、爽やかで、それでいて真に贅沢な味わいの1冊でありました。



またまた素晴らしい作家を発見してしまいました。他の作品も探して読んでみようと思います。

娘と母の確執

2011-05-18 15:50:27 | さ行の作家
佐野洋子「シズコさん」読了



FMラジオの「メロディアス・ライブラリー」で、母の日にちなんで紹介されていたものを読んでみました。


この作家は、「ふつうがえらい」とか「がんばりません」等のエッセイを何冊か出していて、いつも本屋でぱらぱらと立ち読みをするんですが、なぜか買う気になれないという、微妙な人だったんです。今回、小川洋子氏が勧めるのであるなら読んでみようと思ったわけです。


自分と母のことが綿々と綴られています。5人の子供をかかえて中国で終戦を迎え、日本に引き揚げてきた佐野一家。大変な貧乏時代を送るわけですが、母は娘に一切甘えさせない育て方をする。

上から2番目で長女の「私」は、妹、弟の世話をし、水汲みをし、畑の草取りをする。一度だけ母と歩いているとき、手をつなごうとしたら、「チッ」と舌打ちをされ、その手をふりほどかれた。その時から「私」は母を愛せなくなってしまった。そのことにずっと自責の念に苛まれる「私」。しかし、最後、感動的なシーンが用意されていました。


引用します。




<…そして私はどっと涙が湧き出した。自分でも予期していなかった。そして思ってもいない言葉が出て来た。「ごめんね、母さん、ごめんね」号泣と云ってもよかった。「私悪い子だったね、ごめんね」母さんは正気に戻ったのだろうか。「私の方こそごめんなさい。あんたが悪いんじゃないのよ」私の中で、何か爆発した。「母さん、呆けてくれてありがとう。神様、母さんを呆けさせてくれてありがとう」何十年も私の中でこりかたまっていた嫌悪感が、氷山にお湯をぶっかけた様にとけていった。>


そしてもう一節



<その日が私にとって一生一度の大事件だったと思えた。私は何かにゆるされたと思った。世界が違う様相におだやかになった。私はゆるされた、何か人知を越えた大きな力によってゆるされた>



母に対する歪んだ思いをずっと抱え、呆け始めた母を老人ホームに入れ、そのベッドに添い寝し、母の髪をなでながら、その時「私」の中の「何か」がせきを切ったようにあふれてきたんでしょう。自分は、娘としてしてはならない仕打ちを母にしている、そんな自責の思いが母に対する詫びの言葉になり、小さいときから自分に一度も「ありがとう」「ごめんなさい」と言ったことがない母が謝った。そして自分は「何かにゆるされた。」この時の佐野洋子の歓喜はいかばかりであったろうと思うと、あふれる涙を止めることができません。



もっと軽めのエッセイが読みたかったんだけどなぁ、と思いながら読み進めていくうちに、感動の嵐に巻き込まれてしまいました(笑)




童話「100万回生きたねこ」で、つとに有名な佐野洋子でありますが、このエッセイ、テーマもそうなんですが、文章もうまい。独特の文体を持っています。他のエッセイも読んでみるとします。

げに恐ろしきは金剛石(ダイヤモンド)

2011-05-18 15:03:59 | あ行の作家
尾崎紅葉「金色夜叉」読了



以前、豊崎由美の「百年の誤読」で紹介されていたのに触発されて読んでみました。明治の大衆小説として、今現在でもタイトルだけは大抵の人は知っているし、また、例の「来年の今月今夜のこの月を…」の名ゼリフは知らぬ者はないというくらいの有名な小説であります。


この台詞は、ずっとあとの方で出てくると自分は思い込んでいたんですが、けっこう最初の方なんですね。まぁ考えてみればこの貫一とお宮が別れるところから話が始まるわけですから、当たり前といえばそうなんですが。


しかし面白かったです。ダイヤモンドに目がくらんだお宮。裏切られた貫一は、死ぬことも考えるが、死にきれず、いっそ堕ちるところまで堕ちてやれと、悪名高い高利貸の手代となる。一切の人間的な感情を捨てて、人の生き血を吸って腹を肥やすような悪徳高利貸になるわけです。このあたりが、なんだか時代を感じさせて非常に刺激的です。


しかしこの小説、読むのに大変苦労しました。文体が尋常じゃないんですね。例えばこんな文章です。


<閑(ひま)ある身なれば、宮は月々生家(さと)なる両親を見舞ひ、母も同じほど訪(と)ひ音づるるをば、此上無(こよな)き隠居の保養と為るなり。信(まこと)に女親の心は、娘の身の定りて、その家栄え、その身安泰に、しかもいみじう出世したる姿を見るに増して楽しまさるる事はあらざらん。>



こんな文章が全編にわたって延々と続くわけで、意味のよくわからない箇所もひとつやふたつではなく、まぁ大筋に影響ないと勝手に思い込み、読み飛ばしたりしてようやく読了したというわけです。



最近は、明治、大正、昭和の初期の文学にはまっている感じです。次は谷崎潤一郎の「細雪」が控えています。文庫で929項(!)(しかも字が細かい)となかなか手強い相手なので、いつか覚悟を決めて取りかかろうと思っております。

大阪全停止!

2011-05-13 16:58:47 | ま行の作家
万城目学「プリンセス・トヨトミ」読了



こういった、いわゆるエンタメ系は、まず読まないんですが、この作家は特別です。デビュー作の「鴨川ホルモー」そして「鹿男あをによし」と存分に楽しませてくれ、本作も充分読みごたえのある長編となっております。


しかし面白いですね、この作家。豊臣秀吉の時代から400年守り続けているという豊臣家の末裔。その女王が危機にさらされているという情報が入るや、大阪中の男達、200万人が一斉に大阪城目指して動き始める…。


もう、こんな荒唐無稽な話、大笑いです。随所に、ここはちょっとムリがあるんじゃねーの?と突っ込みたいところはありましたが、そんな些細なことは気にならないくらい内容が面白かったです。たまの箸休めにはもってこいの小説でありました。


ちなみに本作は、映画化も決定しているようです。まぁ見ませんが(笑)





床屋へ行った帰りにいつも寄る本屋さんで、以下の本を購入



井上靖「あすなろ物語」
佐野洋子「シズコさん」

夫婦の日常に潜む闇

2011-05-09 17:46:53 | は行の作家
原田康子「蠟涙(ろうるい)」読了


これも未読本からの発掘本です。この作家、どこかで聞いたことがあると思って調べてみたら、「挽歌」の作者でした。昭和31年に大ベストセラーとなった小説です。まぁそれはいいとして。


どうもこの手の小説は自分には合いませんねぇ。7つの短篇が編まれた短篇集なんですが、どれもこれもなんだかなぁという思いで読み終えました。日常の中にふとのぞく夫婦のお互いの心の闇のようなものにテーマを置いて、わりと乾いた文体で綴られているんですが、今ひとつ心に刺さってこなかったです。


テレビのドラマにするには、いい題材かもしれません。残念でした。