トシの読書日記

読書備忘録

文章による肖像画集

2009-12-29 09:39:46 | か行の作家
開高健「人とこの世界」読了



マイブームの開高氏であります。この本は、いわゆる対談集なんですが、ただ会話を並べるのではなく、対談と対談の間に、開高健が見たその人となりを描写しているんです。それのまた鋭いこと!


対談の相手は広津和郎(小説家、評論家)、きだみのる(小説家、翻訳家)、大岡昇平(小説家)、武田泰淳((小説家)、金子光晴(詩人)、今西錦司(人類学者)、深沢七郎(小説家)、島尾敏雄(小説家)、古沢岩美(画家)、井伏鱒二(小説家)、石川淳(小説家)、田村隆一(詩人)の12氏。


ほとんどが小説家なんですが、詩人、人類学者もいます。どの人達も、一癖も二癖もありそうな輩で、この連載当時は開高は30代だと思うんですが、これらの癖論家を相手に、丁々発止、堂々と渡り合っているんです。またその相手を見る目が鋭く、かつ優しいんですね。

例えば、田村隆一氏のところで…

「…詩人はビールをすすりつつ、語りつづけてやまない。自身に自身で鞭をくれつつ回転しつづける。この人の詩はさむらいのストイシズムにつらぬかれ、リズムに托すところ多く、エアー・ハンマーの打撃を速射しつづけ、全身を溺らせる生活の苦渋のかぎりをこれっぽちも洩らそうとせず、言葉をいまや白木の板のように削りたてることに没入しているかのごとくであるが、精神はその禁圧のカウンター・バランスを求めずにはいられない。躁鬱がそれに拍車をかける。(中略)日本文学にユーモアのないこと、ふくらみと展開と本能の聡明さがそのために失われていること、近頃“あの世”が感じられてならないこと、われわれはけだし“あの世”から来たのだからこれを“行く”というのは不当であって“帰る”というべきであろうこと、(後略)」


田村隆一がここまで語るというのは、開高健の手腕に他ならないと思うんですが、それにしてもすごいもんですねぇ。


この本を読んで、深沢七郎の小説を読んでみたくなりました。また、古沢岩美の絵も見てみたくなりました。いやぁ興味は尽きないですねぇ(笑)





所用で出たついでに以下の本を購入


開高健「ロマネ・コンティ1935年」
中島義道「後悔と自責の哲学」

中島義道を久しぶりに買ってしまいました。じっくり読もうと思います。



反ブルジョア的な動機

2009-12-21 17:50:53 | な行の作家
夏目漱石「それから」読了



この小説は漱石の3部作といわれるもののひとつだそうです。

ちなみにその3部作とは「三四郎」「それから」「門」ということです。



この小説はテーマは「愛」です。と言ってしまってはみもふたもないんですが(笑)3部作とはいえ、この小説の主人公、代助は三四郎のようにウブでは全くない。むしろ、人生にある種の厭世観を持って生きています。まぁでも見方によっては30にもなって結婚もせず、仕事もせず、親の援助で毎日ぶらぶら暮らして、いい身分てなもんです。


この極楽トンボの代助が、3年前、親友の平岡に三千代という女性と結婚させるんですが、あとから代助は、この三千代を自分は愛していたということに遅まきながら気づき、苦悶するという話です。そしてまたいつまでも一人身でいる代助を父親が心配して、いろいろ縁談を持ってくるんですが、それをことごとく断り、しまいに親に勘当されてしまうんです。切羽詰まった代助は、三千代に自分の思いを告白し、その夫である平岡にも心情を吐露するんです。平岡は「わかった。三千代はお前にくれてやる。しかし、今日から俺とお前とは親友でもなんでもない、絶交する。」と宣言される訳です。代助は、それさえも甘んじて受け入れ、三千代と一緒になろうという思いを強くするわけですが、三千代は神経性の病気であるので、それが完治するまで夫である平岡は自分が看病する義務があるので、それまで待てと言うんですね。


最後はどうなるのか、そこまでは書いてないんですが、ハッピーエンドの予感はないですねぇ。三千代は死んでしまうような気がしてなりません。


いろいろ一人で思考をめぐらす代助は、最後、電車に乗るシーンで終わっています。


「…四つ角に、大きい真赤な風船玉を売ってるものがあった。電車が急に角を曲るとき、風船玉は追懸(おっかけ)て来て、代助の頭に飛び付いた。小包郵便を載せた赤い車がはっと電車と摺(す)れ違うとき、又代助の頭の中に吸い込まれた。烟草(たばこ)屋の暖簾(のれん)が赤かった。売出しの旗も赤かった。電柱が赤かった。赤ペンキの看板がそれから、それへと続いた。仕舞には世の中が真赤になった。そうして、代助の頭を中心としてくるりくるりと焔(ほのお)の息を吹いて回転した。代助は自分の頭が焼け尽きるまで電車に乗って行(ゆ)こうと決心した。」


もうほとんど狂気ですね。このラストも凄かったです。

日常の中にある非日常

2009-12-21 17:13:47 | や行の作家
山本昌代「手紙」読了



以前、「緑色の濁ったお茶あるいは幸福の散歩道」で眼を瞠る思いをした作家です。この作品も「緑色の――」ほどではないにせよ、なかなかいい雰囲気の短編集でした。


全部で5編の短篇が収められていますが、表題作の「手紙」がよかった。この作家の小説は、どこがどう面白いというのを、なかなか言葉でうまく表現できないんですね。それを言葉にするのがお前の力の見せ所じゃないか、と言われたらそれまでなんですが(笑)


淡々とした日常にちょっと引っかかるものがそれとなく挟み込まれて、なんということもないんだけど、よく考えるとちょっと恐ろしいような…うーん、うまく言い表せられません(笑)


この「手紙」の最後がすごいんです。

「鉄柵の前まで行って、そこに佇んだ。暗い隧道の向う側にいつもと同じ陽に透き通った若い緑と茶色い土の道が見えた。鉄柵のノブに手をかけて回すと、音もなく開いた。体のやっと入る程に開き、中を覗き見るようにしながら一歩二歩湿った土を踏んで奥に入った。出口の向こうの明るさに吸い寄せられるように歩いた。真ん中辺まで来た時、首の後ろに気配と鈍い衝撃を感じた。それきりだ。」


どうです、この終わり方。山本昌代の面目躍如といった感があります。

ドラマを書くための方法

2009-12-21 16:50:32 | な行の作家
夏目漱石「坑夫」読了


この作品は夏目漱石の代表作とは言えないかとは思いますが、なかなかに味のある小説で面白かったです。


恋愛問題のごたごたに嫌気が差した19才の男が出奔し、あてもなく行った先で仕事を紹介してやるという男に誘われるままについて行き、銅山の抗夫になるという話です。


男は自殺しようと何度も思うんですが、その度に思い直し、でも自分はどうなってもいいという捨て鉢な思いをずっと引きずっているわけです。まぁそんな訳で坑夫でもなんでもやってやろうかという気になったんですね。


しかし、いざその鉱山に行ってみると、その労働環境の劣悪なことといったら大変なもんです。一般にせんべい布団といいますが、せんべいならまだいい方で、石のように硬い、脂の染みた汚い布団に寝かされて、しかも蚤やダニがうようよいてとても寝られたもんじゃない。ご飯は南京米といわれる外米で、壁土を食っているようだと記してあります。また、その鉱山に働く男共も人間の屑のようなやつばかりで、主人公は行ったその日から嘲笑やら罵倒やらを浴びせられるんです。


ここらへんがかなり詳しく書かれていて、当時のそういった第一次産業の様子がよくわかる仕組みになっています。


主人公の心持を織り交ぜながら鉱山の様子が描かれているわけですが、全体に漱石の小説らしくないという感じです。


まぁこんな作品もあるってことで。

言葉を超えた魂の結びつき

2009-12-13 15:50:34 | か行の作家
フィリップ・クローデル著 高橋啓訳「リンさんの小さな子」読了



翻訳物が続きます。これは、以前、庄野潤三の「ガンビア滞在記」を買ったときに、本の間にはさんであった広告にあったもので、それに「戦争で家族を失い故国を追われた老人は生まれてまもない赤ん坊を抱いて難民となった…『灰色の魂』の作者がおくる言語の壁を越えた、友情と共感のドラマ。」とあり、妙に惹かれるものがあったのでアマゾンに注文してみたのでした。


長編というには少し短い、もちろん短篇ではない、まぁそれくらいの長さの小説で、3時間くらいで読んでしまいました。


すごくよかったです。本を読んで、久々に泣いてしまいました(笑)戦争で天涯孤独となったリンさんという老人が小さな赤ちゃんを連れて船に乗せられ、異国の地に着くところから物語は始まります。その収容所のようなところから「たまには散歩しないと体によくないですよ」と市の職員の女性に諭され、外を歩き回り、公園のベンチで一休みするんですが、そこにやって来たバルクという男と親しくなり、毎日のようにその公園で顔を合わせるようになるんですね。しかし、二人は全く言葉が通じないんです。お互い何を言っているのか、よくはわからないんですが、そこは同じ気持ちが通ってるので、なんとなく分かり合ってしまうんです。そして物語は思いもよらぬ方向へ動き出すというわけです。


この飾り気のない文章がまた読む者をとらえてはなしません。久しぶりに感動しました。





アマゾンにて以下の本を購入


開高健「人とこの世界」
開高健「日本三文オペラ」
開高健「珠玉」


開高健、夏目漱石と共にマイブームです。

桟橋のあかり

2009-12-13 15:38:18 | か行の作家
カズオ・イシグロ著 土屋政雄訳「日の名残」読了



ずっと前から気になっていた作家で、いつか読もうと前に買ってあったのをやっと手に取ったのでした。

著者は、日本で生まれはしたんですが、5才のときに家族と共にイギリスへ渡り、そのままずっとイギリスで暮らしている方ということです。


正直に言って「たるい」小説でした。スティーブンスというあるお屋敷の執事が主人にひまをもらって6日ほどの旅に出るんですが、その旅の模様と、道すがら思い起こす様々な昔の思い出、というのがストーリーの軸になっています。


感想もなにもないですねぇ。解説で、あの丸谷才一が絶賛しているのがなんだか奇妙です。そしてこの作品が、英国最高の文学賞である「ブッカー賞」を受賞しているというのも腑に落ちません。自分の読み方が浅いのかなぁ…



まぁいいや。

書とともに街へ出よう

2009-12-13 15:15:06 | な行の作家
南陀楼綾繁「一箱古本市の歩きかた」読了



「なんだろう あやしげ」。なんとも人を食った名前です。


今年の二月だか三月に「Book Mark Nagoya」という本のイベントが名古屋市内であり、その折、古本ライターの岡崎武志さんらと一緒に南陀楼さんも来名し、「古本大学」なるトークショーを開催して古本に関するよもやま話に私も「受講生」として参加したのでした。

全体にまん丸の体躯の方で、なかなか気さくなおじさんという感じで親しみやすい人だったのを覚えています。



しかし、この本を読みながら、自分がずっと感じていた違和感は、「本が好き!(しかも古本が)」という、南陀楼氏と彼をとりまく、いわゆる同志の排他的な雰囲気です。もちろん、それは自分の考えすぎというもので、彼らにはそんな気持ちなどさらさらないんでしょうけど、なにか感じてしまうんですね。


それは何に起因するのか、自分なりに考えてみたんですが、自分と彼らの「本」に対する好みの傾向がかなり違うところからそれはきているのではないかと思うわけです。自分は、本といえばほとんど現代小説しか読まないんですが、彼らは、小説なら明治、大正あたりのちょっとマイナーな作家がお好みのようだし、例えば昔の東京の話とか、そういった文化系の本とかもよく読むようだし、まぁそこらへんの「本の世界」が違うということなのかもしれません。


彼らの「本の世界」にも足を踏み入れたいという気持ちは、結構強く持ってたりはするんですが、いかんせん、どのあたりから入っていっていいものやら、とんと見当がつかないんですね。


自分がよく見るブログに「風太郎」さんという方がいらっしゃるんですが、この方は、そっち側の「本の世界」に完全に浸ってるような感じなんですね。今度東京で行われる一箱古本市にこの方も出店されるようなので、一度、直にお会いして何から読んだらいいのか、じっくりとお話してみようかしらんなどと妄想しております。



まぁいずれにしても本が大好き!という溢れるような思いがこちらにストレートに伝わってくる快著でした。

諧謔と韻律

2009-12-07 16:07:41 | な行の作家
夏目漱石「虞美人草」読了



先日、アマゾンで夏目漱石を9冊まとめ買いした内の第1弾であります。


文章が非常に難解というか、漢語を多用していて、もう睡魔との闘いでした(笑)しかし、中盤を過ぎるあたりから物語は急展開を見せ、文章の難しさもなんのその、ぐんぐん引き込まれました。


テーマは、割と簡単です。一言で言ってしまえば「勧善懲悪」ですね。6人の男女のキャラクターをくっきりと描き分け、人生の生き方を打算で図ろうとするとえらいことになると、まぁそんなお話です。


内容は全然違うんですが、文章の綴り方は「草枕」と酷似しています。韻を踏んでみたり、畳み掛けるような言葉のリズムで書いてみたり、そこらへんは非常におもしろかったですね。例えばこんな箇所…



「一人(にん)の一生には百の世界がある。ある時は土の世界に入(い)り、ある時は風の世界に動く。またある時は血の世界に腥(なまぐさ)き雨を浴びる。一人(にん)の世界を方寸に纏(まと)めたる団子(だんし)と、他(た)の清濁を混じたる団子(だんし)と、層々相連って千人に千個の実世界を活現する。個々の世界は個々の中心を因果の交叉点(こうさてん)に据(す)えて分相応の円周を右に劃(かく)し左に劃す。怒(いかり)の中心より画(えが)き去る円は飛ぶが如(ごと)くに速やかに、恋の中心より振り来(きた)る円周は焔(ほのお)の痕(あと)を空裏に焼く。あるものは道義の糸を引いて動き、あるものは奸譎(かんきつ)の圜(かん)をほのめかして回(めぐ)る。縦横に、前後に、上下(しょうか)四方に、乱れ飛ぶ世界と世界が喰(く)い違うとき秦越(しんえつ)の客ここに舟を同じゅうす。」


何を言ってるのか、はっきり言ってよくわかんないんですが(笑)リズムとして美しいってことはよくわかります。


さてさて、何か1冊はさんでまた漱石、いってみますか。




所用で出たついでに本屋に寄り、

南陀楼綾繁(ナンダロウアヤシゲ)「一箱古本市の歩きかた」を購入する。