トシの読書日記

読書備忘録

3月のまとめ

2013-03-27 17:53:20 | Weblog
今月読んだ本は以下の通り


大江健三郎「揺れ動く(ヴァシレーション)――燃え上がる緑の木第二部」
中上健次「蛇淫」
大江健三郎「大いなる日に――燃え上がる緑の木第三部」
多和田葉子「飛魂」
平田俊子「二人乗り」
山口文憲「若干ちょっと、気になるニホン語」
木村紅美「夜の隅のアトリエ」


以上7冊でした。大江は2冊。ちょっと道草を食いすぎました。でも、まずまずの充実した読書でありました。来月は、中旬からまたキャンペーンを始めるので、あまり読めないかもです。まぁぼちぼちいきましょうか。



3月 買った本2冊 借りた本2冊

誰でもない自分になる旅

2013-03-27 17:29:06 | か行の作家
木村紅美「夜の隅のアトリエ」読了



大江健三郎フェアというのに寄り道ばかりしております。この本は、中日新聞の夕刊コラム「大波小波」に紹介されていたのだったか、ちょっと思い出せないんですが、ネットで買って読んでみたのでした。


この作家のことは全く知らなくて、ねっとでちょっと調べてみてもあまり詳しいことはわかりませんでした。1976年生れといいますから37才ということですね。


しかしこの作品は評価がむずかしいですねぇ。自分はあまりぴんときませんでしたが、ハマる人はいると思います。


主人公は30代後半の女性。都内の美容院に勤めていて、つき合っていた男と別れたばかり。年末のある日、なにもかも捨てようと思い立ち、他人の健康保険証を盗んで北の地方へ旅立つ。雪深い土地で理容店の二階を間借りし、ラブホテルの受付のアルバイトをして生計を立てる。そしてそのホテルの主人の仲間の絵画教室でヌードモデルをやったりもする。


数ヶ月経つうち、まわりの人間関係がうとましくなり、彼女はまた別の土地へと移る。そしてその繰り返し…。どこの土地へ行っても、そのつど前の土地から離れる前に他人の健康保険証を盗み、その人間になりすまして職を見つける。


別れた男が、その後死んでしまったことを知り、それは自分が死なせてしまったようなものとの自責の念にかられ、そのことがいつも頭をよぎる。


著者が何をテーマにこの作品を書いたのかはよくわかりませんが、全体から漂う荒涼感というか寂寥感というか、ただならぬ空気というのはひしひしと伝わってきます。文章は、大江健三郎なんかとは全く逆で、そっけないほどのセンテンスの短い文が続きます。それは読んでいて心地よかったです。難を言うなら、表現がちょっと素人臭いかなと。


なんだかすっきりしませんが、一度姉に読ませてみて何と言うか、反応が見てみたいです。まぁきっとけなすんでしょうが…。

日本語の好きな日本人

2013-03-27 16:52:09 | や行の作家
山口文憲「若干ちょっと、気になるニホン語」読了



先回の「二人乗り」のような本を読んでるひまはない、とか言いながら、こんな軽いものに手を出してしまいました。しかし一日で読めたんでよしとしますか。


文芸誌「文學界」に連載したコラムをまとめたものとのこと。街角で見かける、また電車の中で気になるあの日本語、この日本語にそれはいかがなものかと、いろいろからんでおります。


なかなか面白かったです。一つ例をあげると、電車の中で、ドアの脇に貼ってある、携帯電話に関する注意書き。「マナーモードに設定の上、通話はご遠慮下さい」これはやっぱりちょっとおかしいですよね。「上」というのが問題だと思います。この山口氏もここに疑問を抱いていて、「上」というのは行為の前後関係を指示する働きがあるのだから、「マナーモードに設定せよ」と「通話するな」の間に前後関係はない。だからそもそも「上」は使えないと。同感です。山口氏の面白いのはこの先で、もし、どうしても「上」を使うのであるなら「マナーモードに設定の上、『私は車内で絶対に通話はしません』と胸の中で100回唱えて下さい」とすれば形式上はアリではないかというわけです。


全部こんな調子で、ちょっとおかしいニホン語を笑いのめしています。軽い読み物ながらも日本語の勉強になりました。

喜びも悲しみも幾歳月

2013-03-27 16:51:41 | は行の作家
平田俊子「二人乗り」読了



以前読んだ伊藤比呂美の本の中に、本作品のことが書いてあり、興味を持って買ったものの、ずっと忘れていて、今やっと読んだのでした。


で、感想はというと、読んでも読まなくてもよかったかと。まぁ面白いことは面白いんですが、いかにも浅い。はっきり言ってこんな本にかかずり合ってる場合じゃないというのが正直な気持ちです。


「嵐子さんの岩」「二人乗り」「エジソンの灯台」の三編から成る連作の形をとっています。


「嵐子さんの岩」では、嵐子さんという46才の独身女性が主人公。2年前に離婚。その顛末が描かれています。次の「二人乗り」では、その嵐子さんの7つ下の不治子という妹が主人公です。夫の道彦が女を作って出ていってしまったという状況で、ある女優と偶然出会い、彼女を家に泊めるというストーリーです。その女優との毎日が活々と描かれています。そして「エジソンの灯台」では不治子の夫、道彦が主人公となります。スナックのママとできて家を出たのはいいんですが、父親も同居している家に寝泊りすることになり、気詰まりな毎日を送る羽目に。そして退屈しのぎに出かけた図書館で見た灯台の写真集にハマってしまい、ついに彼は灯台を見る旅に出る…。


こういうのが好き!と言う人はもちろんいるんでしょうが、そしてその気持ちもわかるんですが、今の自分の心境にそぐわない感じでした。少し残念です。

虚構の城に住む女王

2013-03-27 16:10:18 | た行の作家
多和田葉子「飛魂」読了



長編の「飛魂」の他に短編が四編収録されています。表題作の「飛魂」、もう多和田ワールド満載で、わくわくしながら読みました。場所も時代も特定されていないのですが、なんとなく古代の中国のような印象を受けます。


森の奥に住む「亀鏡」という女性。この女は「虎の道」の師であり、その道を極めるために主人公である「梨水」はその学舎で毎日学ぶ。そこで繰り広げられる様々なエピソードが、もう多和田葉子ならではの世界で、ほんと素晴らしい!の一語に尽きます。


この小説の世界には神話的と呼んでもいいような奇怪な現象がたびたび起こります。「鳴神」「枝叫び」「断頭風」といった具合。これらになんの説明もないので、想像するしかありません。また登場人物の名前もかなり奇抜で、主人公は「梨水」、これは「りすい」と読むんだろうなと思わせますが、「粧娘」「指姫」「朝鈴」なんていうのに至っては、どう読んだものか、非常に悩みます。しかもルビが振ってない!


まぁこんなところがいかにも多和田葉子の面目躍如といった感があります。


ところがどっこい、「飛魂」はいいとしてもあとの四つの短編、これはいただけません。多和田葉子の世界であることは間違いないんですが、なんですかね、この作品群は。多和田流の小説がまずい方向へと流れてしまうとこんな姿になってしまうという、典型的な例であると言えます。こんな小説、誰でも書けますよ。でたらめ書けばいいんですから。


「飛魂」でうっとりせさてくれた分、この落胆は大きかったです。残念。

Rejoice!

2013-03-27 15:40:58 | あ行の作家
大江健三郎「大いなる日に――燃え上がる緑の木第三部」読了


深いため息とともに今、この三部作を読み終えました。これは大江健三郎のひとつの到達点ですね。


ギー兄さんに失望したサッチャンは「四国の森」の教会から出て行くことを決意する。K伯父さんの伊豆の別荘に身を落ち着け、そこでうつうつとした日々を過ごすうち、やはり自分はギー兄さんと共に「魂のこと」をやらなければならないと思い直し、再び「四国の森」へ戻ることを決める。


サッチャンの留守のうちに「四国の森」の教会の農場は、さらに規模を拡大し、メンバーも300人以上にふくれ上がっていた。そこで問題がおきる。教会で暮らす若いメンバーの親たちが「被害者の会」を結成し、子供達がカルト集団に監禁されているとマスコミに訴えた。ギー兄さんは記者会見を開き、教会員のメンバーは、ここにとどまるのも、家に戻るのも彼ら、彼女らの自由意思であるのだから、私がそれをどうしろという権利はない、と弁明する。


そうこうするうち、教会内で伊能三兄弟を中心とする農場のメンバーと、古くからの会員である「森の会」とが対立を深め、両者の関係がぎくしゃくしてくる。


ある日、ギー兄さんは会員を礼拝堂に集め、自分は農場と礼拝堂から手を引くことを伝える。そして巡礼の旅に出るのだと。会員達は驚き、嘆き、悲しむが、結局ギー兄さんは旅立つ。そして出発したその日、村を出たところでギー兄さんが昔、学生運動をしていた頃からうらみに思われていた男達に襲われ、ついには死んでしまう。



ギー兄さんはきっと死んでしまうだろうという予感は読んでいる途中からずっとありましたが、こんな形で死を迎えるとは。驚きました。


しかしすごい小説でした。宗教のことをいろいろと考えさせられました。そして、ギー兄さんの、自分の死のことよりも、他の人間の死の把え方を尊重するというう考え方。これについても深く考えさせられました。自分を深く見つめ(この小説では「集中する」という言い方をします)、そこから湧き上がってくるものを確かなものとして捉えなおす。そしてそれを自分の生き方の指針とする。人はそうやって生きていくべきなのではないか、というのがこの作品の大きなテーマの一つではないかと思います。


まだまだ未熟な自分には、この作品を充分に理解するには至りません。しかし、それなりに胸にずっしりとこたえるものはありました。10年後くらいにもう一度読み返してみたい、いや、読み返さなければならないと強く思いました。

事実は復讐する

2013-03-13 18:04:55 | な行の作家
中上健次「蛇淫」読了



同作家の中期の短編集で、表題作のほか全部で六編の短編が収められています。いろいろな意味で評価の高い作家なんですが、以前読んだ「日輪の翼」といい、本作といい、なぜか自分はストライクゾーンをはずしているようで、この作品集もあまりぴんときませんでした。


内向する自分に深く洞察する力を持たない主人公が、感情のおもむくままに暴力をふるい、あげくに人を殺してしまう。そんな話が続きます。読んでいてあっけにとられるほどです。


やはり代表作である「枯木灘」を読まないといけませんねぇ。文庫で買ってあるので、いずれ読みます。

我らの心、内に燃えしならずや

2013-03-13 17:30:29 | あ行の作家
大江健三郎「揺れ動く(ヴァシレーション)――燃え上がる緑の木 第二部」読了



物語は続いていきます。ギー兄さんの父であり、K伯父さん(大江健三郎)の親友である総領事は、アイルランドの詩人、イェーツに傾倒し、それを自身のこの先の人生に重ね合わせる。しかし、彼の身体はがんにむしばまれ、手の施しようのない状態に近づきつつあった。


また、四国の森の集落に伊能三兄弟という三人の若者が入り込み、農園の作業を手伝ううち、次第に欠くべからざる存在になっていく。


総領事は、息子のギー兄さんとヨーロッパへ旅行をし、四国に帰ってから体調をくずし、程なく心臓の発作で亡くなってしまう。


教会の礼拝堂の完成を待って、総領事の正式な葬儀が執り行われ、そこでギー兄さんは説教をする。一部引用します。

〈この土地の人々の魂は、生者のそれも死者のそれも、つねに浄化の方向へとめぐる、連続した環のなかにあるのです。それを思う時、「死者と共に生きよ。」という教えは、さらに身ぢかなものとなるのではないでしょうか?(中略)「慰めぬしなる霊よ、われらにきたりたまえ」、この祈りの言葉を、おそらく私の魂の浄化のためにも、いま声に発するようにと、総領事は遺託されました。〉


一人の人間の死を重く受け止め、その死者と共に生きていく覚悟をする。なまなかの気持ちではできないことだとは思いますが、わかる気がします。


総領事が亡くなったあと、ギー兄さんはいろいろと思い悩むことが多くなり、その原因のひとつとして、四国の地方紙に、ギー兄さんの教会は、あやしげなシンクレティズムではないかという批判の記事が載ったこと。(シンクレティズム=諸教混交)


救い主とはなにか?救い主の向こうに神がいなければそれは救い主ではありえないのか?ギー兄さんの心はまさにヴァシレーション(揺れ動く)の状態であったと思われます。


印象に残ったところを引用します。

〈神がいる・神はあると感じることは、信仰のある人たちの側からすると、こちらがそのように発見する、ということじゃないようなんだよ。神の方からこちらを捕える、ということらしいんだね。〉


自分の「魂のこと」をどのように進めていけばいいのか、200人以上にふくれあがった「教会員」にどのような道を指し示し、導いていけばいいのか。「救い主」=ギー兄さんの苦悩は続きます。


第三部、ますます楽しみです。



姉から以下の本を借りる

小池昌代「弦と響」
辻原登「闇の奥」


また、ネットで以下の本を注文する

木村紅美「夜の隅のアトリエ」
山口文憲「若干ちょっと、気になるニホン語」