トシの読書日記

読書備忘録

11月のまとめ

2012-11-30 12:33:56 | Weblog
今月読んだ本は以下の通り



大江健三郎「同時代ゲーム」
山口瞳「月曜日の朝・金曜日の夜」
堀江敏幸「燃焼のための習作」
マーセル・セロー著 村上春樹訳「極北」
大江健三郎「新しい人よ眼ざめよ」


以上5冊でありました。はずれは1冊もありませんでした。大江も相変わらずすごいし、山口瞳もやっぱりいいし、堀江敏幸ももちろん素晴らしいし、また、マーセル・セローというすごい作家にも出会えたし、今月は、たった5冊ではありましたが、いつにも増して充実しておりました。


来月は、一番忙しい月になるので、あまり読めないとは思いますが、またまた大江を中心に、じっくりいきたいと思っております。

無垢の歌

2012-11-30 12:04:32 | あ行の作家
大江健三郎「新しい人よ眼ざめよ」読了



同作家の中期の連作短編集であります。短編小説とはいえ、これはもう私小説でもない、ほとんど自分と子供(光=イーヨー)とのいわゆる共生を大江が主人公を介しての考えを、文章に表したということなんでしょう。多少のフィクションは交えてあるとは思いますが、作中の主人公(僕)は大江健三郎自身であり、書き連ねられるエピソードもおおむね事実に近いのでは、と思います。


イギリスのブレイクという神秘主義の詩人に魅せられ、その詩句から自分と子供との関係のありようを思索する。子供は脳に障害を持っており、いわゆる特殊学級に通う日々を送っています。


印象に残ったところを引用します。主人公の知り合いの大学の教授の教え子が彼の家へ来て論戦をふっかけるシーン。その学生の言葉です。

<われわれがあなたの生きざまについて苛いらするのはね、(中略)自分の立場というか、持場というか、それを動かさないでわれわれが高校であなたのものを読みだした頃からおなじことを書いている、ということなんですよ。(中略)それをね、あなたの側に立って考えてみてね、われわれが辿りついた結論はね、あなたに障害児がいるということですね。(中略)障害児を普通学級に、という運動があります。(中略)あなたはそれに加わって来ない。(中略)差別に協力する側だと、差別を再生産する側だと、われわれが批判をつきつけるとして、あなたはまたカッタルイことをいうんですね。>

この学生の糾弾に対して、大江は別のところでこう答えています。

<イーヨー(自分の子供)は地上の世界に生まれ出て、理性の力による多くを獲得したとはいえず、なにごとか現実世界の建設に力をつくすともいえない。しかしブレイクによれば、理性の力はむしろ人間を錯誤にみちびくのであり、この世界はそれ自体錯誤の産物である。その世界に生きながら、イーヨーは魂の力を経験によってむしばまれていない。イーヨーは無垢の力を持ちこたえている。
 そのイーヨーと僕とが(中略)すでに合体したものでありながら、個としてもっと自由である者として、帰還するのだ。それがイーヨーにとり、かつ僕にとって、意味のない生と死の過程であると誰がいいえよう?>


ここが本書のキモであると思います。障害児とその親との姿が他人の目からは計ることのできない深いものがそこに潜んでいるわけです。



非常に難解な作品ではありましたが、自分なりに解釈して楽しめました。

悲痛な物語の動脈

2012-11-26 16:40:39 | さ行の作家
マーセル・セロー著 村上春樹訳「極北」読了



姉にせっつかれてやっと読みました。時代のことが全く書いてないんですが、おそらく近未来を設定しているんだと思います。シベリアを舞台に、一人の女がタフに生きていく様を描いた小説です。


最果ての地でようやく生きているような生活から脱したいと考える彼女の住みかの近くに一機の飛行機が飛ぶのを見る。その飛行機は湖の近くの山肌に激突して炎上してしまうのだが、それ以来彼女は飛行機に異常な執着を燃やす。

その様子を以下に引用します。

<飛行機が私の目にどれほど大きく映ったにせよ、私の希望はそこに載りきらないくらい重い積荷だった。
 今でもなお私は考え続けている。私がそれまでくぐり抜けてきた苦難を、それだけの価値はあったと思わせてくれる何かが、その飛行機に積まれていた可能性はあったのだろうかと。
 そこに何かがあったかではなく、そこに何があり得たかと、今こうして考えを巡らすことはとてもむずかしい。
 それはとりもなおさず、何があり得たかというきわめて脆弱な形状の上に鋼鉄の線路を敷くことなのだ。>


馬を使い、時には徒歩で何千キロという旅を繰り返しながら彼女は生きていく強さを身につけていく。月並みな言葉ですが、じーんとくるものがあります。


また構成もいいですね。伏線の張り方が実に巧妙でうなりました。


いやいや、実に面白かったです。久々にずしんと手応えのある小説を読みました。またまた姉に感謝です。




姉に借りた本を書くのをずっと忘れておりました。ここ何ヶ月かの間に借りてほとんど読んでないんですが、以下、列挙します。

E・M・フォースター著 吉田健一訳「ハワーズ・エンド」
丸谷才一「持ち重りする薔薇の花」
谷崎潤一郎 大正期短篇集「金色の死」
H・F・クライスト著 種村季弘訳「チリの地震」
村田喜代子「あなたと共に逝きましょう」
F・コルサタル著木村榮一訳「悪魔の涎・追い求める男」
美濃部美津子「おしまいの噺」
松田哲夫 編 「死をみつめて」
イスマイル・カダレ著 村上光彦訳「夢宮殿」
村上春樹・小澤征爾「小澤征爾さんと、音楽について話をする」
中勘助「堤婆達多(でーばだった)」
伊井直行「ポケットの中のレワニラ」
チェーホフ著 松下裕編訳「チェーホフ短篇集」
小野不由美「残穢(ざんえ)」
ポール・セロー著 村上春樹訳「ワールズ・エンド」
ベンジャミン・パーシー著 古屋美登里訳「森の奥へ」
小池昌代「厩橋」
G・ガルシア・マルケス著 鼓直訳「百年の孤独」



しかし姉も本読みですねぇ。これだけの本を2~3ヶ月で読むんですから。びっくりです。

愛の室内劇

2012-11-19 15:33:40 | は行の作家
堀江敏幸「燃焼のための習作」読了


この本が発売されていたのは、他の人のブログ等で知ってはいたんですが、なんとなく買いそびれていて、出版後半年も経ってやっと購入したのでした。


自分の大好きな作家の一人、堀江敏幸です。その中でも自分が愛して止まない作品、「河岸忘日抄」。その小説の中で主人公がフランス・セーヌ河畔の船の中に住み、日本の枕木さんという探偵とファクスでやり取りする場面があるのですが、本書はなんと、その枕木さんが主人公の物語であります。


探偵、その他、いわゆる「便利屋」のような仕事を請け負う枕木氏のもとへ熊埜御堂(くまのみどう)と名乗る男が相談に来るところから話が始まります。そして216頁の中編のその舞台がずっと枕木氏の事務所での、この二人と事務の女性、郷子さんとの三人の会話で延々と続いていくという構成になっています。


まずこの構成がいいですね。最初、物語はいつ動き出すのかと思いながら読み進めていったんですが、四分の一くらいのところで気がつきました。これはこんな調子で続いていくんだと。わずか数時間の時の流れの中で、人生の機微、人と人とが交わることの喜び、そして悲しさ、つらさを堀江独特のまわりくどい展開でじっくりと教えてくれます。いい本でした。

慈愛に満ちた歳時記

2012-11-19 15:14:07 | や行の作家
山口瞳「月曜日の朝・金曜日の夜」読了



久しぶりに山口瞳を読んでみようと本書を手に取ってみました。ずっと以前読んだと思うんですが、再読です。

毎週月曜日の朝、会議のために会社へ出勤する筆者。その車窓から眺める四季折々の風景、車内に見る世相の移り変わりを山口瞳ならではの視点で描く「月曜日の朝」。週末の金曜日、いつものバーでウィスキーを生で飲りつつ、近所から来る常連と他愛もない話で一息をつく「金曜日の夜」。いかにも山口らしい小品であります。


印象に残ったところをひとつ。コーガンという、日雇いの労務者の友達と連れ立って京都へ行ったときのシーンです。

<私たちは、ずっと飲み続けていた。
「どこへ行った?」
「迷っちゃ大変だからね。駅から構わず真っすぐに歩いて行った」
「どこへ出るかなあ」
「わかんない。一時間歩いてパチンコを二時間やって、また一時間歩いて帰ってきた」
「なんだ。そういうことか」
「でも京都の並木はきれいだった。銀杏だったけんど」
「ああ、そうだ。あれは不思議だなあ。黄色より金色にちかい」
「そうそう。本当の黄金色っていうのかね。なんか…」
「なんか違うね、京都は」
不意に、わけがわからずに涙があふれてきた。>

これですね。これが山口瞳の真骨頂とでもいうべき筆の運びです。最初から読まないとこれだけでは訳がわからないと思いますが、いいんだなぁ、この山口瞳の心情。


やっぱり山口瞳は時々読み返さないといけません。

壮大な一族の歴史

2012-11-14 16:39:14 | あ行の作家
大江健三郎「同時代ゲーム」読了



大江健三郎フェアもいよいよ佳境に入ってきました。本書の特徴は、今までは例えば「個人的な体験」であるとか「遅れてきた青年」等のように主人公である「僕=大江」の内面を描く作品が中心であったのに対して、これは「僕=大江」が語る「僕」が生まれ育った四国の山村の一族の一大叙事詩であります。


出だしの部分が、いろいろな事柄が矢継ぎ早に語られ、非常に読みづらく、これは先が思いやられると暗澹たる気分になったのですが、それを通り抜けてみるとなんだこれは!と驚くような面白さで、中盤からはそれこそ一気に読んでしまいました。これはあれですね、マルケスの「百年の孤独」に触発されたのではないかと思います。


四国の山奥の「僕」が生まれ育った「村=国家=小宇宙」。ここを舞台に江戸時代の末期から太平洋戦争の終わり頃までの神話と歴史。そして今に至る一族の盛衰。とんでもない法螺話かと思ってしまえばそうなんですが、いかにもと思わせるようなところもあり、虚々実々の感じがいいですね。さすが大江です。


最後のところ、子供の「僕」が真夜中、こっそり起き出して服を全部脱ぎ、井戸端で姉の化粧台から持ってきた紅を水で溶いて全身に塗りたくり、森へ入っていくシーン…。非常に印象的です。以下引用します。

<「死人の道」はわれわれの土地のひとびとが森にむけて供えものをする長大な壇だ。満月を原生林のこちら側の樹木が透す、その明暗の縞に慣れた眼が、自分の立つ右脇の湧き水の泉と、左脇の大きいハルニレの幹を見てとった。(中略)僕はわれわれの土地に新世界が始って以来の、すべての死者たちの沈黙した共生の気配に励されて、土の段を踏みしめ「死人の道」へ上ったのだ。>

そして「僕」は森の中を歩きながらわれわれの一族の歴史に登場する人物をパノラマのように見るのです。そしてまた、「僕」は本来の目的である「壊す人」の再生のために森の中を六日感かけて歩き回るわけです。しかし捜索に来た村の消防団に発見され、志半ばでそれは虚しく潰えてしまうのですが。


とにかくスケールの大きさに圧倒されました。また一つ一つの挿話のユニークなこと。そしてさらに登場人物の奇態なこと!「アポ爺」「ペリ爺」「オシコメ」「シリメ」「木から降りん人」「無名大尉」等々…。


今までとは違う大江に出会った感じでまたまた次に読み進む活力が湧いてきました。あ、次は違う作家を読みますが。