トシの読書日記

読書備忘録

錯覚の手触り

2010-09-24 20:11:47 | あ行の作家
赤瀬川原平「目玉の学校」読了


物、あるいは物事を見るのに、ただ普通に常識的に見るだけではつまらない。それをいろんな角度から見てみたり、また錯覚を逆に利用してそこから想像力、創造力を広げてみるのも面白いと、そんな内容の本であります。


この赤瀬川原平という人、面白い人ですねぇ。著書は何冊も読んでるんですが、なんというか、物のとらえ方が普通とは違う。それで、いろいろなフィールドワークをやって(例えば、超芸術トマソンとか)世間を騒がせております。

本書も、物を見ることとカメラでそれを捉えることの違いとか、話は路上観察学にも及び、けっこうとりとめもない内容なんですが(笑)


息抜きにはちょうどいい本でした。


次は、ちょっと重厚なやつに挑んでみます。





インターネットのブックオフで、以下の本を注文。


アラン・シリトー「長距離走者の孤独」
ホルへ・ルイス・ボルヘス「不死の人」
内田百「冥途/旅順入城式」
内田百「サラサーテの盤」
内田百「間抜けの実在に関する文献」



また、所用で名古屋市内に出たついでに本屋に寄り、以下の本を購入


小池昌代「わたしたちはまだ、その場所を知らない」

歴史の中へ踏み込む

2010-09-20 16:13:06 | か行の作家
小林信彦「昭和が遠くなって~本音を申せば③」読了



週刊文春に連載されているエッセイを1年分まとめたものです。


小林信彦といえば、僕の記憶の中では「オヨヨ大統領」シリーズ、「唐獅子株式会社」等、その時の時代を揶揄した、シニカルな小説の著者であるわけですが、もちろん最近の小説も知っています。同作家の小説(単行本)は、何故かブックオフによく並んでいます。


小林信彦は、昭和7年の生まれといいますから、僕より24も歳が上なんですね。もう少し若いと思ってました。でも、僕は30歳の人と話するより、78歳の小林信彦との方が話が合う気がします(笑)


この小林信彦の感性というか、何が大事で何がそうでないか、というものが、読んでいてすごく共感できるし、リスペクトできるんですね。僕が今現在、最高の映画監督はクリント・イーストウッドであると思っているところも同じだし(笑)


本書は、シリーズ3冊目ということらしいので、これは1冊目から読まなくてはと思った次第です。

疾走する呪縛

2010-09-20 15:55:38 | は行の作家
古川日出男「ハル、ハル、ハル」読了



3年前に出た単行本が、文庫になって出てたので買ってみました。


ずっと前、同作家の「ラブ」という長編を読んだんですが、なかなか面白いと思ったものの、ちょっと意味がよくわからなくて当惑した覚えがあったんです。でも、気になる作家ではあるので、また読んでみたのでした。「ポスト村上春樹」なんて言われてるしね。


で、これも前回の山崎ナオコーラ同様、ちょっと肩すかしをくらいましたね。わけがわからないってことは全然ないんですが、つまんないなぁ。


表題作のほかに「スローモーション」「8ドッグズ」の3編を収めた短編集なんですが、どれもこれもうすっぺらい感じで、なんだかなぁって感じでした。


「ハル、ハル、ハル」というのは、13歳の中学生、藤村晴臣、16歳の家出少女、大坪三葉瑠、41歳のタクシー運転手、原田悟の3人の物語で、名前に全てハルがあるという、それがタイトルになっているようです。(3人目の原田悟は、原田の「ハ」と悟の「ル」ということだそうです)晴臣と三葉瑠が夜の新宿公園で偶然出会い、原田悟の運転するタクシーに乗り、拳銃を突きつけて脅し、千葉県の犬吠埼へ行くという話なんですが、読んでいて何も伝わってこないんですねぇ。文体にスピード感もあって、読点を極端に少なくした文章も、それに拍車をかける感じで、それはまぁいいんですが、ストーリーがね。ちょっとね。


二つ続けてハズレでした。残念です。

14歳の「少女」と25歳の「女」を取り巻く世界

2010-09-20 15:46:06 | や行の作家
山崎ナオコーラ「浮世でランチ」読了



「人のセックスを笑うな」で衝撃的なデビューを果たした本作家の第二作目です。以前、「人のセックス――」は、本屋で立ち読みをして、30分くらいで読んでしまって、なんだかなぁという思いしか残らなかったんですが、この作家、妙に気になっていて、次こそ面白い小説を書いてくれるんじゃないかと、期待して読んでみたのでした。

がしかし…やっぱり本作品も「なんだかなぁ」でしたね。14歳の中学生、丸山君枝と11年後の25歳でOLの丸山君枝が交互に平行して描かれています。

まぁどちらもいろいろな(特に対人関係で)悩みを抱えて生きていくわけですが、どうにもねぇ…

軽すぎるんですね。あまりにも軽い。こういった小説がぴったりくる人は、もちろんいるとは思うんですが、そういう人とはお友達になりたくありません(笑)



山崎ナオコーラ、自分とは無縁の世界で生きてる人なんだということがわかったのが収穫でした。残念。

民話を昇華させる力

2010-09-20 15:29:19 | ま行の作家
ガブリエル・ガルシア・マルケス著 鼓直/木村栄一訳「エレンディラ」読了



コロンビアのノーベル賞作家、マルケスの短編集です。本書は、本作家の代表作である「百年の孤独」と「族長の秋」との間に執筆されたということです。

マルケスに関しては、苦い思い出があります。何年前だったか、マルケスがノーベル文学賞を受賞した際、代表作である長編「百年の孤独」を読もうとしたんですが、あまりの難解さに三分の一くらいで匙を投げたんです。南米のブエンディーアという一族の興亡を描いた大作なんですが、親と子が全く同じ名前だったり、突然何の脈絡もなしに場面が変わったりと、とてもついていけませんでした。


なので、姉から本書を薦められたときも、「え~マルケス~?」と尻込みしたんですが、「とにかく面白いから」と言われてこわごわ読んでみたんです。


で、なかなか面白かったです。マルケス独特の世界観はそのままに、「百年――」よりもずっと読みやすく、わかりやすい話ばかりでした。
というか、着想が奇想天外ですごいですねぇ。思わず笑ってしまう場面もあったりして。

話の題材が、南米に古くから伝わる民話を元にしているようで、それをじっくり読ませる小説に仕立て上げるところ、さすがです。ちなみに表題の「エレンディラ」というのは本書に収められている中編「無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語」(長い!)から取られています。


マルケス、ちょっと見方が変わりました。しかし、それでも「百年の孤独」は読む気になれませんが(笑)

哲学無用論

2010-09-14 18:01:29 | な行の作家
中島義道「エゴイスト入門」読了



「新潮45+」に連載していたものをまとめたものです。今年の6月に刊行されてます。


しかし相変わらずです、中島さん。でも、基本的な考え方は相変わらずなんですが、ほんの少しづつ変容しつつあるような印象を受けました。いわゆる「真理」を「命がけ」で探求するのが真の哲学者である!と昔は言い切っていたのに、本書では、もちろんその姿勢に変わりはないんですが、「…大部分の哲学者は、殺されたくもなく、追放もされたくない腰砕けなのだ。(中略)ずるく、さもしく、弱く、卑怯な人間であり、それを自認しながら変えることがないであろう。まさに文字通りの意味で『ならず者』なのである。」

と、書き出しのところにあったんですが、なんですか、これ。開き直りですか(笑)まぁ、もちろんそうおっしゃる気持ちはわかるんですが、僕にとっては中島義道は孤高の人であってほしいんですね。こんな弱気なセリフは吐いてほしくないんです。


とまぁ勝手なことを言いましたが、本書でも共感できる部分はたくさんありました。たとえば「思いやり」という言葉。

よく、「自分がされていやなことは、他の人にしない」と言いますが、これは取りも直さず「自分が他人からいやなことをされたくないから、他人にもそのいやがることをしない」のであって、「思いやり」というのは自己利益の追求に矛盾しないどころか、利己主義の変形したものなんですね。

中島義道は、こういった「贋物のエゴイスト」を徹底的に糾弾します。「真のエゴイスト」はそうではないと。自分の「快・不快」を唯一の基準とし、不快なものに対しては(他の全ての人がそう思わなくても)断固立ち向かう。その勇気と信念を兼ね備えた者が「真のエゴイスト」であると、そう述べるわけです。素晴らしいですね。拍手を送りたくなります。

自分がそれを実践できないのが、いつもジレンマなんですが(苦笑)

大いなる懐古趣味

2010-09-14 15:33:55 | か行の作家
久世光彦「むかし卓袱台(ちゃぶだい)があったころ」読了



というわけで未読本の山から本書を捜し出して読んでみました。いろいろな雑誌に掲載されたものを集めたエッセイ集です。


書いてあるテーマは、ほとんどが「昔はこうであったけれど、今はこうなってしまった。なんともはや淋しいかぎりである」みたいな、昔のことを懐かしむものばかりで、少なからず辟易させられましたね。また、いろんな雑誌に載せられていたものの寄せ集めなので、同じような話が何回も出てくるところにも閉口しました。



もちろん、これ1冊で久世光彦のエッセイのなんたるかを論じてはいけないとは思いますが、なんだかねぇ…。


けっこう期待して読んだんですが、ちょっと残念でした。

百のセルフリメイク

2010-09-14 15:18:05 | か行の作家
久世光彦「百先生 月を踏む」読了


「小説トリッパー」という文芸誌に2005年~2006年にかけて連載していたものを単行本として刊行されたものです。最終章の第5章は著者急逝のため未完として終わっています。


しかしこれはすごいですねぇ。凝りに凝ったというか、すごい仕かけになっています。久世光彦の小説的技巧というものが、これほど華麗とは、恥ずかしながら知りませんでした。



内田百ならこういう小説を書くだろうと、久世光彦が考えた小説をそこここに散りばめ、小田原の〈経国寺〉の離れに居をかまえた百の行状を描いた、これはジャンルでいうと何になるんでしょうね。もちろん全編フィクションなんですが、まぁすべてをひっくるめてひとつの小説ということでしょうか。


以前、百の「百鬼園随筆」を読んで、面白いけどちょっと自分の好みではないと思ったんですが、俄然内田百の小説が読みたくなりました。


久世光彦の素晴らしい才能にもふれることができ、久世の他の作品も読まなければと思っております。久世光彦の未読本、家に2冊くらいあったような…。


以下に覚書として内田百の小説を書き並べておきます。

「冥途」「件」「道連れ」「旅順人城式」「山高帽子」「昇天」「サラサーテの盤」

小説という厄介なしろもの

2010-09-07 15:10:45 | あ行の作家
岡崎武志編「夕暮の緑の光――野呂邦暢随筆選」読了



1980年に42歳の若さで急逝した野呂邦暢の随筆を、書評家でライターの岡崎武志が選びぬいて1冊の本に仕上げたものです。


寡聞にしてこの作家のことは全く知らなかったのですが、いいですね、この人。堀江敏幸とテイストは少し似てるんですが、でもまたちょっと違う。うまく言葉で言い表すことがむずかしいです。


言葉の選びかたがすごいです。研ぎすまされてるというか…。例えばこんな文章。

東京で執筆活動をした方がなにかと便利なのに、何故生まれ育った諫早を離れないのか
という問いに対して…。


「…小説という厄介なしろものはその土地に数年間、根をおろして、土地の精霊のごときものと合体し、その加護によって産みだされるものと私は考えている。(中略)
 河口の湿地帯をぶらついて海を見るとき、私は『ここには何かがある』と思う。それが何であるかは即座にいえない。静かな空を映して流れる水の無垢そのものの光に私は惹かれる。灰褐色の干潟は太古からまったく変わらぬたたずまいだ。創世記を思わせる初源的な泥の輝きは朝な夕な眺めて飽きない。諫早を去るということは、この河口と別れることである。」


この言葉の選び方、漢字の使い方、あえて漢字を使わずにひらがなにするところ。そして句点の打ちかたひとつまで綿密に計算された美しい文章。もう、うっとりします。


素晴らしい作家を岡崎氏に教えてもらいました。以下に文中で野呂邦暢が愛読した本を書き並べてみます。アマゾンがブックオフあたりで探していきたいと思います。また、野呂本人の著作も読んでいくつもりです。




アラン・シリトー「漁船の絵」
        「土曜の夜と日曜の朝」
        「長距離走者の孤独」 

フィリップ   「小さき町にて」

永井荷風    「断腸亭日乗」

カロッサ    「医師ギオン」
        「ルーマニア日記」

コンスタン   「アドルフ」

ブレヴォー   「マノン・レスコオ」

カミュ     「結婚」(エッセイ集)

ボルヘス    「不死の人」

J・グリーン  「閉ざされた庭」


以下、野呂邦暢の作品

「草のつるぎ」(長編)            「とらわれの冬」
「砦の冬」(「草のつるぎ」の続編)      「伏す男」
「海辺の広い庭」(短編)           「回廊の夜」
「鳥たちの河口」(短編)           「愛についてのデッサン」(長編)
「壁の絵」(短編 デビュー作)        「落城記」(長編)
「ふたりの女」(短編)            「丘の火」(長編)
「一滴の夏」(短編)





いつも床屋へ行った帰りに寄る本屋で、何を思ったか、以下の本を購入。


小林信彦「昭和が遠くなって~本音を申せば③」
志賀直哉「暗夜行路」
古川日出男「ハル、ハル、ハル」
中島義道「エゴイスト入門」
山崎ナオコーラ「浮世でランチ」
車谷長吉「飆風(ひょうふう)」


普通の本屋で文庫を一度に6冊も買うなんて、自分としては非常に珍しいことであります。気持ちが「買いモード」になってたんでしょうね。

純粋無垢の人

2010-09-05 12:51:51 | や行の作家
山口瞳「男性自身シリーズ~英雄の死」読了



前回の「庭の砂場」に触発されて、またまた山口瞳を読んでみました。これは再読です。


小学校時代からの親友といえば黒尾重明であったなら、社会に出てからの盟友というべき人物は梶山季之であることは、彼を知る者なら異論はないと思います。

山口瞳、梶山季之に限らず、昭和30~40年代という時代には、すさまじいまでの作家がいたのだなぁと感慨にふけってしまいます。


山口瞳は、いろいろなエッセイの中で、「梶山は死ぬ気だった」とたびたび書いています。これは、文字通りいつ死んでもおかしくないくらいの仕事量をかかえていたということであると思われますが、それに旺盛に立ち向かっていくタフさというものが、とにかくすざまじいです。


梶山季之が亡くなったあと、作家の岩川隆という人が「小説・梶山季之」という本を出しているそうです。一度読んでみようと思っております。





岡崎武志氏のブログに触発されてネットで以下の本を購入


岡崎武志編「夕暮の緑の光~野呂邦暢随筆選」




ついでにボヘミアン・ブードゥーという、横浜を中心に活動しているジャズ(フュージョン?)バンドの「ラピス・ラズリ」というCDを購入。なかなかよかです。