トシの読書日記

読書備忘録

諫早の光と風

2016-07-26 17:06:31 | な行の作家


野呂邦暢「草のつるぎ/一滴の夏」読了



本書は今年3月に講談社文芸文庫ワイド版より刊行されました。14年前に講談社文芸文庫から出版されていたものが絶版となり、今年、ワイドとして再刊されたのです。「ワイド」というのは、従来の講談社文芸文庫より活字も判型も一回り大きいとのことです。比べてみたら確かにそうでした。


とまぁそんな本の型のことよりも、この内容です。やっぱり野呂邦暢、いいですねぇ。この作家は、いつもブログを見させてもらっている文筆家の岡崎武志氏より教わりました。


第70回芥川賞受賞作となった「草のつるぎ」を始め、著者のいわゆる青春時代というものに強い思いを込めた作品が収められています。その「草のつるぎ」の中で主人公の海東が、今まで自分の考えていたことが全くの錯覚であったことを自分で気づくシーンがあります。以下引用します。


<ぼくはかつて他人になりたいと思った。ぼく自身であることをやめ、無色透明の他人になることが望みだった。なんという錯覚だろう。ぼくは初めから何者でもなかったのだ。それが今分った。何者でもなかった。水に浮いて漂っている今それを悟った。>


自分の考える理想と現実の自分とのあまりの大きな差異に強い自己嫌悪を覚え、屈託の日々を送ることに嫌気がさし、自分を変える何かがそこにあるかも知れないという思いと、逆にどうにでもなれというすてばちな気持ちとで自衛隊に入隊し、厳しい訓練を受ける中で、主人公の海東が受けた自分自身による啓示です。


自分の若い頃を振り返ってみると、この海東の思いにはものすごく共感できるものがあります。まぁ自分はここまで深く考えてはいなかったんですが。


諫早の光と風を透明感のある筆致で描き、その真逆に位置する男の屈託と焦燥。ほんと、うまい作家です。


野呂邦暢、どこかにもう一冊あったような気がして探しかけて思い出しました。多分、姉に貸したままのがあったと思います。返してもらって再読してみようと思います。

時代と共に変る言葉

2016-07-26 16:20:04 | あ行の作家


NHKアナウンス室編「『サバを読む』の『サバ』の正体」読了



本書は平成26年に新潮文庫より発刊されたものです。バタイユ、中村文則と、ちょっと重いものが続いたので、軽いものを手に取ってみました。


数の数え方、いまどきの若者の間で交わされる言葉、時間を指す言葉のまぎらわしさ、ちょっとおかしな言葉づかい等、言葉に関する疑問、誤用等をわかりやすく解説したものです。


自分が、あーこれは使い方が難しいなと感じたのは、「まで」という言葉の使い方です。例えば、ある会社の部長に用事があって電話をしたら、「部長は20日まで出社しません」と言われた場合、この部長は何日から出社するのか、という問題。自分は21日だと思うんですが、では、電車のアナウンスで「この電車は上野駅まで止まりません」と言われた場合、この電車は上野駅には止まると思う人がほとんどだと思うんです。


だから、さっきの部長の話にもどって、今の電車の話を当てはめてみるなら、この部長は20日に出社することになるわけです。これ、不思議ですね。


あと、「前」と「後」の問題。「前」という言葉は「前に進む」とか「前を向く」というように、前方を指すわけですが、時間の話になると「三日前」とか「前に会ったことがある」というように、過去を指す言葉になるわけです。逆に「後」というのは「最後列」とか「背後」というように、あるものより後方のことを言うわけですが、時間を指す場合、「三日後」とか「今後」というように、先の、未来のことを指すんですね。これも不思議です。


また、若い子がよく使う「へこむ」「はまる」という言葉は、江戸時代からあったんだそうです。意外と由緒ある言い方だったんですね。


他にも「朝っぱら」の「ぱら」の語源とか、風邪はなぜ「ひく」のか等々、大変楽しく勉強させて頂きました。



圧倒的に美しく輝く「黒」

2016-07-26 15:39:53 | な行の作家


中村文則「王国」読了



本書は平成27年、河出文庫より発刊されたものです。


以前読んだ「掏摸(スリ)」の兄妹編ということで、興味が湧いて手に取ってみました。やはり「掏摸」あたりから中村作品は傾向が変わってきてますね。昔はどん底に暗いばっかりの小説がほとんどだったんですが、暗いのは相変わらずですが、どちらかというとエンタメ系の方向へ向かっている印象です。


今回は珍しく「ユリカ」という女性が主人公です。矢田という正体不明の男から依頼を受け、娼婦になりすまして社会的要人に接近し、その男の弱みを握る。そうして報酬を得るという仕事をやっているんですが、ある日偶然に自分が幼い頃入っていた施設の仲間と会う(これは後で仕組まれたことだと知る)。そして今の施設長を名乗る近藤という男とも会うことになるのだが、この男は実は木崎という裏社会を掌握しているとんでもないやつなんですね。


ユリカは矢田から木崎に接近して情報を盗み出すよう指示されるんですが、これが見事に失敗に終わり、殺されかかる。しかし、なんとかそれを逃れ、逆に木崎から矢田の情報を流すように命令される。


ユリカは二つの組織の二重スパイのような立場になり、両方にうまく嘘をつきながらパスポートを偽造して海外へ逃げようとする。しかし、これも木崎の知るところとなり、また木崎に殺されかかるのだが、木崎の気まぐれからか、逃げることを許される。


とまぁストーリーはこんな風なんですが、木崎の、人を殺すとき、殺される人間の、なんで自分が?という理不尽な思いとか、その遺族やまわりの人間達の悲しむ様を想像し、それに心の底から同情し、しかしなおも深くナイフを突き立てる、これが快感だという言葉が、かなり胸にどしんときましたね。こういった感覚は中村文則にしか書けないでしょう。


全体になんだかサスペンス劇場のような雰囲気で、作品そのものには深い感情移入できなかったんですが、木崎という男、かなりヤバいです。



日本人の情緒

2016-07-19 14:27:05 | た行の作家


谷崎潤一郎「陰翳礼賛」読了



本書は平成7年に中公文庫より発刊されたものです。初出は昭和5年~23年に中央公論、文藝春秋等の文芸誌に発表されたものとのことです。


谷崎潤一郎の小説は今まで数多く読んできましたが、エッセイは多分、これが初めてです。谷崎が好む日本的なものが、あの名文によって綴られています。


印象に残った部分、引用してみます。


<(前略)美と云うものは常に生活の実際から発達するもので、暗い部屋に住むことを餘儀なくされたわれわれの先祖は、いつしか陰翳のうちに美を発見し、やがては美の目的に添うように陰翳を利用するに至った。事実、日本座敷の美は陰翳の濃淡に依って生れているので、それ以外に何もない。(中略)われわれの座敷の美の要素はこの間接の鈍い光線に外ならない。われわれは、この力のない、わびしい、果敢(はか)ない光線が、しんみり落ち着いて座敷の壁へ沁み込むように、わざと調子の弱い色の砂壁を塗る。(中略)われ等は何処までも、見るからにおぼつかなげな外光が、黄昏色の壁の面に取り着いて辛くも餘命を保っている、あの繊細な明るさを楽しむ。>


このあたりが、この随筆のキモであると思います。西欧諸国のような電燈の光で部屋の隅々まで煌々と照らすのでなく、ほのかな明かりでもって部屋の中に明るさの濃淡をつけ、その風情を楽しむと。日本人はこんな繊細な心持ちで暮らしているんだと谷崎は言うわけです。まぁ、今の時代にあってはこんなこともなくなってしまったわけですが。


谷崎潤一郎のこんな細やかな心情にふれることができ、なかなか充実した読書でありました。



いつもの安藤書店へ行き、以下の本を購入


野呂邦暢「草のつるぎ/一滴の夏」 講談社文芸文庫ワイド
金井美恵子「砂の粒/孤独な場所で」講談社文芸文庫
中島義道「差別感情の哲学」 講談社学術文庫
NHKアナウンス室・編「『サバを読む』の『サバ』の正体」新潮文庫
太田和彦「ひとり飲む、京都」新潮文庫
堀江敏幸「その姿の消し方」新潮社
岸本佐知子・吉田篤弘・三浦しをん・吉田浩美「『罪と罰』を読まない」文藝春秋

球体幻想

2016-07-15 16:10:17 | は行の作家



ジョルジュ・バタイユ著 生田耕作訳「眼球譚」読了



金井美恵子の「文章教室」の中にバタイユに関する記述があり、気になって買って読んでみたのでした。


一読、びっくりしましたね。これはどう評してよいものやら、とまどっております。簡単に言うとこれはエロ小説です。しかし、バタイユほどの高名な思想家が、ただのエロ小説を書くわけがないと思うので、いろいろ考えてみました。


「眼球譚」というくらいなので、眼球というのが大きなモチーフになっております。そして眼球に形状が似たものとして、玉子、睾丸、お尻等があちこちに出てきます。果てはシモーヌという少女は、教会へ行き、司祭の目の前で自慰をし、その司祭を殺して目玉をくり抜き、<その液状の物体を太腿のいちばん奥深い場所へ滑り込ませ、自分で愛撫して楽しむのだった。>(本文より)


通常、目によって事象を認識するわけですが、その当たり前の価値観をひっくり返してやろうという実験小説なのではと思います。また、当時のキリスト教的な道徳をあざ笑うかのような放埓、オナニー、肛門愛、放尿等々…こういったものを書くことで、時代に反逆しようとしたのではないかというのが私の拙い見解であります。


ただのエロ小説として読むんならこんなすごい本はないんですが、深く読もうとすると、難解なことこの上もない作品です。


ちょっと疲れました。

一級のエンタテイメント

2016-07-12 15:41:46 | さ行の作家


獅子文六「七時間半」読了


本書はちくま文庫より平成27年に発刊されたものです。初出は昭和35年に週刊新潮に連載されたものとのこと。今から56年も前の作品ということになります。


しかし面白いですね、獅子文六。いままで「コーヒーと恋愛」「てんやわんや」と読んできて、いずれもめっぽう面白く、時々ふと読んでみたくなる作家です。聞くところによると、近年、にわかに人気が再燃しているようです。


東海道本線を走る特急「ちどり」、東京―大阪間を七時間半で結ぶその車内で繰り広げられるドタバタコメディと言ったらいいのでしょうか。食堂車の給仕係の藤倉サヨ子とコックの矢板喜一、その二人の関係に横槍を入れる「ミス・ちどり」の今出川有女子。その「ミス・ちどり」に言い寄るハゲ社長の岸和田。そして有女子の色目にもてあそばれる大学院生の甲賀恭男。そしてそして恭男の母親は藤倉サヨ子を息子の嫁にとサヨ子に迫るという、もう組んずほぐれつの大喜劇なのであります。


文庫で357項となかなかの長編なんですが、一気に読んでしまいました。まぁ言い方はかなり悪いんですが、こういった毒にも薬にもならない小説、たまにはいいもんです。

6月のまとめ

2016-07-12 15:05:09 | Weblog


6月のまとめをするのをうっかりしてました。
6月に読んだ本は以下の通り


ポール・セロー著 村上春樹訳「ワールズ・エンド(世界の果て)」
池波正太郎著 高丘卓編「酒肴日和」
平松洋子「サンドウィッチは銀座で」
J・M・クッツェー著 くぼたのぞみ訳「マイケル・K」
講談社「群像」2016年3月号
金井美恵子「文章教室」
松浦寿輝「そこでゆっくりと死んでいきたい気持ちをそそる場所」
吉田健一「金沢/酒宴」



以上8冊と6月も好調でした。クッツェーの「マイケル・K」、大きな衝撃を受けました。松浦寿輝「そこでゆっくりと死んでいきたい気持ちをそそる場所」もいつもの松浦とは違う魅力で読ませました。そして大御所、吉田健一。すごいです。食えない爺さんです。



6月 買った本3冊
   借りた本2冊

滅びる人間のために祈る者

2016-07-05 16:35:01 | か行の作家


川上弘美「大きな鳥にさらわれないよう」読了



本書は今年4月に講談社より発刊されたものです。初出は平成26年~28年の「群像」の連載とのことです。久々の川上弘美ということで、川上弘美フリークの姉がすぐ買い、すぐ読んですぐに貸してくれたのでした。


が、しかし、これはどうなんでしょうねぇ。今までの川上弘美とはかなり違う、いわゆる新境地ということなんでしょうが、はっきり言ってつまらなかったです。これはただのファンタジー、絵空物語じゃないですか。現実の世界を微妙にゆがませて物語を展開していくところに川上弘美の真骨頂があるはずなのに、これはちょっといただけません。これを江國香織とか梨木果歩とかが書いたんならうなずけます。だったらもちろん読みませんが。


人類のかなり先の未来の話をファンタジー仕立ての物語にしてあるんですが、人類が争ったり憎みあったりして滅んでしまったと。結局大切なのは「愛」みたいな予定調和の話になってしまっている感じで、まったく川上弘美らしくない。猛省を促したいですね。


非常に残念でした。

言葉の魔力

2016-07-05 15:39:33 | た行の作家


多和田葉子「海に落とした名前読了



本書は平成18年に新潮社より発刊されたものです。4編の中・短編が収録された作品集です。相変わらずの多和田葉子です。いいですねぇ。


「U.S.+S.R.極東欧のサウナ」と題された短編、創作の裏側を垣間見るような仕立てで、今までの多和田葉子とはちょっと違う作風を見せてくれました。


それから「時差」という作品では東京とニューヨークとベルリンに住むゲイの男達の遠距離恋愛と三角関係という内容で、それぞれがそれぞれの「元カレ」という」設定で、読んでいてめまいがしました。


また、「土木計画」という短編では、女社長と同居する克枝が、日々弱っていき、最後には死んでしまうという話なんですが、最後、読み終わって「猫だったんかい!」と思わず口に出してしまいました。


多和田葉子の作品はひととおり読んできたつもりだったんですが、こんなに面白い作品を見逃していたんですね。うかつでした。でも読めて幸せです。