Arch Angel 1999年1月号
表紙
今さら言うまでもなく、
このブログで取り上げる音楽誌は、
EL&P関連事項が少しでも記載されているモノです。
音楽誌の表紙に必ずしもEL&Pの文字が見つからないにせよ、
頁をめくっていたらEL&P関連の記事が出てきたりしますから、
EL&Pが取り上げられている古雑誌を探すには、
表紙の文字だけをあてにせずに、
一通り目を通す必要があるわけですね。
とは言え、
すべての音楽雑誌に目を通す事は、
一生かかっても達成は出来ない事であります。
この「Arch Angel 1999年1月号」も、
表紙にEL&Pの文字はないわけですが、
12頁から13頁にかけて、
高野正和さんという方が、
その頃に発売された、
3種類のライヴCDと共に、
独特な評論を展開されています。
3種類のライヴCDは、
「ワイト島のフェスティヴァル」
「ゼン&ナウ」
「ライヴ・イン・ポーランド」
で、白黒のアルバムジャケットの写真があって、
簡単なレビューが載っています。
それ自体は、
そんなに特徴のあるレビューではないですね。
以前、「ライヴ・アット・ロイヤル・アルバート・ホール」が、
リリースされた頃、
ロッキング・オン誌に掲載された、
確か、市川さんのレビューを立ち読みした事があり、
「捨て身の予定調和」的なタイトルだったように思いますが、
高野さんは、そのような感じを、
ドラマの「水戸黄門」にそれをたとえています。
ライヴ演奏の中で、
キースがやるアクションは、
想定外の事は特に無くて、
「ナイフ突き刺し」
「逆さ弾き」
「シンセサイザーを股間にこすりつける」
が、ほぼ、パターン化されているわけですが、
オーディエンスとしても、
何をやるかは解っていても、
それを期待しているという事ですね。
確かに、ドラマの「水戸黄門」に関しては、
そんな感じで見ているところがあります。
高野さんがいうには、
キース自身は、特に聴衆が求めているから、
そのパフォーマンスを期待通りに演じるのではなく、
自分が生み出したそのパフォーマンスを、
キース本人がただ楽しんでいるだけなのだという事。
これは、そうかも知れません。
面白いのは、
「ラジオ体操第一」と「ラジオ体操第二」の音楽を、
プログレに重ねて合わせた論評を展開しており、
完成度が高いのが「第一」で、
実験的要素が多いのが「第二」だとの事。
そして、実験的要素の多い「第二」を、
キースに弾いてもらいたいとの事。
「ラジオ体操」という発想も、
EL&Pが体育会系と称される事などから、
連想したのかも知れません。
日本人なら誰もが知っている、
ラジオ体操の音楽を持ち出してきて、
プレグレからキースにつなげるこの論評そのものが、
解りやすくて画期的であると感じた次第。
以上。
EL&Pを愛しつづけてまいりましょう。
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