ウマさ特盛り!まぜまぜごはん~おいしい日本 食紀行~

ライター&編集者&散歩の案内人・上村一真(カミムラカズマ)がいざなう、食をテーマに旅をする「食紀行」を綴るブログです。

高田本山てくてくさんぽ2

2019年11月26日 | てくてくさんぽ・取材紀行
専修寺のある一身田は、「寺内町」という珍しい構造の町割がされている。室町期に専修寺がこの地に移ってきた際、寺院を中心に町づくりがされた。その際に近隣を流れる毛無川から水を引き、「環濠」という水路で町の周囲を取り囲んだのだ。その規模は東西500メートル・南北450メートル、幅は5メートルほど。当時は大寺院は町の自治権を持つことができ、戦乱期だったために寺院や町を防御するために設けられたとされる。

寺内町の出入口は3か所あり、いずれも石橋や太鼓橋がかけられ門が設けられていた。駅から専修寺へ向かってまず出くわす「桜門」は、京都方面からの玄関口。現在は赤い欄干が架けられ、「安楽橋」と名を変えている。黒門跡(右下写真)は伊勢側の入り口で、寺内町の総門になるため番所が設けられていた。もう一つの赤門は、寺内町の北東にあった。いずれも現存しないが、これとは別に専修寺の山門から続く釘貫門(上写真)は、木材を渡しただけの簡素な門と石橋が残っている。寺域と町人地を隔てる「結界」の役割を持っていたとされ、抜けると石畳の門前通りから門前町の商店街へと繋がっている。

門や環濠の史跡のほかにも、村界を示すための水路、江戸道や京道の参詣道が交わる場所の高札場と道標、聖徳太子立像を有し境内にレプリカの銅像が立つ厚源寺など、本山周辺にも見どころが多い。史跡めぐりだけでなく並行する町人地、いまの商店街も歩いてみましょう。

高田本山てくてくさんぽ1

2019年11月26日 | てくてくさんぽ・取材紀行
津から足を一駅のばしてやってきたのは、一身田という駅。国宝の堂がある大寺院のまわりを2時間ほど、高田本山てくてくさんぽ、いってみましょう。

この街の見どころは駅から5分ほどの、高田本山こと専修寺(せんじゅじ)である。親鸞上人の教えを継承する浄土真宗の一派・高田派の総本山で、室町期の文明年間に真慧上人により創建された。3万坪もの広い境内には、国宝2棟、重文11棟の壮大な伽藍が広がり、隅々までめぐれば数時間はかかりそうな広大さである。

国宝に的を絞って拝観すべく、まずは肘木で組んだ二階建ての巨大な山門をくぐって、正面の御影堂を参拝。親鸞上人の木造が安置される、伽藍の中でも主となる建物だ。堂内へ入ると、42×36メートル・畳780畳敷の広さにまず驚く。欄間には竜や鳳凰の鮮やかな彫刻が施され、須弥壇付近は欄間のハスや柱や戸や壁が金襴で装飾されるなど、艶やかなしつらえに言葉が出ないほど圧倒されてしまう。親鸞の大師号「見真」の文字が記された扁額の下には、金箔で装飾された宮殿が配され、ここに歴代の上人がいらっしゃるという。

心して参拝したら、如来堂へも足を運んでみることに。見事な檜皮葺の唐破風が施された唐門の延長に位置し、御影堂とは通天橋で結ばれている。こちらの宮殿も彫刻や金箔で華やかに装飾されていて、金の須弥壇に立つ本尊の阿弥陀如来像から、まるで後光が放たれているように見える。煌びやかな御姿を拝みつつ、しっかりと参拝を。

周囲の門前町に特徴があるので、小一時間ほど歩いてみましょう。

とらや本家のいちご大福@津

2019年11月26日 | 旅で出会った食メモ
津が発祥でありながら、いまいちそのイメージに欠ける食文化。中でも全国区の和スイーツとなったこちらは、津の和菓子屋が考案した(諸説あり)ことは、ほぼ知られてないのでは。大門商店街の入り口にある「とらや本家」がその店で、11月から5月にかけてのイチゴが旬の時期しか扱わない、こだわりの品だ。

販売は2つ単位で、見た目はわりと小ぶり。そのはずで、中は大振りのイチゴが求肥の中にそのまま入っているようで、ほぼイチゴのみ詰まった感じに見える。まわりの白あんは薄めだが、かじるとイチゴのフレッシュな酸味を包むように、濃厚な甘さが広がる。甘さと酸っぱさ、サイズにジューシーさ、いずれも計算された逸品である。

イチゴのほかにも季節の果物を用いた大福が揃い、今は栗にみかんの文字も。別の種類を組み合わせて売ってもらえると、食べ比べができて楽しそうだ。

ローカル魚でとれたてごはん…津 『はし家』の、うなぎ丼

2019年11月26日 | ◆ローカル魚でとれたてごはん
藤堂高虎が築城した津城、日本三大観音に挙げられる観音寺、その門前町で伊勢街道が通っていた大門商店街、白砂の贄崎海岸と世界を結ぶ空港の玄関口であるなぎさまち。観光や街歩きのイメージが薄かった津の市街だが、巡ってみると歴史や文化や景観などの見どころがたくさん見つかった。食文化も他所に持っていかれがちながらも、元祖の店が持つ地力はやはり違う。人柄が穏やかでPRが下手と自嘲されてはいるが、その裏に隠された「本物」を、2日にわたる津さんぽで存分に見せてもらった思いがする。

その最後の締めくくりにいただくのは、津市民の常食であるウナギだ。浜松や南九州など日本を代表する養鰻の地は変遷しているが、津もかつては日本有数の養鰻が盛んな街であったことは、あまり知られていない。古くは藩主の藤堂氏が、藩士の滋養強壮のため城下に鰻屋を集めたのに始まり、安濃川や岩田川など栄養価が高い水に恵まれていたこと、湾岸の低地に養鰻用の池が設けやすかったことから、戦前から戦後にかけて津の養鰻業は隆盛を極めた。その名残で現在も市街には20軒余りの鰻屋が構え、津の鰻食文化を今に伝えている。

贄崎海岸方面へ散歩した帰り、フェニックス通りを歩き大門商店街の手前を入ったところの「はし家」を、津のウナギの実力を伺う店に選んだ。到着したら開店の15分ほど前ながら、すでに行列ができている。少し時間をつぶして開店10分後に再訪すると、自分でちょうど満席になるほどの盛況ぶりだ。お客はほぼ年配の地元客で、家族のハレの日に使うことが多く、行きつけの店が決まっているのだとか。品書きによると小の蒲焼2切が1350円、特上の5切は3000円で、ひと切れあたり550円でランクが上がる計算になる。

にしても並が1000円台でいただけるとは、さすが大衆食として普段使いされるだけある値頃感だ。運ばれてきた丼のふたを開けた瞬間の、モワッと立ち込める湯気と香りがたまらない。さっそく箸をかけるとやわっ、と崩れそうな柔らかさ。関西風の腹開きにして備長炭で焼き上げており、表が皮目でない側なのにカリカリに香ばしい。そして皮側はトロトロ、脂があとからズルズルに染み出てくる。これは濃厚、もったり重い脂甘さで、漬物とご飯で一息つきたくなるほどだ。

そのご飯、一般的に鰻丼の米はタレが染みるのを計算して硬めに炊くのだが、ここのはとにかく柔らかい。米は県産の伊賀米や一志米を使用、潰れないギリギリでウナギとともにやわやわの食感だ。おかげで体への入りがよく、躊躇なくかっ込める。たまに混じる炭火のコゲが香ばしさを増し、得した気分がする。蒲焼は2切れながらご飯の量とのバランスもちょうどで、少し残ったご飯は底に残ったタレとからめていただいた。やや辛めで酸味があり、さっぱりと締められる。あっさりめの肝吸いもいただいて、ごちそうさま。

食べている間もひっきりなしにお客が入れ替わり、さっと食べてパッと帰っていく。津はひとりあたりのウナギの消費量が日本一とのデータもあり、地元に浸透した食文化なことが体感できた。店を出ると、すぐそこはかつての伊勢街道。お伊勢さま参りの旅人や、観音様詣での参詣客も、界隈の鰻屋でスタミナ補給をしていったことだろう。大門商店街を歩きつつ、そんないにしえの津の賑わいに思いを馳せるのも楽しい、津のローカル食探訪である。