ウマさ特盛り!まぜまぜごはん~おいしい日本 食紀行~

ライター&編集者&散歩の案内人・上村一真(カミムラカズマ)がいざなう、食をテーマに旅をする「食紀行」を綴るブログです。

旅で出会ったローカルごはん97…広島・大久野島 『休暇村大久野島』で、ウサギと遊んでタコ料理を賞味

2007年09月15日 | ◆旅で出会ったローカルごはん


島の山頂の展望台から。周囲の島々を一望

 広島への家族旅行2日目は、広島平和記念公園で原爆にまつわる資料や戦跡をがっちり巡ったこともあり、少々くたびれてしまった。広島港を望むリゾートホテルへいったん戻ってひと休みしたら、夜はみんなでゲームコーナーやボウリングに興じ、子供が寝静まってからは家内と最上階のラウンジで、海の夜景を眺めながらカクテルを傾けて、と、ホテルライフをしっかりエンジョイしながらくつろいだ。
 最終日は瀬戸内に浮かぶ小島・大久野島で半日遊んで、夕方の飛行機で帰京するだけなので、前夜の遊びすぎもあってゆっくり目のスタートとなった。10時半にホテルを出発して、瀬戸内の多島美を車窓から楽しみながらドライブすること2時間ほど。塩田で栄えた小京都・竹原のやや先の忠海港にクルマを停めて、桟橋に出ると3キロほど沖合に浮かぶ島が、石を投げれば届きそうな(?)ほど眼前に見える。クルマを港に泊めて、これまた小さな渡し船に乗り換えて10分ほどの船旅を楽しんだら、大久野島の小さな桟橋へとたどり着いた。
 大久野島は竹原市の沖合に浮かぶ、周囲4キロほどの小さな島である。桟橋から上陸すると、周囲からワラワラと集まってくるウサギ君達。白、茶色、グレーに黒と、彩りは様々でみんななかなか愛らしい。

 桟橋には何と、島にある「休暇村大久野島」の方が迎えにきてくれていた。この島には公共の宿泊施設である休暇村が立地していて、島全部が休暇村の敷地になっている。休暇村は仕事で関わることが多く、全国各地でお世話になっている。今回も家族旅行のついでに、休暇村にご挨拶に寄る旨を東京の案内所に伝えていたところ、職員の方が島を案内してくださるなど、色々お世話頂くことになり、恐縮というか実にありがたいことである。
 子供たちは桟橋近くで集まってくるウサギたちがお気に入りの様子で、なでたり追っかけたりとなかなか腰を上げてくれない。「休暇村の宿泊棟近くにもいっぱいウサギはいるから、後で遊べますよ」にようやく納得して、クルマに乗り込んだらまずはお遊びの前にお勉強。この島、のどかなリゾートアイランドである一方、戦争にまつわる史跡も豊富で、広島で原爆関連の資料や戦跡を見学した流れで、合わせて見物していくことにする。

 クルマでまず向かったのは、島中央にそびえる山の山頂。クルマを降りた先には、レンガ造りの小部屋のような建物がいくつか並んでおり、少し歩くとやや掘り下げたような広い空間へと出た。周囲の壁面は花崗岩でしっかり石組みされ、広々した地面の部分もすべて石敷き。そして地面には何やら丸い形が残っているのが分かる。
 この島、戦時中は「芸予要塞」と呼ばれ、本土と島の北側の海峡を警備するため、いくつもの砲台が据えられていたという。ここは島最大の砲台があった「中部砲台跡」で、手前のレンガの建物は兵舎、丸い形のところが砲塔の台座になっていた。2基分の台座がふたつ、計4基の砲塔が据えられたとされている。


中部砲台跡。砲塔の台座と兵舎が残っている

 据えられていた砲塔は、当時としては最大規模だったそうで、こんな本土の奥深くにまで、本土決戦の際に備えて防備していたのか、と思いきや、ここで指す戦時中は第二次世界大戦ではなく、日清・日露戦争のこと。付近には呉など軍の要衝があるため、万が一の外敵侵入に備えて設置されたのだそうだが、実際には使われることはなかったという。
 ちなみにこの大砲、目標に向けて弾を打つのではなく、上に向けて発射して、敵の上から弾が落ちるように狙う仕組み。砲台の回転手と照準手、そして指揮する上官と、声をかけながらの作業だったというから、今の兵器に比べアナログというか、アバウトというか。実働していたとして、ちゃんと敵に弾が当たったんだろうか。
 壁面の彫りこんだ部分は、大砲の弾を立てて並べていた跡です、と休暇村の方。近づいてよく見ると、弾の筒の曲面に合わせて、弾を置きやすいよう壁面をカーブに削ってあるのがリアル。続いて見学した「北部砲台跡」には何と、砲弾の丸い形に錆が残っているから、合わせて弾の大きさを想像してみる。

 頂上の展望台から、周囲の島々をバックに記念撮影をして、ほかいくつかの戦跡や資料館を巡ったところで、お勉強の時間は終了。休暇村の宿泊棟に到着して、ウサギの餌をもらった子供たちは、建物前の芝生の園地で飛んだり跳ねたりしているウサギたちに向けて、すっとんでいってしまった。
 大久野島には約500羽のウサギが棲息していて、観光客を愛らしく迎えてくれる。山間部に住むウサギは野生化しているけれど、海岸沿い や休暇村の宿泊棟付近にいるのは人に慣れており、餌をあげたり一緒に遊んだりできるのが、この島の楽しみのひとつでもある。
 園地の芝生に腰掛けてひと休み、ふとそばの木陰を見ると、まだ小さい小ウサギが数匹、体を寄せ合っている。試しに餌をあげてみたけれどまだ幼いからか、警戒心が強いよう。見つけてすっとんできた娘にびっくりして、跳ねて逃げて行ってしまった。
 逆に成長したウサギは人を怖がらない、というか堂々としていて、手のひらにのせた餌を直で食べている。休暇村の玄関近くや、桟橋に特に集まっており、人がよく通る場所を分かっているんだろうか。特に桟橋近くは、船で帰る前の客が残ったウサギの餌をぜんぶ撒いていくことが多いから、格好の優良餌場なのだろう。
 ウサギはコンビニのビニール袋を広げる音で、袋の中身の食べ物をくれる、と思ってか寄ってくるとのこと。試しにカバンから袋をとり出し、大げさにワシワシと音を立てたところ、360度全方位からダッタカダッタカとウサギが大集合。中には2本足でよいしょ、っと立ち上がって餌をねだるウサギ君の姿も。


島のあちこちにいるウサギ。人によく慣れている

 ご親切なことに、休暇村の方が休憩用に部屋を用意して下さっており、ちょっとひと休みさせてもらうことに。2つある展望温泉浴場のうち、瀬戸内の海を大きなガラス窓から臨む西側の浴場で汗を流して戻ってくると、先ほどの方が「折り詰めですが、どうぞ召し上がってください」と、何と食事まで運んできてくれた。ひとり2つずつの折になっていて、片方は炊き込みご飯、もう片方は天ぷらや煮物、から揚げなどのおかずがいっぱい。炊き込みご飯は、瀬戸内名物のタコが具のタコ飯で、刻んだタコをご飯と一緒に炊いてあるから、タコの甘く香ばしいダシがご飯にしみて、これはとまらない。おかずの折にも、ホコホコ、プッツリと食感が心地よいタコの天ぷら、長時間かけて煮込んであるためトロリと柔らかなタコの柔らか煮など、まさにタコにこだわった品揃えである。
 瀬戸内は多島海のため、島と島の狭い海峡に早い潮が流れている。そこで育ったマダコは、潮流に運ばれてくるエビや貝、カニといった餌に恵まれるため味がよく、潮で身がもまれるためにしっかりと締まっている。漁法はおなじみの「タコ壺漁」。浅い海底に、10メートル間隔ほどで壺を仕掛けた縄を数本流しておき、数日後に引き上げると、その1割ほどにタコが入っている、という寸法だ。大久野島の近海も同様に、タコの優良な魚場であり、休暇村もタコをはじめとする大三島出身の料理長が選んだ素材を用いた、「瀬戸内こだわりバイキング」が好評を博している。
 タココーナーでの人気はやはり、タコの混ぜご飯の「もぶり寿司」と、じっくり煮込んだタコの柔らか挟み串。ちなみにタコは産卵期を控えた冬場が旬で、休暇村でも「バイキング&温泉健康パック」など、冬場向けの商品も用意されているので、これからの季節は注目である。


左はタコ飯、右の折にはタコの天ぷらと柔らか煮が。豪華なタコ尽くしの折詰め

 …と、家族旅行であるにもかかわらず、いろいろとお気遣いいただいた休暇村にせめてばかりのお礼を兼ねて、ここで施設や料理のPRもかねていろいろとご紹介。湯上がりにタコ料理を満喫して、畳の上にゴロンとすれば、いっそもう1泊していくか、という気分になってくる。しかし、18時の飛行機の時間がそろそろ気になり始める頃合で、家族旅行もそろそろ締めくくりとなってきた。クルマを置いてある忠海港への船が出るまで、あと数十分。名残惜しいけれどせめてそれまで、じっくりとくつろいでいくとしよう。(2007年8月30日記)