ヘビーユーザーやフリークにとっては思いもひとしおな、チェーンの本店。行ってみると確かにほかの店舗にはない「格」があるように思える。日頃お世話になっている店の発祥の地であり、あまたある店舗の総本山となれば、目に見えない威厳を感じるのも自然なこと。なぜここで開業したのか、これだけの規模になるにはどんなストーリーがあったのか、などを思いつつ利用すれば、食べ慣れた定番メニューもうまさひとしおだろう。
埼玉県西部の鉄道沿線沿いに展開する「ぎょうざの満洲」の本店は、所沢駅のふた駅先の新所沢駅前にある。駅前には私鉄沿線の典型的な規模感の繁華街が広がり、線路に沿うように延びる商店街へ入った途端、正面先に真っ赤な看板が目に入ってくる。屋上に看板が据えられたビル全部が「ぎょうざの満洲本店」で、かつては本社機能もあったが、川越にできた新工場へと移転。空いたフロアを利用してか、ビルには「パーティールーム」が設置されているのも、本店らしい規模感が感じられる。
店舗はビルの1階に普通に入っていて、屋号の末にさりげなく記された「本店」の文字のほかは、ほかの店舗と見た目は変わらない。店内に入ると、そこはいつものぎょう満。とはいえせっかく聖地に足を運んだのだから、ここは屋号にもなっている餃子推しのメニューを頼んでおきたい。ダブルで頼んだ餃子は12個がつめつめに並んでおり、銀座の名店のそれを思わせる存在感がある。ほかにはご飯とスープと漬物のみ、これぞ餃子定食のスタンダードなスタイルだろう。
普段は定食や丼もののオプションに餃子をつけるのだが、今日は丼も麺もおかずものも挟まず、主賓として真摯に対峙してみる。玄米ご飯と餃子のひたすらな往復ながら、改めてその普段使いな出来に感心する。野菜多めのあっさりしたあん、うすめながらもっちりした皮は、特段の個性はない分、いくらでも箸が伸びるタイプだ。青森県産美保野ポークとか脂を控えた赤身とか、メニューにある蘊蓄も眺めてはおくが、それはさておいての「いつもそこにある」身近さがありがたい存在なのだ。
昼時とくれば満席必至かと思いきや、大体8割ぐらいの埋まり方で保たれているよう。お客も近隣の年配層がほとんどの様子で、食べ終えて外に出て店頭にて遭遇する方々も、混み具合を気にしつつも通い慣れた様子だった。近隣の方にとってはいつもの店な訳で、あるがままにさりげなく存在するのが、チェーンの本店らしいスタンスなのかもしれない。屋上の大看板に会釈をして聖地を後にする、聖夜の日の本店探訪さんぽである。
埼玉県西部の鉄道沿線沿いに展開する「ぎょうざの満洲」の本店は、所沢駅のふた駅先の新所沢駅前にある。駅前には私鉄沿線の典型的な規模感の繁華街が広がり、線路に沿うように延びる商店街へ入った途端、正面先に真っ赤な看板が目に入ってくる。屋上に看板が据えられたビル全部が「ぎょうざの満洲本店」で、かつては本社機能もあったが、川越にできた新工場へと移転。空いたフロアを利用してか、ビルには「パーティールーム」が設置されているのも、本店らしい規模感が感じられる。
店舗はビルの1階に普通に入っていて、屋号の末にさりげなく記された「本店」の文字のほかは、ほかの店舗と見た目は変わらない。店内に入ると、そこはいつものぎょう満。とはいえせっかく聖地に足を運んだのだから、ここは屋号にもなっている餃子推しのメニューを頼んでおきたい。ダブルで頼んだ餃子は12個がつめつめに並んでおり、銀座の名店のそれを思わせる存在感がある。ほかにはご飯とスープと漬物のみ、これぞ餃子定食のスタンダードなスタイルだろう。
普段は定食や丼もののオプションに餃子をつけるのだが、今日は丼も麺もおかずものも挟まず、主賓として真摯に対峙してみる。玄米ご飯と餃子のひたすらな往復ながら、改めてその普段使いな出来に感心する。野菜多めのあっさりしたあん、うすめながらもっちりした皮は、特段の個性はない分、いくらでも箸が伸びるタイプだ。青森県産美保野ポークとか脂を控えた赤身とか、メニューにある蘊蓄も眺めてはおくが、それはさておいての「いつもそこにある」身近さがありがたい存在なのだ。
昼時とくれば満席必至かと思いきや、大体8割ぐらいの埋まり方で保たれているよう。お客も近隣の年配層がほとんどの様子で、食べ終えて外に出て店頭にて遭遇する方々も、混み具合を気にしつつも通い慣れた様子だった。近隣の方にとってはいつもの店な訳で、あるがままにさりげなく存在するのが、チェーンの本店らしいスタンスなのかもしれない。屋上の大看板に会釈をして聖地を後にする、聖夜の日の本店探訪さんぽである。