今日は67回目の広島・原爆の日である。自分の両親も広島県出身だが、広島市からは東に90キロほど離れた芸予諸島。だから直接の被害はなかったからか、両親からも祖父母からも原爆にまつわる話は、あまり聞いたことがない。
思えば自分が小学校の頃は、原爆の悲劇を学校教育で積極的に伝えていて、夏休みには自由研究や作文の課題に必ず出た覚えがある。広島市街の原爆被害マップをつくったり、区の公会堂で「はだしのゲン」を見て感想文を書いたり。とは言え67年という数字が重くなるにつれ、関係者が減っていき伝承が希薄になることも、また現実。旅の仕事の中でも、できることを考えていかないと。
そんな今日は父の新盆の関係で、横浜の実家そばの寺の盂蘭盆会と施餓鬼会に列席した。新盆の飾り物と餓鬼に施す米を収め、法要前に広間でちらし寿司などをご馳走になった。シイタケ、油揚げ、カンピョウが甘くホッとする味付けで、小鉢と汁椀のミョウガが蒸し暑い中で舌に鮮烈。小鉢の酢の物はキュウリと麩、すまし汁も昆布だしなのは精進料理だからだろうか。
ちなみに施餓鬼とは「六道輪廻の世界にある凡夫の中でも、死後に特に餓鬼道に堕ちた衆生のために食べ物を布施し、その霊を供養する儀礼を指す」とwikiにあるが、広義には無縁仏に対しても施し、供養する意味もあるという。原爆の日に重なったのも御縁、名もなき犠牲者のことも心に留めつつ、真摯に参加しよう。
思えば自分が小学校の頃は、原爆の悲劇を学校教育で積極的に伝えていて、夏休みには自由研究や作文の課題に必ず出た覚えがある。広島市街の原爆被害マップをつくったり、区の公会堂で「はだしのゲン」を見て感想文を書いたり。とは言え67年という数字が重くなるにつれ、関係者が減っていき伝承が希薄になることも、また現実。旅の仕事の中でも、できることを考えていかないと。
そんな今日は父の新盆の関係で、横浜の実家そばの寺の盂蘭盆会と施餓鬼会に列席した。新盆の飾り物と餓鬼に施す米を収め、法要前に広間でちらし寿司などをご馳走になった。シイタケ、油揚げ、カンピョウが甘くホッとする味付けで、小鉢と汁椀のミョウガが蒸し暑い中で舌に鮮烈。小鉢の酢の物はキュウリと麩、すまし汁も昆布だしなのは精進料理だからだろうか。
ちなみに施餓鬼とは「六道輪廻の世界にある凡夫の中でも、死後に特に餓鬼道に堕ちた衆生のために食べ物を布施し、その霊を供養する儀礼を指す」とwikiにあるが、広義には無縁仏に対しても施し、供養する意味もあるという。原爆の日に重なったのも御縁、名もなき犠牲者のことも心に留めつつ、真摯に参加しよう。