ウマさ特盛り!まぜまぜごはん~おいしい日本 食紀行~

ライター&編集者&散歩の案内人・上村一真(カミムラカズマ)がいざなう、食をテーマに旅をする「食紀行」を綴るブログです。

ローカルミートでスタミナごはん15…馬肉/長野県松本市 『三河屋』

2011年05月08日 | ◆ローカルミートでスタミナごはん

 

 レストランのメニューにある「ヘルシー」の文字に、女性は敏感だ。低カロリー低脂肪、コラーゲンや食物繊維が豊富など、栄養学的なうんちくがあればあるほど、食事をする上の安心感が高まるらしい。それは一方で、「思いっきりしっかり、たっぷり食べたい」との欲求の裏返しのようにも。遠慮なく食べても「『ヘルシー』だから」と安心するための、一種のエクスキューズ、免罪符的な解釈もあるようだ。

焼肉やステーキといった肉料理はボリュームがありカロリーが高く、旨み要素が脂に集中するため食べれば身に付いてしまうことは宿命。牛肉より豚肉、さらに鶏肉が低脂肪低カロリー高タンパクだが、それ以上にヘルシーさを追求するなら、馬肉がおすすめだ。脂肪分の少ない赤身肉のため、リノール酸やリノレン酸など体に蓄積されない不飽和脂肪酸の含有量が多く、カロリーは鶏肉並み。さらに鉄分やミネラルが豊富、かつグリコーゲンが豊富でたんぱく質の消化が良く体温を上げる作用もあり、貧血、便秘、冷え性といった、女性を悩ませる3大要因にも効果がある。免罪符など意識せずに食べても、身に付きづらいどころか体質改善にも役立つ、肉食女性にとって優れものの食肉といえる。

 

  

松本はアルプスの麓に位置する山岳都市。左が松本城、右は中町通りの古い町並み

 

 

古くから馬肉食文化圏として代表的な地域のひとつが、信州の伊那谷から松本平にかけてである。郷土料理店はもちろん、肉屋の店先やスーパーの食肉売場には豚小間や牛ロースなどに混ざって馬肉が並び、地元の人たちが常食しているのが分かる。このエリアは北アルプスから中央アルプスにかけての山麓に位置し、冬の寒さが厳しいため、体を温める効果がある馬肉が求められたとも。低カロリーとかヘルシーとか以前に、山国の厳しい環境下で暮らす上の必要食材だったのだろう。

2月下旬の松本はまだ冬まっさかりで、夕暮れの駅に降り立って駅前通りを歩いていると、沿道のあちこちに雪が残っている。中町あたりの繁華街にたどりつく頃には日もすっかり暮れ、身が凍るほどに夜風が冷たい。体を芯から温めてくれる熱々の郷土料理といえば、松本名物のさくら鍋。寒さに背中を丸めながら足早に大橋通りを歩き、松本で馬肉料理の老舗として名高い『三河屋』の玄関をくぐった。

 店は源智の湧水の先、繁華街の外れにポツンと建っており、立派な土蔵造りの建物の店頭には、染め抜きの暖簾が下がり格子戸がはめられた、重厚で格式あるたたずまい。この店は明治16年創業と歴史は古く、今では松本を代表する郷土料理のさくら鍋と馬刺しを、創業当時から出し続けている。創業時は馬肉を扱う精肉店だったこともあり、いわば松本の馬肉料理店の先駆け的存在だ。

 

 

蔵造りの建物の三河屋。店内も創業当時の面影をとどめている

 

 重い扉をガラガラと開けると、かつては帳場だったような小上がりがあり、さらに扉をカラリと開けて小さな丸いコンロが置かれたテーブルが並んだ客席へ。これだけの冷え込みなので、店内は鍋をつつく客と湯気の熱気が湧き上がっていることかと思いきや、客の姿はまったくない。松本の人はこの程度の寒さは慣れっこで鍋で暖まるまでもないのか、それとも家で鍋をつついているのかは分からないが、ともあれ閑散とした店内最奥のテーブルへ腰を落ち着けたら、暖をとるべく酒と鍋だ。

客室には客のみならず、店の人の姿もなかったが、自分に気付いたお姉さんが板場から出てきたので、まずはさくら鍋を注文。鍋が来るまでの肴は馬刺しにして、地酒はお姉さんお勧めの善哉酒造の「善哉(よいかな)」を選んだ。松本城の近くの大手に蔵元があり、馬肉料理に合わせるならいいですよ、と注文が済むと、お姉さんは再び板場へ引っ込んでしまった。ガランとした無人の店内は、ストーブは炊かれているものの寒々しい空気が張り詰めており、店のお姉さんでも新規の客でもいいから人の出入りが恋しくなる。

なので、「善哉」の冷酒の瓶と馬刺しを運んできたお姉さんに、店で出している馬肉は信州産のものなのか、と話のきっかけに振ってみたけれど、「北海道生まれの信州育ちね」と並べながらひとこと返されただけで、すぐに板場に戻ってしまった。仕方なくひとり、「善哉」を盃に注いで、何だかしんみりとした中での酒宴の始まりとなった。

 

 

左は赤身が中心の馬刺し。馬鍋に使う馬肉は脂がたっぷりついている

 

馬刺しに使っている部位は特選道産子肉馬の背ロースとヒレで、箸でつまんでみると東京の居酒屋で出されるのとは違い、厚さがたっぷり5ミリぐらいはある。脂がまったくない、深い紅色をした赤身のみ。季節柄桜肉というよりは椿のような深みがある色だ。ショウガおろしをのせて巻くようにしていただくと舌にひんやり、厚さの割にはスッとほのかな抵抗でかみ切れるぐらい柔らかい。肉の重みがなく魚の刺身のような軽さで、例えるとマグロの上級の赤身のすがすがしさだろうか。

馬肉は一般の食肉の中で脂肪分が少ない半面、獣肉独特のややくせのある風味が、牛刺しや鳥わさといった他の生肉料理よりも強い。ショウガおろしを薬味に使うのはそのためであり、信州と並んで馬刺が名物の熊本では、薬味にニンニクとさらし玉ねぎを添えるのだとか。後味を「善哉」で口をすすぐと、ビシッと辛口の口当たりで肉の後味を包み込み、さっぱりと消える切れの良さ。まさに、料理との相性がぴったりの酒である。

 

馬食文化は信州や熊本のほか、福島県の会津地方や青森県の南部地方などでも残っており、これらの地域は古くから、役馬や軍馬の産地として知られていた。信州も平安時代から馬の飼育が盛んで、特に伊那谷は武田信玄の時代は軍用馬を、江戸期には「中馬」と呼ばれる、中仙道から足助へ抜ける三州街道で活躍した荷役馬を産出していたという。このように、これらの地域にとって馬は、生活していく上でのパートナーとして、家族の一員のように大切に扱われてきたのだ。

そして馬食文化のルーツは、老衰や怪我で働けなくなった馬を、山峡でたんぱく源が貴重な土地柄、処理して食用にしたことにある。最後のご奉公として飼い主の糧となったのかと思えば、涙なしでは味わえないかも。そんな背景からか馬肉の料理法は実に幅広く、馬刺しやさくら鍋をはじめ、乾燥させた桜節、腸のもつ煮である伊那名物の「おたぐり」など、残すところなく食べつくすといった感じだ。

 

おたぐりや鍋が家庭に根付いた郷土料理なのに対し、馬刺しはいわばよそ行きの馬肉料理といえる。馬肉が生食されるようになったのは、昭和30年代後半から40年代からと、比較的遅い部類に入る。きっかけは、昭和40年代の国鉄のキャンペーン「ディスカバージャパン」に端を発する観光ブームで、女性旅行者に馬刺しが注目されて評判が口コミで広がり、女性誌の旅特集でも取り上げられるようになった。馬刺し=ヘルシーの構図ができあがったのは、女性旅行者らによる評価が起源といえるのかもしれない。

馬刺をつまみに「善哉」を空けた頃に、ちょうど鍋の用意が整った。年季の入った薄い平鉄鍋には薄切りの肉が表面を覆うほど盛られ、中央にざく切りした根深ネギが山盛りに。この店の品書きにはさくら鍋ではなく「馬鍋」とあり、具は馬肉とネギの2種のみと、創業当時から変わらないシンプルなスタイルだ。甘めの味噌ダレで煮込んだ馬肉を、溶き卵にからめていただくのだから、要は馬肉のすき焼きである。

 

 

馬鍋は煮込んでも固くならない。卵にからめすき焼き風にいただく

 

馬鍋も道産子肉馬の赤身を使っており、鮮やかな紅色が食欲をそそる。ヘモグロビンの含有量が多い鮮やかな色から「さくら肉」と呼ばれるが、時期からして雪に咲く牡丹の花を思わせる。中央に味噌ダレを注いだら、いざコンロに点火。「煮立ってきたら、肉を外側からネギにかぶせるようにして混ぜてね」との指示に従い、湯気がもうもうと上がる中で調理する。汁が泡立ってきたところで肉をネギの山へとかぶせ、火を弱めると、淵から徐々に肉の色が変わり、味噌の甘いいい香りも漂ってきた。

お姉さんにレアでもいけるか確認すると、大丈夫だけど色が変わるまでしっかり煮込んだほうがおいしい、とのことだったが、中心がまだほんのり桜色ならぬ牡丹色のをひと切れつまんでみた。意外に厚くシャクシャクとかみ応えがあり、軽く熱が通った程度だから後味に獣肉独特のくせがやや強い。その分、レアな牛ヒレ肉のように肉汁がたっぷり含まれていて、ジューシーな味わいがうれしい。

半生肉を2、3切れつついているうち、鉄鍋の中身が煮立ってきた。馬肉は熱が通りやすく、ざっと煮えたのを固くなったかな、と思いつつつまんでみるとそうでもなく、ごわっとした舌触りだがすしなやかにほぐれていく。脂分が少ない分、ほかの食肉よりも旨みは濃厚に感じられ、力強い食べ応え。さらに煮続けても肉は固くならず、お姉さんの言うとおりに旨みがしっかりと出てくるようだ。赤黒い色をした味噌ダレとからめると、甘さのおかげでくせが押さえられて食べやすく、後から後から箸が伸びていく。

 

馬肉は名の通り、馬力がつくように食味が強い印象があるけれど、食べてみると素直に、自然に体に入っていく感じがする。わずかについている脂も甘さ控えめ、とろみも強くなく、こちらは身についてしまわなそうな軽さ。馬肉のルーツは荷役馬の肉だから、最初から食用に飼育された畜肉に比べれば、カロリーや脂肪が少ないのは当然かも。

なので摂取すればエネルギー補給以上に、体をつくり上げる良質なたんぱくの吸収になるのだろう。すなわち馬肉料理は贅沢料理ではなく、生活環境に合わせて働ける体を作るための、理にかなった肉料理だったといえる。世の女性方も体をひき締めたいのなら、食べ物のカロリー云々を気にする以上に、まずは労働ならぬ日頃の運動を心がけたほうがいいような気が、しなくもないのだが。

 

ちなみに信州では昭和初期から30年代は、馬肉のほうが牛肉や豚肉より入手しやすかったという。しかし現在では純国産の馬肉は希少で、国内で食肉用に流通する馬肉はほぼ、アメリカとカナダから輸入した冷凍物である。近代化により労役用の馬の需要がなくなったのも一因で、古くから馬食文化があった地域でさえ、輸入物の馬肉が主に出回っているのが現状だ。とはいえこれら馬肉消費地域では、様々な形で「国産」「ご当地産」の馬肉生産に取り組んでいる。

お姉さんの言う「北海道生まれの信州育ち」とは、素馬を北海道の牧場から取り寄せて信州で肥育、出荷したものを指す。また馬肉は一定期間国内で肥育すれば国産として出荷できるため、アメリカやカナダなどから素馬を輸入して、国内の牧場で肥育出荷したり、海外に生産拠点をもつ畜産会社も存在する。さらに生産量は少ないが、地元の牧場で一貫して生産された馬肉も流通しており、消費地であれば味わえる可能性がある。ローカルミートを味わうなら、生産地まで足を伸ばしていく価値があるということなのだろう。

 

仕上げのうどんは馬肉のダシとタレがからみ絶妙な味

 

 最後の締めは鍋に残った味噌ダレを使って作る、煮込みうどん。これも創業時から変わらない、締めの名物で、鍋にうどん玉を入れて味噌ダレを追加、さらに砂糖を足して数分間ことこと煮込む。すると白いうどんがドロドロの味噌ダレにたっぷりからんで、すっかり赤黒くなってしまった。まるで名古屋の味噌煮込みうどん風だ。味噌を吸ったネギが具の、甘辛いうどんを平らげたところで、すっかり満腹、ごちそうさま。

 支払う時に、おすすめの「善哉」がうまかったから酒屋で買っていくよ、とお姉さんに伝えると、「はい」のひとことにちょっとだけ笑顔を見せてくれた。秋田美人の由縁は雪深さによる色白さに奥ゆかしさ、という話を聞いたことがあるが、アルプス山麓の澄んだ空気にヘルシーな馬肉料理が松本美人の由縁かな、などと考えながら、お姉さんのはにかんだような笑顔を思い出してみる。雄大な山岳展望を楽しみ、郷土の馬肉料理に舌鼓を打つ松本の旅を、女性に注目してもらうには、昭和40年代の「アンノン族」的女子、今でいうなら「旅ガール」に期待したいところだ。(2010年2月食記)