「お酒はぬるめの燗、肴はあぶったイカ」と、あの名曲を耳にするたび、うらぶれた港町の片隅に店を構える、小ぢんまりした飲み屋が思い浮かんでくる。カウンターには人生に疲れた感じの無骨な男がひとり、カウンターを介して寡黙な女将が向かい合う。店にほかに客の姿はなく、静寂の中に燗徳利がつけられた小さな鍋が、時折クツクツと沸き立つ音をたてる、なんて具合に。
哀愁漂う演歌の世界も心に染みるけれど、あぶったイカを肴にぬる燗で一杯、とのくだりがまた、飲んべの気持ちを惹いてやまない。「あぶったイカ」とは多分、スルメだろう。燗付きの鍋の隣でレンジにかけられた焼き網の上で、ジリリ、ジリリと丸まっていく様子は、「舟歌」のうらぶれた世界観を絶妙に演出しているように思える。
スルメを肴に日本酒を呑む、というベタな機会は、ありそうで意外にないものだ。するとたまたま仕事先の友人が、冬休み中の旅行の土産にスルメを買ってきてくれた。長崎県の五島を訪れたとのことで、イカ漁が盛んな島らしくなかなか物がいいという。正月用に買った一升瓶の日本酒が残っていたのも思い出し、今宵はあぶった五島のイカを肴に「舟歌」の世界に浸ってみるのもいいかも。
包みを開くと中には1匹丸のままのイカが、ビニール袋に入って登場。スルメと聞いて思い浮かぶ、頭が三角にとんがったのではなく、胴体がずんぐりと丸い形で、色も褐色ではなくやや色白だ。緑のラベルには「水いかするめ 五島富江名産」とあり、水いかという種類のイカらしい。包みを開いた時点ですでに、イカの香りがしてくるほどで、ビニールを開くとさらに強烈。まだスルメを焼いても裂いてもいないうちからすでに、ぬるめの燗が頭をよぎる。
世界の総漁獲量の4分の1ほどを消費しているほど、日本人はイカ好きと言われている。世界有数のイカ漁場である日本海を有することに加え、世界各地の海域からの輸入量も相当なもので、それだけ、日本人の食卓にイカが深くなじんでいる証拠だろう。
スルメイカ、ヤリイカ、ケンサキイカ、モンゴウイカ、アオリイカなど、耳にしたことがあるイカの種類をあげてみると、ざっとこれだけずらり。旬は夏が中心だが、これだけの種類のイカが全国各地で水揚されるのだから、地域によって旬はまちまちである。
五島ではケンサキイカとこのミズイカが、主に漁獲されるイカの種類である。ミズイカとは一般に言うアオリイカのことで、五島のミズイカの漁獲量は、日本でも有数。胴のまわりにフリルのようなひだがついていて、これでヒラヒラと海中を泳ぎ餌を求めて沿岸へ寄ってくるところを、夜間の漁で漁獲されるという。
水いかするめのラベル。ラベルのイラストも、ずんぐり丸いミズイカがモデル
袋から取り出したイカはそのまま頂いてもうまそうだが、能書きによるととろ火でじっくり焼くとある。そこで胴体とゲソの部分を分けて、続いて胴体を真ん中から2つに、あとはハサミでバチバチと細長く短冊切りにしていく。乾物なのに、手に取るとイカのムチッとした手触りが。網焼きにしたいところを、手間を省いてオーブンであぶること5分ほど。ビチビチ焼かれる音とともに、部屋中がイカの香りで充満したところでできあがりだ。
隅にマヨネーズを添えた皿いっぱいに焼きたてのスルメを盛り、これまた鍋での燗の手間を省いてレンジで温めた燗酒と一緒にテーブルへ。レンジの設定を間違え、ぬるめの燗どころか熱燗になってしまったが、これで役者が揃いスルメの酒宴、いざ開宴。
まずは胴の部分をグッとかじったら、カチンとした歯ごたえ。かぶりついて引きちぎろうにも、なかなかちぎれない。かなり固く、なかなか手ごわいスルメだ。目一杯の力でかみついて何とか引きちぎり、しっかりかみ締めてみても、何だかあまり味がしない。
これはアゴのいいトレーニングだな、と難渋しながら口の中でグイグイやっているうちに、次第に味が出てきた。スルメといえばイカの味に加えて、砂糖のようなみりんのような甘さがにじみ出てくるものだが、この味は純粋にイカの淡い甘みのみ。イカの旨みに支えられた、素朴でほのかな甘みが、実に後を引く。一片をブチッとひきちぎり、かんで、かんで、かんで、味が出たところでようやく、日本酒をグッ。ゲソの部分はマヨネーズをちょん、とつけて頂くとパキパキ食べやすく、胴よりも味がしっかりと濃いため、酒がどんどん進む。
あぶった五島の水いかスルメ。マヨネーズをちょっとつけてもうまい
よってスルメにはいくつかの種類のイカが使用されており、ヤリイカやケンサキイカのスルメは「一番スルメ」、スルメイカが材料のスルメは「二番スルメ」と呼び方が異なる。一般的には「一番」のほうが高級品とされ、五島ブランドの「五島スルメ」も、ケンサキイカを使った一番スルメである。
その一番スルメよりも味がいい、とされているのが、このミズイカのスルメなのだ。福江島南部の富江町にある『山戸海産』では、親子2代でこのミズイカを使ったスルメ製造を続けている。ミズイカの旬は春先~夏という説もあるが、ここでは冬場のミズイカを使用。こちらのほうが夏を越してしっかり餌をとったおかげで、身が厚いのに柔らかく、身の味がしっかりしているそうである。さらに大きさは1キロ前後の大型、成魚に成長する途上の段階と、素材は徹底して選び抜いている。
そして乾物ながらも、素材の鮮度はやはり、重要。「活水」と呼ばれる、水揚げ直後でまだ身が透き通っているほどの使っており、主に天日干しで自然乾燥させ、乾き具合を細かくチェック。型押しや伸ばしといった成型にも気を配り、見た目はもちろん、水分と甘みを保ったベストの段階で仕上げるこだわりの品だ。スルメイカを素材につくったスルメよりも高級品、いわばスルメの王様、といったところか。
えらく固いが味の良さが後をひき、次々にスルメに手が伸びてはじっくりじっくりかみしめて、味を楽しんでは猪口をグイッと空けて、と繰り返し。場末の飲み屋で出される安酒のアテとは格が違う、五島の高級スルメに黙々と(笑)舌鼓を打ちつつ、酒宴はゆるゆると進んでいく。
スルメに時間がかかるから、ちんちんの熱燗がいつの間にか、ちょうど飲み頃の熱さに冷めていた。加えて一緒に呑んでいる家内もスルメに集中して、すっかり寡黙に。あぶったイカのおかげで熱燗はぬるめになり、おまけに女も無口なほうがいい、と、場は何となく「舟歌」の世界へ? (2008年1月8日食記)