いつの頃からか、引きこもりは若者の問題とされていたのが、中高年の問題とされるようになりましたね。
考えてみれば当たり前の話で、引きこもりの人が中高年になったからと言って突然引きこもりから抜け出せるはずもなく、引きこもりがそのまま年を取った、ということでしょう。
最近、家庭内暴力を理由に引きこもりの中年男が元高級官僚の父親に刺殺されたり、引きこもり傾向がある50代の男が無差別殺人の末自殺したり、中高年の引きこもりに対する風当たりが強まっているような気がします。
しかしこれは極めて稀なレアケースと言うべきでしょうね。
私は、引きこもりとは違いますが、病気休暇を繰り返し、合計2年ほど休んでしまった経験があります。
もう10年も前の話ですが。
その時、家にいて、ほとんど引きこもりのような状態でしたが、あれはなかなかしんどいものでした。
病気ゆえのしんどさもあるのでしょうが、働いていない、という劣等感が私を苦しめました。
スーツを着たサラリーマンを見るのも嫌でしたね。
誰もが私をバカにしているように感じました。
本当は、他人は私のことなんか誰も気にしてはいなかったのに。
それでも職場復帰を果たし、もう10年、休まずに通っています。
それはしんどいことではありますが、もう休むのは嫌だ、という強い思いがあります。
宝くじでも当てて引退するなら良いんでしょうけれど。
今、引きこもり状態にある方は、概ね苦しい思いをしているものと推量します。
家から出たくても出られない、コンビニに行くだけでも蛮勇を振るわなければならない、そんな状態の人をドキュメンタリーで見たことがあります。
かつて若者の問題とされていた頃は、いずれ就業するものと、希望的観測を持っていた方が多いのではないでしょうか。
しかし、まともに働いた経験が無いまま50代、60代を迎え、親は年老い、となると、絶望的と言わざるを得ません。
これらの人々が大挙して生活保護を求めれば、財政は持たないでしょう。
今が最後のチャンスだと思います。
例え正社員じゃなくても良いから、就労を。
そうでなければ引きこもり老人が大挙して現れる社会が現出してしまいます。
それは避けたいところです。
薬の調整がうまくいったのか、強い不安感、緊張感はある程度緩和されたようです。
もちろん、それらが消えることはありません。
多分、消えるのは死ぬときでしょうね。
人間、生きているかぎり不安や緊張から逃れられはしないでしょう。
爽やかな初夏の今日、思い立って、中山法華経寺に出かけました。
中山のコイン・パーキングに車を停め、歩き出しました。
ここは日蓮宗の大本山。
実家の江戸川区のお寺から近いことから、学生時代、何度か父を法華経寺に車で送ったことがあります。
坊さんの集まりだかなんだか、用事はよく覚えていません。
狭い参道を運転するのに難儀したことを覚えています。
山門とお祖師様がお出迎え。
広い境内を歩き回りました。
お昼は珍しく、中華つけ麺を食しました。
そこで思ったこと。
つけ麺は蕎麦に限る、ということ。
中山から本八幡方面に歩き、葛飾八幡宮にお参り。
なかなか立派で風情のある神社です。
お参りしてから、ドトールで休憩。
本八幡は高級住宅地としても知られており、豪邸が立ち並ぶ一角を散策。
歩き疲れて、スマホの万歩計を見たら、15,000歩を超えていました。
ちょっとびっくり。
今日はこれで止しておこうと、タクシーで中山のコイン・パーキングに戻り、車で帰宅しました。
良い散歩だったと思います。