ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

夏風邪

2017年08月07日 | その他

 今朝、いつもどおり6時半に目を覚ましましたが、どうにもだるくて仕方ありません。
 熱を測ったら、微熱があります。
 私は極端に熱に弱いので、微熱程度でも使い物になりません。

 やむなく、休むことにしました。

 職場に連絡し、市販の風邪薬を飲んで、ひたすら眠りました。

 9時頃眠り、目が覚めたら16時を過ぎていました。
 これだけ眠れるということがそもそも異常ですね。

 そのおかげで、熱は下がっていました。

 そういえば土日もなんとなくだるく、家でごろごろしていました。
 熱を測れば良かったかもしれません。

 夏風邪は長引くと言われますが、明日は出勤できそうです。

 たかが微熱くらいでもしんどいものです。
 これが大病となったら、私は早々に遺書をしたため始めるに違いありません。


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絶対悪?

2017年08月06日 | 社会・政治

 今日は広島に原爆が投下された日。
 朝、平和祈念式典がテレビで中継されていました。

 その中で、広島市長が原爆投下を「絶対悪」と表現していたのが印象に残りました。

 絶対悪なんて、この世に存在するはずもないのに。

 米国民からしてみたら、原爆投下によってわが国は本土決戦を回避し、ために米兵100万人の命が無駄にならずに済んだ、いわば正義の行為だというのが、多くの見方だと聞き及びます。

 立場が変われば見方も変わるし、価値観も同じではないですから、米国民がどう思おうとどうでもよいですが、「絶対悪」とはねぇ。

 公職にある広島市長はもう少し言葉を選ぶべきだったような気がします。

 原爆が多くの民間人を殺傷したことは事実で、それはおそらく戦争犯罪なのだろうと、私は思っています。
 非戦闘員を狙った大量虐殺ですから。

 しかしそれでも、私は「絶対悪」という表現に非常な違和感を覚えます。

 では東京大空襲は「絶対悪」でしょうか。

 諸説ありますが、日本軍による南京虐殺は?

 ナチによるホロコーストは?

 ベトナム戦争時のソンミ村虐殺は?

 カンボジアのキリング・フィールドは?

 レッド・チャイナの文化大革命は?

 欧米諸国によるアジア・アフリカの植民地支配は?

 比叡山焼き討ちは?

 いずれも愚かで残虐な行為ですが、「絶対悪」などではありますまい。

 最新の兵器を開発し、しかもそれが総力戦の真っ最中であれば、それを使うことを躊躇する国などありますまい。

 わが国も原爆完成まであと一歩のところまで行っていたと聞きます。

 わが国がそれを手にした時、米国本土に落とすだけの制海権、制空権は無かったでしょうから、米国本土には落とせなかったでしょうが、例えば日本本土に向けて爆撃機を飛ばす米軍基地が存在する島に投下しようと、必死の努力をしたであろうと推察します。


 「絶対悪」など、存在しません。
 強いて言えば、わが国にとっての悪は、わが国が敗れたことでしょう。
 
 72年前の悲惨な出来事を思い起こすとき、ただ悲惨さを強調し、センチメンタルになって思考停止に陥るのではなく、なぜ米英という巨大な敵を相手に戦うことになったのか、開戦を避ける道はなかったのか、開戦が避けられなかったのなら、なぜ敗れたのか、どうしたら勝利できたのか、勝利できないまでも有利な条件で講和に持ち込む方法はなかったのか、という戦略的な反省が求められると思います。

 マスコミは、もういい加減、思考停止としか思えないセンチメンタルな報道は止したらどうでしょうね。

 私は母が長崎で被爆した被爆2世ですが、毎年8月に繰り広げられるこの種の報道に嫌気が差しています。

 あんな番組ばかり垂れ流していたら、私が母や祖母から聞いた残酷な光景を語り継ごうなんていう気持ちにはなれません。


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戦闘本能

2017年08月04日 | 思想・学問

 8月。
 先の大戦を振り返る季節がやってきました。

 人間には絶望的なほどの戦闘本能とも言うべき性質が備わっているように思います。
 戦争にしても革命運動にしてもヤクザの抗争にしても、同種同士で傷付けあうという本能こそ、人間の根源的な性質であることは、歴史を見れば否定できないものではないでしょうか。

 スポーツやゲームなどで戦闘本能を満足させることができるでしょうか?

 それはまるで、ガムを噛んでタバコの代わりとしようとするごとく、また、ノンアルコールビールで飲酒欲求を満足させるかのごとく、虚しいことのような気がします。

 戦闘本能を十分に満足させるものは戦闘しかない、というのが、結局のところ本当なのではないでしょうか?

 それを肝に銘じて、では平和を維持しつつ、戦闘本能を満足させる方法はないのか、を考える必要がありましょう。

 救いがないようですが、私はそういう方法は結局のところ存在し得ないのだろうと思います。
 本能であるのなら、それを失えば人間は人間ではなくなってしまうでしょう。

 それならば、人間は人間でなくなる努力をすれば良いということになるのかもしれません。

 人間を超えた存在。
 神をも超える存在。

 傲慢なようですが、人間は人間たることを超えるしか、同種同士の殺し合いを克服する道はないように感じます。

 しかし、宗教に頼っても無駄でしょう。

 なんとなれば、昔から宗教を種とした争いが絶えたことはありません。 

 私には、人間が意志の力で、しかもこぞって人間を超える運動を起こす術を想像することができません。

 しかしそれが成った時こそ、恒久平和は訪れるのだろうと思います。

 果てしない道のりではありましょうけれど。


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死後の恋

2017年08月03日 | 文学

 心中というと、相愛の男女がその恋の至純であることを証し、さらには来世で結ばれることを願って一緒に自殺する、というのが一般的な概念かと思います。

 その他には、生活苦などから家族で同時に自殺する一家心中。
 さらには子供や、老いた親などを殺して、後に自殺する無理心中などがあります。

 相愛の男女による心中を美化するような文学作品もありますが、一般には許されざる行為です。


 死んで花実が咲くものか、と申します。
 生きていればこそ、結ばれる時もくるでしょう。
 目の前の愛欲に惑わされ、ヒロイックな自己陶酔に陥って、男女が一緒に死ぬなど、他人から見れば滑稽でしかありません。

 しかし死に逝くその間際に、恋しい人への想いを形にする、となるとまた話は別でしょう。

 大正から昭和にかけて活躍した、幻想的な作品を得意とした夢野久作の短編に「死後の恋」というものがあります。 

死後の恋: 夢野久作傑作選 (新潮文庫)
夢野 久作
新潮社

 革命の嵐が吹き荒れるロシア。
 ウラジオストックで、キチガイ紳士と呼ばれる元ロシア貴族を自称する男。
 この男が駐留していた日本軍の将校に独り語りする、という形式で物語は進みます。
 夢野久作独特の文体が心地よくも怖ろしい。

 白軍の兵隊であった自称元ロシア貴族。
 白軍で、やはり貴族出身らしい少年兵と親しくなります。
 少年兵は、高価な宝石をたくさんポケットに隠しています。
 その秘密を、親しくなった自称元ロシア貴族に打ち明けます。
 自称元ロシア貴族は、それら宝石が、たいへんな価値があるものだと見抜きます。

 ある時、10数名ほどの部隊で少年兵と自称元ロシア貴族は斥候に出かけ、赤軍の襲撃にあいます。
 腿を撃ち抜かれ、部隊とはぐれて森を彷徨い、ある広場にたどり着くと、そこには部隊全員の、拷問の末殺されたと思われる遺体が。
 そこには少年兵の遺体もあります。

 そこで驚愕の事実に気づきます。

 少年兵は、女性だったのです。

 そして少年兵は、宝石の価値など分からぬ、いや、ブルジョワの象徴ともいうべき宝石などに興味を持たない赤軍が宝石を奪うことは無いと確信し、凌辱され、さらに銃で撃ち抜かれて殺害されながら、恋しい自称元ロシア貴族に、宝石を渡そうと、宝石を守りながら死に逝くのです。

  密かに少年兵から宝石を奪おうと考えていた自称元ロシア貴族は、女性であった少年兵が自分を慕い、死してなお、宝石を媒介して恋を貫こうとしたことを知るのです。

 その無残な遺体にこそ、彼は至純な恋心を感じたのではないでしょうか。

 しかしこの話、誰も信用してくれません。

 この話を信じてくれた人に自分の運命を託そうとする自称元ロシア貴族。
 しかしやっぱり、日本軍将校も信じようとはしないのです。

 自称元ロシア貴族は絶望の言葉をつぶやき、物語は終わります。

  この小説、結構描写がグロイです。

 そのグロさの中に至純な恋の美を認められるかどうかが、この短編の読者たるに相応しいかの試金石となるような気がします。

 この作者の作品が概ねそうであるように、読者を選ぶ小説と言えるかもしれません。

 私には、残酷ながら、美しくも幻想的な恋愛譚に感じられました。

 心中物語にはない、一層の純粋さと言えましょう。


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全面禁煙

2017年08月02日 | その他

 昨日から、職場は全面禁煙となりました。

 私は無煙タバコ、ゼロスタイルスティックで誤魔化したりしていますが、辛坊たまらず、昼休みには自分の車のなかで本物を2本吸いました。
 そうしたら、頭がくらぁっとしました。

 やっぱり毒なんですねぇ。

 タバコが体に悪いことは分かっていますし、受動喫煙の危険も分かっています。
 しかし、完全分煙だった喫煙室まで撤去するというのは、やっぱり禁煙ファシズムとしか思えません。

 かつての米国の悪法、禁酒法を思い出します。

 タバコは合法的な嗜好品。
 それを嗜む権利さえ認めないとは、嫌な職場です。

 そういえば、一人、喫煙する若者が7月末日で退職しました。
 丸谷才一ではないですが、たった一人の反乱、といったところでしょうか。

たった一人の反乱 (講談社文芸文庫)
三浦 雅士
講談社

 彼は20代ですから、まだ転職できましょうが、もうじき48歳の私が転職なんて無理でしょうから、今の仕事にしがみつくしかありません。 

 他人の嗜好を認めず、一方的に禁止するというのは、精神性が貧しいんじゃないかと思います。

 多様性を認めてこその民主社会じゃないんでしょうかねぇ。


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