ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

死生

2011年09月01日 | 社会・政治

 ふと、大逆事件の首謀者とされる幸徳秋水の出身地が高知県だったことを思い出し、もしや、と思いました。

 ウィキペディアに拠れば、元々は「幸徳井(かでい)」という姓で、陰陽道をよくする陰陽師の家、だったそうです。

 高知といえば、呪いを生業とする者が多く住まうとか。
 一方呪い返しを行う行者も。
 呪いで生計を立てる者は豊富な収入がありながら病気や怪我が絶えず、短命だと言います。
 呪うという行為、人を消耗させること著しいようです。
 ある高知の老人いわく、「生き死に自在」だとか。
 怖ろしいですねぇ。

 大逆事件は明治天皇暗殺未遂事件とされ、関係者10数名が死刑になっています。
 現代では、無政府主義者や社会主義者を一掃するために明治政府がでっち上げた架空の事件とされています。

 真偽のほどは定かではありませんが、陰陽道に通じた幸徳秋水が、配下の者を式神に使って呪いをかけたと想像することは、好奇心を刺激して楽しいですね。
 しかも相手は神道の大親分にして天照大神の一系の子孫、明治大帝ですからねぇ。
 当然明治政府の側は、呪い返しで立ちふさがるべきところ、そんなまどろっこしいことはかなわんと思ったのか、官憲の力を使って、剣付き鉄砲を背景に無理やりお縄にしてしまいました。

 幸徳秋水は獄中で「死生」と題して刑死を待つ身の心境を綴っています。
 そこには死への恐怖はありません。
 刑死と病死と事故死と自殺と、不自然な死であることに変わりはない、と書いています。
 そして不思議と、大逆事件については何も語っていません。
 ことを完遂できなくて残念だ、とも、そんな事件は知らぬ冤罪だ、とも。

 
人間の死ぬのは最早問題ではない、問題は実に何時如何にして死ぬかに在る、寧ろ其死に至るまでに如何なる生を享け且つ送りしかに在らねばならぬ。

 上の一文は幸徳秋水の死生観を凝縮したものと受け取れます。

 事件が実際に計画されていたものか否かはともかく、彼は当時の日本社会に脅威をおよぼすおそれのある言論人であったことは間違いないでしょう。
 ロシア革命のさなかでもあり、当時の帝国主義列強は共産主義や無政府主義を、必要以上に警戒していました。
 そのような情勢に鑑み、彼は死ぬべき人と帝国政府は見なしたということですね。
 面白いのは、「死生」幸徳秋水は、まるで死に場所を得たとばかり、喜んでいる風さえ見受けられることです。

 幸徳秋水は今や、国家に異議申し立てをしただけで無実の罪で処刑された大思想家、というイメージをもたれています。
 すると意外なことに、何時如何にして死ぬるか、に関して、彼は大成功をおさめたと言う他ありますまい。

 人は誰でも死にますが、自分の死は自分一人にしか訪れず、そういう意味では世界で死ぬのは自分ただ独り、とも言えます。
 その自分独りだけの死に、何らかの意味付けをすべく、私は精進しなければなりません。

幸徳秋水その人と思想
木戸 啓介
デジプロ

 

大逆事件――死と生の群像
田中 伸尚
岩波書店

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