今日は父の日でしたね、
実家を出て以来、毎年、父の日には様々なプレゼントを届けてきました。
しかし昨年の3月に父が亡くなってから、2年続けて、私にとって父の日は、意味を失いました。
今はただ、父が残した膨大な蔵書から、父の精神的運動の跡をたどるだけです。
父の死から1年3か月を経てなお、私はあまりに巨大であった父の影響から逃れることができません。
全く、だらしない倅と言う他ありません。
父の蔵書を見ると、宗門で出世した父からは想像もできない書物が出てきます。
例えば西行法師や良寛の伝記や歌集。
宗門で出世の道をひた走りながら、乞食坊主のような行乞の生き方に憧れていたのでしょうか。
そんな父の葬儀は、あまりにも派手なものでした。
千人を超すような弔問客がひきもきらず、寺の中にいた私たち遺族が知らぬまま、外は長蛇の列だったようです。
私はそれを知り、静かに去って行きたかったであろう父が、哀れに思いました。
私はもちろん世俗の社会で出世などしていませんので、派手な葬式など考えられません。
それでもなお、私は乞食のように誰にも悼まれることなく、静かに逝きたいと思っています。
私はただ、父が残した蔵書から、父の思索の跡をたどり、時がきたなら静かに去って行きたいと思ているのです。
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