ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

荷風散人とフランス抒情詩

2014年01月13日 | 文学

 おととい、昨日とわりと出歩いたので、今日は昼飯を食いに目の前のイタ飯屋に行ったのと、晩のつまみに活赤貝の刺身と魚屋特製の半生の〆鯖購入のために魚屋に行った以外は、家で大人しく過ごしました。

 自室で本の整理などしていたら、懐かしい訳詩集が出てきて、思わず全部読んでしまいました。

 「珊瑚集 仏蘭西近代抒情詩選」です。

珊瑚集―仏蘭西近代抒情詩選 (岩波文庫)
永井 荷風
岩波書店

 永井荷風がボードレールやヴェルレーヌらフランスの詩群の中から厳選し、流麗な文語体で本朝の言葉に移して新たな命を吹き込んだ大正時代の訳詩集で、当時「海潮音」と並んでフランスの詩風を本朝の詩を愛好する紳士淑女に紹介し、もてはやされたと伝えられます。

海潮音―上田敏訳詩集 (新潮文庫)
上田 敏
新潮社

 永井荷風というと、皮肉屋の散文作家のイメージが強いですが、散文作品にも詩の精神が確かに宿っており、詩作はよくしなかった代わりか、訳詩で心を慰めたものと推量します。

 永井荷風です。

 例えば「ロマンチックの夜」と題されたノワイユ伯爵夫人の詩の一節。

 よろづの物われを惑わしわれを疲らす。
 行く雲軽く打ち顫ひ、
 慾情の乱れ、
 ゆるやかなる小舟の如く、
 しめやかなる夜に流れ来る。


 不倫を詠った不埒な詩と言ってしまえばそれまでですが、当時の女性がこのように赤裸々に欲望を詠うとは、本朝の人々は驚き呆れるとともに、羨ましくもあったでしょう。

 また、グレエ「あまりにも泣きぬ若き時」という詩全編。

 わけもなき事にも若き日は唯ひた泣きに泣きしかど、
 その「哀傷」何事ぞ今はよそよそしくぞなりにける。
 哀傷の姫は妙なる言葉にわれをよび、
 小暗きかげにわれを招くもあだなれや。
 わがまなこ、涙は枯れて乾きたり。
 なつかしの「哀傷」いまはあだし人となりにけり。

 折りもしあらば語らひやしけん辻君の
 寄りそひ来ても迎へねば
 わかれし後は見も知らず。
 何事も若き日ぞかし。
 心と心今は通はず。

 これなどは、文語調だからこそ格調高く読めますが、口語で訳したら小っ恥ずかしくて読めますまい。

 甘すぎますもんね。

 しかし若さを失った中高年こそ、したり顔で甘いなんて言いながら、密かにこの詩編を読んで涙を流さずにはいられないでしょう。

 四書五経に通じ、わが国の江戸文学の影響が強いような印象の荷風散人、西洋の比較的新しい詩編を読んでおのれの歌心を慰めていたのですねぇ。

 相反するようでいて、東西の差はあれど、人が残す詩歌に本質的な違いは無いということでしょうねぇ。

 この三連休、美術館に行ったり訳詩を読んだりDVDを観たり酒を喰らったり(酒はいつもですが)、なかなかリフレッシュできたように思います。

 たいへん結構。

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