ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

大道芸人とホーム・レス

2012年02月26日 | 散歩・旅行

 あいにくの曇り空でしたが、散歩に出かけました。
 今日は東千葉の千葉公園を散策し、千葉駅から千葉銀座へと、千葉市中心部を歩きました。

 千葉公園は、同居人が高校時代、毎朝遅刻せぬよう東千葉駅で降りて駆け抜けていた場所だそうで、感慨深げにしていました。

 そういえば私も高校時代、信濃町駅から神宮外苑の学校まで、走っていましたねぇ。
 いつもぎりぎりでしたから。
 都内で最も小奇麗な神宮外苑、わけても学徒出陣式が行われたという絵画館前広場など、私は目もくれませんでした。
 学生服やセーラー服の一群が、鬼の形相で駆け抜けるのですよ。
 なにしろ一分でも遅刻すると、校門前で仁王立ちした柔道部の顧問に学生証を分捕られ、翌日から30分早く、10日連続で通わなければならないからです。
 もし途中で遅れれば、また振り出しに戻って10日間です。
 それは必死になるわけです。
 
 昔話はともかく。

 千葉銀座ではフリーマーケットが催され、和太鼓やジャグリングなどの大道芸が行われていました。
 ジャグリングをやっていたのは、20歳そこそこの青年。
 ジャグリングの腕を、巧みな話術でカバーする根性をみせていました。
 しばし、その輝く若さをまぶしく見つめました。
 趣味なのか、それで食っていきたいのかは知る由もありませんが、まるで永遠に、輝くチャレンジが続くとでも信じているようなその態度、見事でした。
 これから苦労の連続だとは思いますが、初志貫徹してほしいものです。

 千葉銀座からほんの数分歩いた栄町では、垢で真っ黒の、煮しめたようなニット帽をかぶった初老の男が、ゴミ箱をあさり、食えそうな物を片端から口に運んでいました。
 どんな人生を歩んできたのかはわかりませんが、今日は栄町でホーム・レスをやっているようです。

 ジャグリングの青年とホーム・レスの男。
 2人はほんの数分の距離で、それぞれに生きるために必死になっていました。
 一人は未来を信じ、一人は今の飢えだけをしのごうと。

 その2人の精神の運動は、おそらく見た目ほどに違いはないでしょう。
 2人ともが、内奥の欲望を満たさんがため、今できる精一杯を行っているのです。
 そして時と場合が許せば、あらゆる智謀の限りを尽くして欲望に従うでしょう。

 それは私も同じこと。
 現在置かれた制約の中で、善悪を超越してあらゆる謀をめぐらすのです。
 今日も、明日も。

 遅刻を怖れて必死で走っていた私と、給料欲しさに大嫌いな仕事に向かう今の自分も、同じこと。

 そうであるならば死力を尽くして謀を完遂する他ありますまい。
 

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


人気ブログランキングへ

↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
素晴らしい すごい とても良い 良い


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

餓死

2012年02月26日 | 社会・政治

 先般、60代の両親と30代の息子が自宅アパートで餓死していた事が発見されたのは、大きなニュースになりました。

 飽食の国、日本では、多くの人々が過剰な量の食事を摂取しては体重増加に悩み、フィットネスなどで進まない自転車をこいだりして自己満足に浸っています。

 それが、餓死。

 アパートには食料が全く無く、現金も数円しか無かったというから、徐々に衰え、死に向かっていくその精神状態は凄絶なものであったろうと推測します。
 なぜ生活保護を申請しなかったのか、とか、ホーム・レス向けの炊き出しに行けばよかったのに、とか、思うところはありますが、死者を鞭打つようなことは止めましょう。
 人様の世話にはなりたくない、という彼らなりの矜持があったのでしょう。

 日本でもわずかながら、毎年餓死者が出ています。
 ネグレストや虐待の結果、という案件もありますが、数が多いのは50代男性だそうです。

 昭和56年以降、餓死者の統計をとっているようですが、バブル崩壊までは毎年15人前後だったのが、バブル崩壊後、一気に80人前後まで増え、その後30人程度まで落ちましたが、高止まりしているようです。

 50代の男性が多いというのは、そのくらいの年齢なら仕事があるだろう、とか、男は自立していなければいけない、とかいう無言の圧力から、仕事が見つからなくても生活保護などの社会資源に頼れない心性を持っているからではないか、と識者は分析していました。

 餓死というのは、およそ考え付く死に方のなかで、最も苦痛が大きいものと想像します。
 しかもスーパーやコンビニに行けば食料はあふれ、盗みを働けば食料にありつけ、仮に窃盗で捕まったとしても、拘置所や刑務所ではカロリー計算がなされた健康な食事を提供してもらえるところ、あえてそれをせず、座して死を待つわけですから。

 人間飢えれば恥も外聞もなく生きるためになんでもするものなのかと思っていましたが、必ずしもそうではないようですね。

 しかし、そうであっても、生き死にが関わる状況になったら、社会資源を活用すべく、動いてほしいと思います。
 そうでなければ、何のためのセーフティ・ネットかと思います。

 行政は、国民一人一人の経済状況を子細に把握できませんし、また、個人情報保護の観点からも、してはなりません。
 行政が困っている人を探し出して、無理やりにでも飯を食わせるということは、絶対にしません。
 困窮しているのなら、自ら声を挙げなければなりません。
 声を挙げさえすれば、行政は煩雑な手続きを親切丁寧に指導してくれます。

 運悪く困窮し、飢えることになったとて、恥じることはありません。
 そのために税金を投じてセイフティ・ネットが張り巡らされているのです。
 もちろん、まずは自助努力でどうにかすべきですが、行き詰った時には、それなりの生きる方法があることを知っておいてほしいと思います。
  

にほんブログ村 政治ブログ 国政・政局へ
にほんブログ村


政治 ブログランキングへ

↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
素晴らしい すごい とても良い 良い


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする