三島由紀夫の遺作となった大作「豊饒の海」の第三巻、「暁の寺」には、長々と仏教唯識論についての言及があり、読むのが苦痛になるほどで、作品としての完成度を落としてまで、それに言及しなければならなかったのは、第四巻「天人五衰」を書きあげた直後に自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺をしたことを考え合わせると、示唆に富んだ作品です。
「豊饒の海」全4巻は、20歳という若さのピークで主人公が死を迎え、次の巻では前の巻の主人公が転生してまた20歳で死を迎え、という輪廻転生の物語になっています。
転生した者には同じ場所に独特の形をした黒子があり、第1巻の主人公の親友であった法律家がそれを認め、20歳での死を見届ける、という形式で物語は進みます。
つまり第1巻の主人公と同い年の法律家が80歳の時、ちょうど4人分の死を見届けるはずなのですが、ラストでは、そう簡単にはいきません。
三島由紀夫の美的でシニカルな作品群の中では、異色の作品です。
で、唯識。
五感の下にマナ識、と呼ばれる意識を設定します。
西洋心理学で言う無意識に近いものですが、もちろん同義ではありません。
マナ識は、おのれに執着する心です。
さらにその下に、アラヤ識を設定します。
これは西洋心理学で言う集合無意識に近いものです。
アラヤ識は全生物の奥深くを激流のように流れ、世界(と思われるもの)を作り出しています。
すべてはアラヤ識に発して、マナ識、五感と、この世らしきものを識、すなわち心で作り上げているというのです。
色即是空空即是色、と仏教では言っています。
色すなわち現実世界は空すなわち実体がなく、空すなわち実体がないからこそ色すなわち現実世界は存在しているらしく見える、という意味になろうかと思います。
すべてはアラヤ識が創りだした認識の問題だということになります。
そうすると、西洋の唯心論に似ているように見えますが、決定的な違いがあります。
西洋の唯心論では心の存在は疑いありませんが、唯識では、人間の意識そのものの存在が無である、という突飛な考え方をとります。
一瞬のうちに生まれて一瞬のうちに滅ぶその連続(刹那滅)が現実らしきものであるととらえ、すべては無常であって、アラヤ識の存在すら、確かなものではないのです。
私は「暁の寺」を読み解く目的で唯識を独学で学びましたが、そのエキサイティングな論理展開は、じつに驚愕すべきものでした。
そこまで存在と意識を突きつめた純粋理論は、おそらく西洋哲学には存在していないでしょう。
私は常に、唯識の神髄をさぐるべく、行動しています。
仕事をするのも遊びに行くのも、こうして駄文を書き散らかすことも。
しかしそれでもまだ、「暁の寺」を読み解くことはできませんし、「天人五衰」の衝撃のラストに違和感を覚えずにはいられません。
いったい三島由紀夫は何を見て、いかなる地平にたどり着いたのでしょうね。
おそらく一生かけても、私にはたどり着けない地点だろうと思っています。
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