ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

「暁の寺」と唯識

2012年02月03日 | 文学

 三島由紀夫の遺作となった大作「豊饒の海」の第三巻、「暁の寺」には、長々と仏教唯識論についての言及があり、読むのが苦痛になるほどで、作品としての完成度を落としてまで、それに言及しなければならなかったのは、第四巻「天人五衰」を書きあげた直後に自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺をしたことを考え合わせると、示唆に富んだ作品です。

 「豊饒の海」全4巻は、20歳という若さのピークで主人公が死を迎え、次の巻では前の巻の主人公が転生してまた20歳で死を迎え、という輪廻転生の物語になっています。
 転生した者には同じ場所に独特の形をした黒子があり、第1巻の主人公の親友であった法律家がそれを認め、20歳での死を見届ける、という形式で物語は進みます。
 つまり第1巻の主人公と同い年の法律家が80歳の時、ちょうど4人分の死を見届けるはずなのですが、ラストでは、そう簡単にはいきません。

 三島由紀夫の美的でシニカルな作品群の中では、異色の作品です。

 で、唯識
 五感の下にマナ識、と呼ばれる意識を設定します。
 西洋心理学で言う無意識に近いものですが、もちろん同義ではありません。
 マナ識は、おのれに執着する心です。
 さらにその下に、アラヤ識を設定します。
 これは西洋心理学で言う集合無意識に近いものです。
 アラヤ識は全生物の奥深くを激流のように流れ、世界(と思われるもの)を作り出しています。
 すべてはアラヤ識に発して、マナ識、五感と、この世らしきものを、すなわち心で作り上げているというのです。
 
 色即是空空即是色、と仏教では言っています。
 色すなわち現実世界は空すなわち実体がなく、空すなわち実体がないからこそ色すなわち現実世界は存在しているらしく見える、という意味になろうかと思います。

 すべてはアラヤ識が創りだした認識の問題だということになります。

 そうすると、西洋の唯心論に似ているように見えますが、決定的な違いがあります。

 西洋の唯心論では心の存在は疑いありませんが、唯識では、人間の意識そのものの存在が無である、という突飛な考え方をとります。

 一瞬のうちに生まれて一瞬のうちに滅ぶその連続(刹那滅)が現実らしきものであるととらえ、すべては無常であって、アラヤ識の存在すら、確かなものではないのです。

 私は「暁の寺」を読み解く目的で唯識を独学で学びましたが、そのエキサイティングな論理展開は、じつに驚愕すべきものでした。
 そこまで存在と意識を突きつめた純粋理論は、おそらく西洋哲学には存在していないでしょう。

 私は常に、唯識の神髄をさぐるべく、行動しています。
 仕事をするのも遊びに行くのも、こうして駄文を書き散らかすことも。

 しかしそれでもまだ、「暁の寺」を読み解くことはできませんし、「天人五衰」の衝撃のラストに違和感を覚えずにはいられません。

 いったい三島由紀夫は何を見て、いかなる地平にたどり着いたのでしょうね。

 おそらく一生かけても、私にはたどり着けない地点だろうと思っています。

春の雪―豊饒の海・第一巻 (新潮文庫)
三島 由紀夫
新潮社

 

奔馬―豊饒の海・第二巻 (新潮文庫)
三島 由紀夫
新潮社
暁の寺―豊饒の海・第三巻 (新潮文庫)
三島 由紀夫
新潮社

 

天人五衰―豊饒の海・第四巻 (新潮文庫)
三島 由紀夫
新潮社
唯識思想入門 (レグルス文庫 66)
横山 紘一
第三文明社
阿頼耶識の発見―よくわかる唯識入門 (幻冬舎新書)
横山 紘一
幻冬舎
はじめての唯識
多川 俊映
春秋社

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親子対決

2012年02月03日 | 社会・政治

 石原新党結成の動きが加速してきましたね。
 大阪維新の会日本一愛知の会に秋波を送り、あわよくば次の選挙で70人程度の巨大新党を立ち上げたいご様子。
 石原都知事、老いてなお盛んですねぇ。

 困っちゃったのが長男の石原伸輝自民党幹事長。
 次期総裁選に立候補して総裁を目指し、政権を奪取するという目論見は風前の灯火です。

 常識的に考えれば、25年も国会議員を続けている倅が総理を目指そうと言うときに、80ちかい父親が足を引っ張るというのは理解しにくい事態です。

 石原都知事、なにがしたいんでしょうね。
 お国のために、という志は買いますが、今さら何を、という気もします。
 仮に70人規模の新党ができたとして、大部分は自民党と民主党からのヘッド・ハンティング。
 また、新党との選挙戦に敗れてしまう民主党・自民党の国会議員も多いでしょうから、事実上は自民党も民主党ももろともに叩きつぶし、自らが連立政権の首班になろうというのでしょうか。

 聞くところによると、石原都知事はよる年波のせいか、毎日10時間は睡眠をとらないと体が持たないのだとか。
 そんなことで政権が担えるのでしょうか。
 政治家は何より体が丈夫じゃないといけません。
 安倍晋太郎・晋三親子の体たらくをみれば明らかです。

 私としては、文学者としても、政治家としても功なり名を遂げた石原都知事には引退していただいて、好きなマリン・スポーツでも楽しみながら、大所高所から後輩を指導してもらいたいと思っています。

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節分

2012年02月03日 | 思想・学問

 今日は節分ですね。

 季節の変わり目には邪気が発するため、これを祓うために邪気を鬼に見立て、追い払おうというものです。

 私も子どもの頃には実家で豆まきをしました。
 「鬼は外、福は内」と。

 しかし埼玉の鬼鎮神社では「福は内、鬼は内」と掛け声をかけるそうです。
 鬼を祀っているのであれば当然でしょうねぇ。
 浅草寺には鬼はいないということになっていますので、「福は内」のみだそうです。

 所変われば、ですねぇ。

 私は高校生の頃、鬼は大和朝廷から見た異界の民族だという説を知り、さらにわが国における鬼の起源は嫉妬に狂う女や、子どもを守ろうとして異常な状態になった母親だという説を知るにいたり、鬼に同情的になり、単純に「鬼は外」と言うことが苦痛になってしまい、実家での豆まきに参加しなくなりました。

 能や歌舞伎の演目「土蜘蛛」は、怖ろしい妖怪、土蜘蛛を源頼光が退治する痛快譚ですが、古く、土蜘蛛は蝦夷に住んで大和朝廷に反逆した人々の異称でもあると知り、わが国の古代に行われたであろう過酷な虐殺を含む国家統一に思いをいたしました。

 我が家には、傷つき、心を痛めたであろう鬼たち、不本意ながら鬼になってしまった人々をやさしく受け入れたいと思っています。

 豆をぶつけるのではなく、豆料理で接待したいものです。

鬼の研究 (ちくま文庫)
馬場 あき子
筑摩書房
日本の鬼  日本文化探求の視角 (講談社学術文庫)
近藤 喜博
講談社
~能と花の二夜~狂言『鐘の音』・能『土蜘蛛』 [DVD]
野村萬斎
日本伝統文化振興財団

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