今日でゴールデンウィークも終わり。
5連休なんて呆気ないものです。
連休の終わりに恐れおののいて、今日は憂鬱に沈みました。
これでお盆のお休みまで大型連休はありません。
まるで連休の終わりを嘆くように、一日、強風が吹いて曇天でした。
そのため家に籠るしかなく、気分転換もできません。
連休の終わりはいつもそうで、慣れるということがありません。
新聞を開けばコロナに台湾有事。
嫌なことばかりです。
抗不安薬を処方の2倍飲んで、どうにか心の安寧を保っています。
まこと、稼ぐということ、また、生きるということはしんどいものです。
時代が移り、様々な社会情勢が変化しても、私という者の本質はなにも変わらない、そう思ってきました。
しかし近頃、私の本質が、加齢とともに変化してきたような気がします。
若いころは天下を取ったような気分で、自信満々でした。
ところが最近は、何をするのも億劫で、若い職員の優秀さばかりが目につきます。
私がかつて馬鹿にしていた、仕事から逃げるおじさんに、私がなってしまいました。
肉体の衰えも強く感じます。
残業に耐えられなくなって、1秒でも早く帰りたいと思い、仕事が残っていてもかえってしまいます。
もちろん、左目のことも。
さらには、父の死、職場で働いていた人の現職死亡。
それらの事どもが、私を変えさせていきます。
50代前半で、こんな気持ちになっているようでは、まだ先がある人生、私はどうなってしまうのでしょうか。
今では、何もかもが変化すると、実感せざるを得ません。
私の本質さえも。
今日も朝湯、朝寝を楽しみました。
非常に贅沢な気分です。
そして、散歩。
今日は昨日以上に温かく、春の到来を感じさせました。
春になると訪れる謎の憂鬱。
春愁という言葉があるくらい、人間にとって生きやすいはずの春に憂いを帯びるというのは不思議なことです。
そしてまた、私は春愁に囚われているようです。
この思い癖を、なんとかしたいものです。
やっと、週末を迎えました。
1月から3月へ向かって、忙しさは加速度をつけて突き進んでいきます。
就職してもう30年ちかくになりますが、年度末の忙しさには、慣れるということがありません。
今日は2軒の病院をハシゴしなければなりません。
内科と精神科。
内科は血圧を下げる薬と、コレステロールを下げる薬をもらうため。
朝一番で行ってきちゃいました。
精神科は予約制で、16時半の予約のため、これからです。
ただでさえ面倒くさいのに、冷たい雨が降っています。
これから雪に変わるかもしれないという予報。
なんだかさえない週末です。
今日は3連休の最終日。
天気もよく、散歩をしたり、昼寝を楽しんだり、のんびりと過ごせました。
このところ、ブログの更新頻度が落ちているのは、皆様気づいていることと思います。
老いの兆候と見るか、そもそも精神の活動が落ちていると見るか。
どちらにしても同じことでしょうねえ。
仕事の能率も落ちているように感じます。
というか、まるで勤労意欲がわきません。
困ったことです。
勤労感謝の日と言いますが、私の場合、おさぼり感謝の日ともいうべき有様です。
薬の増量のおかげか、ひどく落ち込むということは無くなりましたが、あらゆることが面倒くさくて、何もやる気が起きません。
これからの仕事を思うと、ため息が出るばかりです。
先週、ひどく落ちている、とこのブログに記載しました。
しかし、薬の増量のおかげか、昨日今日と、調子が上がってきたようです。
もちろん、私の病気はうつ病ではなく、双極性障害(昔で言う躁鬱病)ですから、あんまり上がるのも危険です。
なんとかバランスを取りながら、うまくやっていきたいと思っています。
すっかり秋めいてきました。
年度も後半に入り、仕事は増え、残業も増えました。
そのせいか、最近、ひどく落ちています。
昨日診察だったのですが、そのことを訴えたら、セロクエルが増量になりました。
薬の調整だけではどうにもなりません。
環境を変えなければ。
しかし、宮仕えの身であれば、どうにもなりません。
昨日は気分転換のため、診察の前に、千葉市中心部をわけもなく歩き回りました。
立ち寄った千葉神社では、多くの家族連れが七五三を祝っていました。
無邪気な笑顔を見て、疲れたおじさんには心が痛むほどの煌めきを感じさせられました。
20年後、彼ら彼女らがどういう人生を歩んでいるのだろうと思うと、気の毒にさえ感じられます。
厳しい社会の現実に身を投じて、あがき苦しんでいるのではないかと思って。
先月あたりまで調子が良かったので、順次、減薬を進めてきました。
しかし、今週はひどく調子が落ちてきています。
仕事が忙しいのもそうですし、薬を減らしたのも原因でしょうね。
通常、一か月に一回の診察ですが、今日は2週間で診察に行ってきます。
薬が増えるのは必定でしょうね。
薬なんかに頼らずにまとも行きてえいける、強靭な精神が欲しいものです。
何事もネガティブに考え、上がったり下がったりを繰り返すのは本当にしんどい。
4連休の2日目。
昨日は微熱があり、一日、ごろごろして過ごしました。
今日はお中元を贈るためと、義父の新盆の準備のため、そごう千葉店を訪れました。
コロナ騒ぎの最中ですが、結構客がいました。
お中元は千葉名産、落花生と決めています。
用を済ませると、私が気に入っている椿屋茶房でビーフカレーのセットを食しました。
上質の牛肉がゴロゴロ入って、辛すぎず、なかなかいけるのです。
カレーのほかにポタージュとサラダ、それに食後の珈琲がついて、1300円ほど。
格安と言って良いでしょう。
新盆の品を車に収め、千葉市の中心部を散歩しました。
⒋連休のせいか、昼呑みをしている人が多く、昼から営業している飲み屋はあまたあります。
ある居酒屋の横にある駐車場には、リュックサックを枕に、気持ちよさそうに眠っている初老のおっさんがいました。
身なりから、ホームレスではないことは間違いありません。
よっぽど起こそうかと思いましたが、相手は酔っ払い。
変にからまれても困りますので、君子危うきに近寄らず、ということで、素通りしました。
初老の男、氏素性は分かりませんが、何が彼に深酒をさせたのでしょうね。
アル中なのか、酒に弱いのか知りませんが、路上で眠ってしまうほどの呑み方をする、その精神性に興味を持ちました。
私はかつて、三つ年上の先輩を、酒の飲みすぎによる肝臓がんで失いました。
享年48歳。
今の私よりも2つ年下での死。
なにしろ破滅的な呑み方をする人でした。
ほぼ毎日二日酔いで、職場にウィスキーの小瓶を持ってきて、トイレで迎え酒をし、二日酔いが治った、なんて言う人でしたから、酒で命を縮めるであろうことは、誰もが予測していて、結果、そのとおりになりました。
先輩はヘビースモーカーでもあり、ピースの一番強いやつを毎日3箱吸っていました。
たいへんな寂しがり屋で、結婚はしていましたが、毎日飲み歩き、給料のほとんどを酒に注ぎ込んでいました。
私も酒飲みですが、私が付き合いきれないほどの酒量でした。
大の仕事嫌いで、毎日、しょんぼりした顔で出勤し、精気の無い雰囲気で仕事をやっつけ、定時が近づくと、誰彼構わず酒に誘い、誰も着いてこないと知るや、単身、夜の街に赴くのです。
そんなことを繰り返し、肝炎から肝硬変、そして肝臓がんと、大酒呑みの典型的な道を歩みました。
自業自得と言ってしまえばそれまでですが、私は先輩の何がそのような行動を取らせたのか、その精神の運動は死んでいたのか、あるいは飲酒ということにだけ、激しく鼓動していたのかを知りたいと思い続けています。
もしかしたら私が辿るかもしれない道。
その時、私は先輩の精神がどのような運動を起こしていたのかを知るかもしれません。
知りたいとは思いませんが。
今日はなんだか朝から調子が悪く、仕事を休んでしまいました。
ずる休みというべきかもしれませんが、調子が悪かったのは事実。
風邪を引いたとか、熱があるとか、そういうことではありませんが、体のバイオリズムというか、なにやらわけのわからぬ理由です。
こういう休み方は、どうも気分が晴れません。
思い切って出勤してしまえば、どうということもなかったのかもしれませんね。
偉いなと アリをみつめて ずる休み
そんな川柳を、どこかで見た気がします。
私もアリを見つけに外に出てみましょうか。
最近、早朝覚醒というか、深夜覚醒というか、とにかく睡眠が短くなって困ります。
今日は午前2時に起きました。
トイレに行って、また布団にもぐりこんだのですが、もう眠れません。
今、午前4時10分。
もやもやしながら、この記事を書いています。
寝つきはすごく良いのです。
午後8時ころには眠くなって、9時には寝てしまいます。
ただ、睡眠が朝まで持続しないのです。
年寄は早起きだと言いますが、私もその部類でしょうか。
一方、早朝覚醒はそうは言っても眠れますが、不眠症で睡眠薬が手放せない、という人もいます。
有名なところでは、椎名誠がそうだと聞いたことがあります。
35年間も不眠に悩んだそうです。
しかし、転んでもただでは起きないというか、商魂たくましいというか、不眠に関する著書「ぼくは眠れない」を書いて小銭を稼ぐとは、作家魂すさまじいと言うべきでしょうか。
早朝覚醒は躁のサインでもあります。
ただし、それは起きるなりパソコンを立ち上げてものすごいスピードで駄文を書き連ねるか、あるいは真っ暗な町を何時間も歩くか、いずれにせよ過剰に行動的になる、という状態が現れた場合です。
今はソファーでゆっくりする程度です。
今日も深夜2時に起きて、2時間ほどぼうっとしてからこのブログを書き始めました。
私とは逆に同居人は宵っ張りの朝寝坊で、出勤時刻の20分前まで布団から出ず、起きるや、怖ろしいばかりの形相で朝の支度を整えます。
凸凹夫婦というべきか。
しかし私は、最近開き直って、早朝覚醒でぼうっとする頭を熱い珈琲で無理やり覚醒させ、与えられた時間を、読書をしたりDVDを観たりといった、好きなことに使おうを考えるようになりました。
眠れない、と嘆いても詮無いこと。
むしろ自由時間を与えられた、と思えば良いのです。
仕事から帰るとへとへとで早寝し、出勤間際まで布団から出られず、では自由時間がありません。
同居人は深夜まで起きて自由時間を楽しみ、私は深夜に起きて自由時間を楽しむ。
どちらも自由時間に変わりはありません。
年を取ると早寝早起きになると聞きますが、まったくそのとおりです。
人に起きることは大抵、自分にも起きるようです。
昨日は4週間に1度の精神科への通院日でした。
診察と言っても、最近は調子も良く、雑談をして帰りました。
雑談だけでも、15分は話を聞いてくれる精神科医は、稀有な存在と言えるかもしれません。
私はかつて、自分に合う精神科医を求めて、4件のクリニックで診察を受けました。
説教めいたことを言う医者、30秒ほど話を聞いて、患者が求めるままに大量の薬を処方する医者、病気を治すためには仕事を辞めた方が良い、といきなり爆弾を投げつけてくる医者、いろいろいました。
今のクリニックは完全予約制でじっくり話を聞いてくれます。
そのうえで、作戦会議のように薬の処方を決めていくのです。
今の先生に出会えて、本当に良かったと思います。
今は寛解の状態と言ってよいでしょう。
あとは再発防止に努めるばかりです。
昨日は一か月に一度の精神科の通院日でした。
何よりもまず、コロナ対策が充実していることに驚きました。
待合室に入る前に検温。
受付のお姉さんはマスクは当然のことながら、フェイスガードというんでしょうか、顔を覆っています。
さらにはゴム手袋。
部屋中の窓を開けて換気したうえ、空気清浄機もまわしていました。
患者が診察室から出てくるたびにドアノブを入念に消毒し、次の患者を入れる前にしばし換気。
診察室に入ってまたびっくり。
精神科の先生、テレビで見るような防護服を着ていました。
内科でもここまで徹底してはいないんじゃないでしょうか。
診察はごく簡単に済みました。
最近、調子が良いので。
精神科は、他の診療科と異なり、患者と先生との相性が大事です。
今の先生に診てもらうようになるまで、4件も精神科を変えました。
今の先生になってから、もう10年以上が経ちます。
その間、一度も病気休暇は取っていません。
寛解に至ったと言ってもよいでしょう。
良い先生に出会えたと思います。
それにしても先生、防護服とは大げさじゃないでしょうか。
昨日も今日も雨。
気持ちが沈みます。
昨日はあまりの不安に耐えかね、休日出勤しました。
押し寄せる仕事を、少しでも片付けたいと思ったからです。
しかし、あまりはかどりませんでした。
電話もかかってこず、おかしげな輩に話し掛けられることもない休日ですから、さぞかしはかどるだろうと思ったのですが、あにはからんや。
緊張感がないというか、だらけた気分になってしまうのですね。
これが、締切が明日の仕事とか言えばまた違うのでしょうが、そこまで切羽詰ったものはありませn。
この頃、なんだか自分がだんだん馬鹿になってきたような気がします。
以前は易々とこなしいていた仕事が、非常に困難なことに思えますし、いつも整理整頓怠りなく、誰よりもきれいだった机まわりが、書類であふれかえっています。
若年性アルツハイマーではあるまいかと、疑いたくなる始末です。
もう何か月も、このブログには愚痴を書いてばかりです。
薬ばかり増えて、ちっとも効いてくれません。
効いているのかもしれませんが、実感がありません。
この落ちた感覚はいつまで続くのでしょうね。
もっとも、上がりすぎて躁転するのも怖いですが。