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ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

その日暮らし

2023年09月04日 | 精神障害

 昨日、築23年となる自宅マンションのリフォームをある会社に依頼した旨、ブログに書きました。
 新築で購入して23年。
 その間、顔なじみになったマンションの住人たちも老いました。
 妊婦の状態で入居した人の娘はもう巣立ち、50過ぎで一番面積が小さい部屋を購入した独身の元警備員は腰が曲がり、歩くのも難儀しています。
 一人暮らしで、誰かが訪ねて来ることも無いので、今後どうなるのか他人事ながら心配です。
 売ったんだか貸しに出したんだか分かりませんが、多くの家族が去っていきました。
 そして多くの人が入居しました。

 私が住むマンションは駅に至近のため、売りに出すとすぐに売れてしまうようです。
 不動産会社から頻繁に売りに出せ、という内容のチラシが届きます。

 売る気などさらさら無いのに。

 何より感じるのは、近所の様々なお店が次々に入れ替わっていくこと。
 すぐお隣のビルに入っていたモスバーガーはトランクルームになり、パチンコ屋は葬儀屋になりました。
 近所にあった100円寿司屋は巨大な薬局兼スーパーマーケットに変わりました。
 道を挟んで向かいにあったカラオケ屋はネットカフェになりました。
 小さなお店の入れ替わりなんてしょっちゅうです。
 もちろん、長年にわたって頑張っているお店もあります。
 近所に今時珍しく演歌のテープばかりを売っているレコード屋と言うべきかテープ屋と言うべきかCD屋と言うべきか、分類に困るようなお店があって、驚くことに今も頑張っています。
 しかも元旦も含めてお休み無し。
 老人が一人で切り盛りしている個人商店ですが、熱心な客がいるのでしょうね。 
 蕎麦屋は代替わりして、なぜか美味しくなりました。
 普通倅が店を継ぐと味が落ちると思うのですが。

 お店が多い地域に住んでいると、商売というのは本当に難しいと実感するとともに、時が経ることによる変化を実感せずにはいられません。

 31歳で入居した私は54歳になりました。
 いつまで経っても同居人と馬鹿話したり、我が家でブームのベビーメタルちいかわの真似を互いにやって笑いあったり、年齢相応の落ち着きが身に付かないようです。
 孫がいたっておかしくない年齢に達しているというのに。 

 子宝に恵まれなかったせいでしょうか。
 子供がいれば、正しさや優しさ、強さを演じることで教育をしなければなりませんから。
 54歳の今馬鹿々々しいことをやって喜んでいるのですから、おそらくは70になっても80になっても、死ぬまで続けるような気がします。

 一時は精神障害の発症で自殺まで考えたこともありましたが、今はそういうことも無くなりました。
 一病息災とか申します。
 私にとっての一病は双極性障害なんでしょうね。

 精神障害者はそうでない人に比べて平均寿命が10年以上短いと言う医師がいます。
 それなら私がその説を覆してやろうと思ったりもします。

 私が20代の頃、なぜか真面目一筋で生きてきたのに、50歳を迎えて突然浮気に走ったり、風俗通いを始めたりするという先輩を見かけました。
 思うに、オスとしての本能が、そろそろ生殖に適さない年齢になってしまうと、悪あがきしているのではないかと思います。
 私は双極性障害で躁状態に陥った40歳くらいの頃、そういった遊びに狂ったこともありました。
 
 今となってはどうでも良いことになりました。
 
 今日と明日のことだけ考える、昨日のことも明後日のことも考えない、本来の意味とは異なりますが、その日暮らしをせよと、医師に言われました。

 過ぎた日のことを考えても今更変えられるわけではなく、明後日のことなど分からない、そういうことは頭では分かっていても、昨日のことを悔やんだり、先のことを考えて不安になったりします。

 その日暮らしをせよというのは苛烈な言い方です。
 苛烈な言葉を放つ精神科医はしかし、本当にそうやって生きているのかもしれませんね。
 負のオーラを放つ精神障害者と毎日接していれば、そうでも思わないとやっていられないのでしょう。
 
 その日暮らしには程遠い、何事にも惑うばかりの私の精神は今後も変わらないでしょう。
 己と同居人だけを頼んで生きていくしかありません。


薬調整

2023年09月01日 | 精神障害

 8月19日(土)の精神科受診で、抗うつ薬を切り、抗精神病薬が処方されたことはすでにこのブログで報告したところです。

 切った抗うつ薬はスルピリド(別名ドグマチール)という、もともとは胃薬として開発されたもので、これを処方された患者が胃の調子が良くなるばかりではなく、明るく活動的になるとの報告が学会等で多く発表され、作用機序はよく分からないながら、効けば何でも良いということで、抗うつ薬としても使われるようになったという謎の薬です。
 この薬は私を救った最大の功労者だと思っていましたが、もともとうつ病に処方される薬で、双極性障害のうつ状態にはあまり向かないと医師から説明を受けました。

 代わりにラツーダと言う抗精神病薬が処方されました。

 これを大量に飲むと幻覚や幻聴が改善されることから統合失調症に処方され、少量だと双極性障害のうつ状態に効くということで、最小量を処方されました。

 ラツーダ、2020年に承認された新しい薬だそうです。

 で、通常4週間に1度通院していたところ、薬の調整を行ったので精神状態がどう変化したか、効いている感じがするかを確認したいと医師から言われ、明日、中2週間での診察となりました。

 約2週間服用して感じたのは、ゆるーく効いてきた感じでしょうか。
 精神病薬は大抵そうであるように、ラツーダも飲み始めてから10日ほどしないと効果を実感出来ないと聞いていましたが、そのとおりでした。

 今週の水曜日あたりから、それまでは再発したのかと思うほど落ちていたのが、少し改善されて、睡眠の質が上がったうえ、仕事もはかどるようになりました。

 現代医学というのは凄まじいものです。

 うつ病は誰でも罹患する可能性が高く、患者が多い疾患ですが、私が患っている双極性障害の患者は多くありません。

 統合失調症と双極性障害が二大精神疾患とされ、寛解はあっても完治はあり得ないと言うのが現代医学の常識です。
 一般に知られているうつ病だとか神経症だとか言うのは治りやすいのものであるとされます。

 面白いのは、うつ病患者と双極性障害のうつ相にある患者では脳を検査すると明らかに異なった波形を示すことです。
 傍から見ると同じような症状が、全く異なった脳の状態から発症するとは不思議です。

 髙血圧と同じように生涯薬を飲み続けなければならない業病を患ったのは不運であったとしか思えませんが、現代医学の力を借りて、13年も続いている寛解状態を維持したいと考えています。


精神障害者の寿命

2023年08月17日 | 精神障害

 よく慢性的な精神疾患を抱えている人は短命だと言われます。
 医学的な裏付けは無いのだそうですが、医師によっては精神疾患が無い人と比較して、平均寿命が20年も短いとする人もいるそうです。  
  仮に日本人男性の平均寿命が80歳だとすると、私は60歳くらいで死ぬ計算になります。

  現在私は53歳ですが、60歳で死ぬような気はしません。

 私は双極性障害患者ですので、双極性障害に限って考えてみたいと思います。

 まずは自殺リスク。
 自殺というとうつ病患者に多いイメージですが、双極性障害はうつ状態と躁状態、それに安定期を繰り返す病気ですので、うつ状態での自殺が多いものと思います。

 次に精神病薬を長年服薬し続けるために健康を害するとする説。
 これは医学的にその因果関係は立証されていませんが、私が毎日飲んでいる薬の種類や量の多さから見ても、あり得ることだと思います。 
ただし、どの薬がいけないのか、あるいはどの薬とどの薬の相性が悪いのかなど、分かっていないことが多く、症状に合わせて薬が増えていく傾向にあるのは身に覚えがあり、しかしそれは医師の処方ですので、患者としては医師の処方を破って勝手に減らしたり飲まなかったりすることは出来ません。

 それをやってしまっては、医師が考える治療方針を患者が拒否していることになりますから、治療にならないと言っても過言では無いでしょう。
 精神病に知識が少ない人は「良くなったら薬なんて止めちゃえばいい」なんて言ったりしますが、それが一番危険なことです。
 病気を悪化させたり再発させたりすること必定です。
 服薬治療は専門家である医師とともに考えていくべきだろうと思います。

 睡眠不足によるとする説。
 多くの精神障害者は不眠に悩まされます。
 私は躁状態が激しかった頃、酒を呑んでも睡眠導入剤を飲んでも全く眠くならず、一晩中パソコンの前に座ってネットや動画を見たり、書き物をすることがよくありました。
 睡眠は肉体の休息はもちろんのこと、脳を休ませて健康を維持するためには必須のものです。
 「睡眠不足で死んだ人はいない」、という物言いをする人がいて、それはそうなのでしょうけれど、少しづつ、健康を害していくであろうことは簡単に想像できます。
 私の場合うつ状態では過眠になり、躁状態では不眠になるので、その落差の激しさから、睡眠は重要だと痛感しています。

 過度の飲酒や薬物によるとする説。
 これは言わずもがなかと思います。
 連日大酒を飲んだり、違法であれ合法であれ意識の変容を求めて薬物を接種し続ければ、アルコール依存や薬物依存になることは明白で、寿命を縮めること間違いありません。

 遺伝によるとする説。
 精神疾患は遺伝によるものが多いと言われます。
 それならば遺伝による短命ということも十分に考えられるでしょう。
 しかし私の親類縁者に双極性障害を患ったという人は見当たらないので、あまり考えなくても良いかもしれません。

 上のように考えてみると、精神障害者がみな必ず短命かどうかは別にして、短命になる要素は色々あるんだと思います。

 私の場合、酒の飲みすぎが問題です。
 肝臓も若い頃に比べると数値が悪化しています。

 60歳で死んでしまうのならそれはそれで仕方のないことですが、できれば 健康な人の平均寿命と同じくらいは生きていたいと願います。


社会不安障害?

2023年07月30日 | 精神障害

 最近、マスクを外して人に接すると、顔面がひきつったり紅潮したりして困る、という話はこのブログですでに告白しています。

 そのことを精神科医に話すと、双極性障害に加えて、社会不安障害も併発したのではないか、という説明を受けました。

 社会不安障害は人と接するのが病的に苦手な人のことです。
 しかし私は他の多くの双極性障害患者と同様、社交的で場を盛り上げるのがうまく、宴会王と呼ばれていたこともあります。
 自助グループに参加していた頃、うつ病患者は暗い印象の人が多く、双極性障害患者は華やかな雰囲気の人が多いように感じました。

 まさかその私が、ねぇ。

 双極性障害患者は別の精神疾患を併発している人が多いのだそうです。
 毎日マスクを着用するのが当たり前になってしまうと、顔を見られことに違和感や羞恥を感じるようになり、そういう人はたくさんいて、主治医自身にもそのような傾向があるのだと言われました。
 これには驚きました。
 まさか精神科医がそうなってしまうとは。
  
 これが酷くなると引きこもりになって自室から出られないという最悪の状態にもなり得るのだとか。
 私は毎日出勤し、生きづらさを感じながらも、仕事に支障を来すほどではありません。
 
 医師は今のままで止まればよいが、悪化の可能性があるので、予防的に抗うつ薬の投与を勧めてきて、双極性障害患者に抗うつ薬は出せないのではないかと問うと、うつ傾向がみられる場合、投与することがある、とのことで、ミルタザピンという薬を加えることになりました。

 私が希望した抗不安薬、アルプラゾラムの増量は却下されました。
 抗不安薬は依存性が高く、あまり多くの量を飲むと中毒になってしまうからだそうです。

 酒みたいなものです。
 そもそももう抗不安薬依存に陥っているような気がしますが、仕方がありません。


 話は変わって、今日はスバルのディーラーに行ってきました。
 私は安心点検パックというのに入っていて、半年に一度無料で点検を受けられます。
 車に疎い私には有難い商品です。

 ただし、今日は半年点検ではありません。
 車検前点検というもので、これも無料です。
 車検が切れるのは11月下旬なのですが、車検前点検の案内が届いたのは二週間ほど前で、車検前と言うには早すぎるような気がしますが、そういうものなのでしょうね。
 営業から海水浴にはいきますか?、海釣りはしますか?という質問を受けました。
 塩害の可能性をみるためなんでしょうね。

 真夏に日焼けして泳ぐなんていう愚行を20代半ばまで続けましたが、とっくにそういう悪癖からは卒業しました。
 釣りは餌を付けるのが気持ち悪そうで出来ないし、生きている魚が釣りあげられて口をぱくぱく言わせて動いている場面を想像しただけぞっとします。

 私は出勤以外、食材の買い出しか散歩でしか外出しません。
 まして海になんて絶対に行きません。

 コロナ前はずいぶん色々な場所に車で出かけて行っては初めて見る町を歩き回ったり、桜や紅葉の季節には定番のお気に入りスポットに出かけたりしていましたが、コロナ禍のせいで自粛しているうちに散歩ですら億劫になってしまいました。

 外出を自粛し続けるというのはよろしくないし、マスクの常用もいけません。
 そのいけないことを精神障害者が行えば碌なことにならないと思います。
 

 


2回目

2023年07月29日 | 精神障害

 今日も猛暑で、魚屋と八百屋に買い物に行っただけで、後はひたすら冷房の効いたリビングでゴロゴロしていました。
 とは言っても、16時半に4週間に一度の精神科へ診察に行かなければなりません。
 車で行くので暑さは感じないと思いますが、それにしても億劫です。
 元の主治医が引退して、主治医が代わってから2度目の診察。
 お互い様子見といったところです。


様子を見ましょう

2023年07月23日 | 精神障害

 私は今までの人生で一度だけ躁状態に陥ったことがあり、そのためにうつ病ではなく、双極性障害と診断されています。
 双極性障害というと躁状態とうつ状態を頻繁に繰り返すイメージがありますが、それはラピッド・サイクラーと呼ばれる人々で、実はあまり多くありません。
 一度でも躁状態が起きると、双極性障害と診断され、抗うつ薬は使えなくなり、代わりに気分安定薬を主剤とし、抗精神病薬、抗不安薬を補助的に用いることになります。

 双極性障害で最も問題となるのが、うつ状態の時に抗うつ薬を使うべきかどうか、という点です。
 抗うつ薬の服用は躁転を起こすきっかけになることがあるので絶対に使うべきではないという意見と、気分安定薬を飲みながら一時的に使うのなら構わないという意見があって、決着がついていません。

 軽いうつ状態だと思うのですが、2年ちかく、奇妙な状態が続いています。
 コロナ禍のため常時マスクをする生活が長引いてから、マスクを外して顔を見られることに強い違和感を覚えるようになったのです。
 マスクを外すと、顔面が痙攣するような、紅潮するような、変な感じです。
 精神科医に話しても、様子を見ましょうと言うだけで、抗うつ薬を使いましょうという話にはなりません。
 主治医が最も怖れているのが人生2度目の躁転だからだと思います。

 最近、希死念慮が出始めました。

 希死念慮というのはうつ状態の時によくみられる症状です。
 自殺したくなるのです。

 はるか前、うつ状態の時に苦しめられました。
 その時の状態は、頭がトロンとした希死念慮だったように記憶しています。

 今は頭がクリーンというか、まともだと思われる精神状態なのに、ふと、死がいともたやすいことのように思われ、もう十分生きたし、これからは衰えるだけで良いことなんて無いだろうと、考えが悪い方に向かうのです。

 不思議な感覚です。
 気分は落ちていないのに希死念慮にとらわれる感じが一か月ほど続いています。

 もちろん、私は自殺などしないと思います。
 死ぬのは怖いですし、どんな方法を採ったところで生身の人間が痛みや苦しみ無く死ねるはずもありません。
 痛いのも苦しいのも御免です。

 さらに不思議なのは、うつ状態の時に感じた希死念慮は苦しいだけだったのに、今の状態の希死念慮は苦しいだけではなく、どこか心地よく感じてしまうのです。

 なぜでしょうね。

 これは最近起きた症状なので、まだ精神科医には話していません。
 次の土曜日が診察なので、これが続くようなら相談してみようと思います。
 様子をみましょうと言われるような気がしてなりませんが、専門家は違った見解を示すかもしれませんし。


精神病薬

2023年07月12日 | 精神障害

 最近、なんとなく精神的に弱ってきていることは何度かこのブログで報告しました。
 うつとか躁とか、分かりやすい症状ではなく、気持ちが焦り、焦るがゆえにかえって仕事に手が付かないという困った状況です。
 出勤は続けており、焦燥感を感じながらも最低限のことはこなし、ダメだと思ったら担当関係なしに若い部下に振っています。
 こんなことを続けていたら、いわゆる働かないおじさんに認定されてしまうでしょう。

 最近、記憶力が落ちてきたと感じます。
 自分でやった仕事ですら、細かい部分を覚えていなかったりします。

 10年前には考えられなかった事態です。

 また、ここ数年の間に就職してきた若い人たちの顔と名前が一致しません。
 これはマスク着用が3年にも渡って続いていることが大きな理由でしょう。

 また、今はマスクの着用は個人の判断にゆだねられていますが、日本人特有の同調圧力のせいか、マスクを着用している者のほうが圧倒的に多い状況です。
 もちろん天邪鬼の私はマスクの着用が任意とされたその瞬間からマスクを外し、ゴミ箱に放り込みました。

 これは快感でしたね。

 マスク着用を続けたことと、会議や打ち合わせがほとんどオンラインになったことは、私の精神状態を悪化させる大きな要因になったと感じています。
 目から上しか見えない、いわば仮面をかぶったような人々の群れを見、しかも自分もそれに加わっていることは、疾病流行のためとはいえ、不気味で、気持ちの悪いものでした。
 また、オンラインによる会議は便利なものですが、対面で話すと人の脳は活発に動き出すのに、オンラインではあまり動かないそうです。
 そういった人間の情動がある一瞬を境に断ち切られたことも大きいと思います。

 仮面をかぶった人々の群れ、心通わぬ打合せや会議の連続は私を不安に陥れ、社交不安とでも呼ぶべき状態に至ってしまいました。

 精神科は代替わりで主治医が変わったばかりですが、前の主治医も今の主治医も、マスクの長期着用は精神疾患を抱える者だけではなく、精神的に健康である人々にも影響を与えている、とびおさんはもともと精神疾患があるのだからその影響を受けるのは当然で、様子を見る以外方法は無い、と言います。

 精神病治療はここ数十年でたくさんの薬が開発され、その効き目はかつての物にくらべて刮目すべき効果を上げています。
 薬の調節がうまくいけば、大抵の精神病は寛解にまで至ります。
 しかし服薬による治療は対症療法であり、根本的な治療ではありません。

 認知行動療法とか、森田療法とか、タッピングとか、根本治療を謳う治療法もありますが、私にはまったく効果がありませんでした。
 これらの治療法で快癒する人がいるのは事実のようですが、私にとっては質の悪い新興宗教のようなものでした。

 

 

 私には、西洋医学による服薬治療だけが頼りで、だからこそ今現在の危機にも薬で対抗しようと思ったのですが、主治医が言うには、抗うつ薬を使うしかないが、うつ病ならともかく、双極性障害の患者に抗うつ薬を投与すると躁転してしまう可能性があるため使えない、とのことでした。
 そもそも躁転のきっかけの一つは、うつ病と診断されて抗うつ薬を大量に投与したことにある、とか。

 私は今躁状態もうつ状態も抑える気分安定薬と、もともとは幻覚や幻聴、妄想等を抑えるため、主に統合失調症患者に処方されていたところ、双極性障害の気分の浮き沈みを緩和する作用があることが判明した抗精神病薬、それに不安や緊張を抑える抗不安薬を飲んでいます。
 これに抗うつ薬を加えることは、精神科医によって見解は異なるようですが、一般的には禁忌とされているそうです。 

 ということは、今までどおり気分安定薬、抗精神病薬、抗不安薬の3種類で現在の危機に立ち向かわざるを得ず、正直自信がありません。
 躁転が少しでも疑われる事態に至ったらすぐに服用を中止する、という条件で抗うつ薬を処方してほしいと思っているのですが、それは治療方針の大転換であり、検討する余地はあるが最低数か月は様子を見る必要がある、と新主治医は言っていました。

 精神病発症から18年。
 寛解に至って15年くらい経ちますが、精神というか脳というか、心の偏りは簡単には良くならないもののようです。

 やれやれ。


実行

2023年07月10日 | 精神障害

 今日は休暇を取りました。
 用事があったわけでも体調が悪かったわけでもありません。
 私の職場では、計画的に休暇を消費しないと、人事担当部署から休暇を取るように勧告されてしまうので、勧告される前に休んだだけです。

 暑くて外に出る気にはなれず、一日、冷房の効いた部屋で過ごしました。
 一人で過ごす一日というのはつまらないものです。
 私がどれほど同居人に依存していたかを痛感させられます。
 ほぼ一日、ごろごろしていました。

 そんな風に過ごしていると、碌なことを考えません。
 この世からおさらばしても良いほど十分に生きたような気分になってきます。
 しかしそれを実行する勇気はありません。

 さて困ったと思ったら、死刑になるのも悪くないと思いつきました。
 でもそのためには誰かを殺害しなければなりません。
 そんなことは出来ようはずもなく、私の頭はぐるぐる回りました。

  


様子

2023年07月08日 | 精神障害

 最近、何となく体調がすぐれません。
 なぜだか変に気が焦り、落ち着かないのです。
 こんな状況に陥って数か月経ちます。
 4週間に一度精神科に、3週間に一度内科に通っており、そのことを話しても様子を見ましょうと言われるだけ。
 いつまで様子を見ればよいのやら。

 

 


なんで?

2023年07月03日 | 精神障害

 何かがおかしい。
 なんとなく気が焦り、抗不安薬が効いてくれない。
 なんででしょう?
 まさか躁転?
 自身の精神を監視しなければなりません。


新主治医

2023年07月01日 | 精神障害

 今日は4週間に一度の精神科受診日でした。
 前の主治医が引退して初めての診察ということで、どんな感じかと思いましたが、なんだか普通の兄ちゃんという感じでした。
 前の主治医は50代後半で、患者の状況に興味津々な感じでしたが、今度の医者は40代前半くらいでドライな感じというか、ビジネスライクというか、話を聞いて薬を処方すれば、患者の内面に深く入り込む必要はないと考えている感じがしました。
 まだ初めてなのでよく分かりませんが、とっつきにくい感じでは無いので、これから少しづつ色んな話をしていければ良いかと思います。


OD:over dose

2023年06月25日 | 精神障害

 今日は真夏の暑さで、スーパーマーケットに買い物に行った以外、家でのんびり過ごしました。

 最近、私はOD:over dose気味です。
 OD:over doseとは合法薬物の過剰摂取のことで、一般的には2錠か3錠が用量のところ50錠も100錠も飲むことで、麻薬のような効果が期待されます。
 そしてぶっ倒れて病院に担ぎ込まれる、という結末を迎える者がほとんどです。
 過食嘔吐やリストカットのような、一種の自傷行為という見方がなされているようです。
 
 私は例えば抗不安薬や鼻炎カプセル、解熱鎮痛剤の用量が一日3錠のところ、6錠飲んだりするなどで、一般的な意味からは外れます。
 50錠とか100錠とか、命の危険があるほどの量は飲んでいません。

 しかし、私が行っている少量のODも、抗不安薬で言えば精神の安定、鼻炎カプセルや解熱鎮痛剤で言えば、少しでも体調がおかしいと思うと多く飲んでしまうということで、用量を無視しているという点ではODに違いありません。

 私は最近、もう十分に生きた、という感覚を持つようになり、薬の量については、副作用が出ようが何しようが今楽になれば良い、という考えに依っています。
 今も抗不安薬を1日2錠のところ、5錠飲んでラリっています。

 人間(じんかん)五十年と申します。
 今年54歳になる私は、その50年を超えました。

 それがODに全く罪悪感を持たない理由ではないかと思います。

 私が行っているODは、すぐに倒れてしまうような量ではありませんが、少しづつ、肉体を蝕んでいくものと思います。
 しかし今の私は死んでいないだけで、生きているという実感はありません。

 安定だけを求めて生きてしまった私の糞のような人生に、生き続ける意味などありません。

 自殺するほど追い詰められているわけではないので、自ら命を絶つような怖ろしい真似は出来ませんが、この糞みたい人生が近々終わろうと長引こうと、どっちでも構いません。 

 じつは本当は、違法薬物を試してみたい、という昏い欲求を捨てることが出来ません。
 人間は誰でも心の底に昏い欲求を隠し持っているものだと思います。

 私が軽いODを続けておかしくなったとしても、どうということはありません。


10年ルール

2023年06月21日 | 精神障害

 週中の水曜日になりますが、勤労意欲がわきません。
 月曜日も火曜日も必要最低限、いや、それ以下の仕事しか出来ませんでした。
 今日も相変わらずです。

 こういうことは稀にあって、精神のバイオリズムであろうと思って、気にしないようにしています。
 あんまり気にすると、精神状態が悪い方へと向かってしまいますから。

 今、就職して32年目になりますが、2005年度から2009年度までの5年間、極めて精神状態が悪く、病気休暇を繰り返しました。
 12か月×5年=60か月のうち、実に25か月も休んでいます。
 通算すると2年を超えるんですね。

 ① 2005年8月~2006年1月の6か月間
 ② 2007年10月~同年11月の2か月間
 ③ 2008年3月~同年9月の8か月間
 ④ 2009年8月~2010年4月の9か月間

 よくも解雇されなかったものです。

 私の職場では、2年間まで病気休職することが可能です。
 さらには、2年間休職したうえで1日だけ出勤し、それまでとは異なる病名が付けば振り出しに戻ってまた2年間休めます。

 これはあくまで机上の空論で、こんなことをする奴はいません。

 1年以上も休職すれば、上司が訪ねてきて引導を渡され、病気理由ということで退職金を上積みされて自ら退職していくのが普通です。

 私の場合、一番長くて9か月間だった点が上司を悩ませたかもしれません。
 引導を渡すべきか、もう少し様子を見るべきか。
 結果的にずうっと様子見の状態が続き、なぜか2010年5月以降、病気休暇を取らなくなりました。

 一応、寛解ということです。

 完全復職してもう15年目になりました。
 人体もしくは精神の不思議とでも言うんでしょうか。
 もちろん、服薬と休養、適度な運動などが功を奏しての寛解だとは思いますが、それにしてもどういうわけでこんなにきれいに治ってしまったのか、謎です。

 精神を病んで休んだ者は復職して10年間、昇任も昇給もさせない、という暗黙のルールがあるという噂を耳にしたことがあります。
 しかしそれを検証することは出来ません。 

 なぜなら復職して10年間も働き続けた者が一人もいなかったからです。

 しかし自分が復職してみて、その噂は本当だったと知ることになります。

 ぴったり10年間、昇任も昇給もしませんでした。

 そして11年目。

 嗤っちゃうくらい突如として特別昇給だの昇任だのを果たし、さらには成績率が「特に優秀」と評価され、給料が加算されたりもしました。
 どうも上層部はもともと面倒くさくて煩い私が騒ぎ出すのではないかとヒヤヒヤしていたようです。
 10年間を耐えたのは私だけではなく、上層部もそうだったようです。

 この話をすると、主治医は憤慨します。
 癌でも5年生存率という言葉があるくらいで、10年も飼い殺しにするなんて許せない、というわけです。

 しかし私は10年間を耐え抜き、もう5年目を迎えています。
 振り返ってみると、長い、長い、長い年月でした。

 後輩から次々と職階で抜かれていき、給料は1円も上がらない、それでいて障害者差別かと思うほど嫌味を言われ、こき使われる。
 とっとと辞職しろ、と毎日言われている気分でした。

 それでも地道にカラ元気をだして勤めているうちに、周りの目は変わってきて、きちんと仕事をこなしているあのおじさんはなんで年をくっているのにあの職階なんだ?という風に見られるようになりました。

 そこにいたるまでに約3年。

 10年ルールはまだ7年も残っていて、段々上層部にいじめられている可哀そうなおじさん、みたいに思われるようになりました。

 そういう目にあうと、他人を信用できなくなり、あらゆる物事に不信感を抱き、疲れて白けた気分が続くようになるものです。
 それは10年ルールを終えて5年も経とうとしている今も変わりません。
 きっと退職しても変わらないんでしょうね。
 長年の間に染み付いた思い癖ですから。

 60歳定年ならあと7年弱。
 65歳定年に変わると12年弱。

 まだがっつり残っています。
 疲れて白けた気分のまま働き続けるにはあまりにも長い時間です。

 躁転はいけませんが、もう少し上がってくれると楽なんですが・・・。


もう志ん朝師匠の噺は聴かない

2023年06月15日 | 精神障害

 今から思えば、私が古今亭志ん朝師匠の噺を聴くのを止めたことが、私を現実の世界に引き戻すきっかけになったような気がします。

 もう15年も前に、私は精神障害を克服し、職場復帰を果たしたわけですが、当初は腫物扱いで、まともに仕事なんぞさせてもらえませんでした。
 それならばと、私は毎日定時で帰り、仕事も最低限やらなければならないことだけし、後は知ったことではないと、人を手伝おうなんて気も起きませんでした。

 気楽な仕事で定時帰り。
 それでいて満額の給料。

 私は夢の世界を漂っていたのかもしれません。

 そんな時、私は食卓にノートパソコンを置いて、You Tubeで志ん朝師匠の噺を聴きながら晩酌をやるのが楽しみでした。
 そういうことをやって、なおかつ、終業後の時間には余裕があったのです。

 当然、昇進することもなければ、昇給することもありませんでした。
 それでも良いと、考えていました。
 私の場合、職業=病人なのですから、これが精いっぱいだろうと。

 同じ機関に勤める同居人は順調に昇進し、昇給を果たしていきました。
 同居人の役職では出なければならない打合せや会議に、私は出ることを禁じられていました。
 そういう役職に達していないからだそうです。

 気付けば同居人が講師を務める研修に、若い者に交じって聴講生として参加することも稀ではなくなりました。
 そういう職階だからだそうです。

 後輩からも次々と職階で抜かれていきました。

 そういう世界からは引退したつもりの私でしたが、職場復帰して時間が経過し、少しづつ与えられる仕事が正常化していくにしたがい、私は職場という荒波の中で、いつまでも夢に微睡んでいるわけにはいかなくなったのです。

 誰に昇進で後塵を拝するよりも、夢の世界から抜けなくてはならないという予感を覚えた瞬間が、最も悔しい時でした。
 夢から離れれば、私は万年係長の無能なおじさんでしか無いことは明らかだったのですから。

 そして私は志ん朝師匠の噺を聴かなくなり、少しばかり残業をこなすようになりました。
 しかしそれは、是非とも必要な残業であり、私は部下に押し付けて定時帰りしていただけだと思い知りました。

 この時こそ、私が本当に職場復帰を果たした瞬間だったかもしれません。

 実に職場復帰してから11年間が過ぎてしまっていました。

 荒波をプールだと思い込んで、周りもそれを許してくれていたのです。

 それから4年、気づけば私は誰よりも早く出勤し、誰よりも遅く退勤する仕事人間になってしまいました。

 精神障害発症時と異なるのは、落ち込まなくなったこと。
 私はまるで失われた労働時間を取り戻そうとするかの如く、働くようになりました。

 これがどういう結果を生むのかは分かりません。
 しかし、何も変わらないだろうと思っています。
 そんなことをしても、職階が上がるわけでも給料が増えるわけでもありません。
 おそらく頭のおかしい奴がますますおかしくなったと思われるだけでしょう。
 
 夢の世界を卒業して、少しばかり社会の荒波にもまれて、気付けば万年係長のまま退職するのでしょう。

 それでも、精神科医は私の発症から職場復帰、そして現在の仕事、すべてが精神障害者にとってはサクセス・ストーリーだと褒めてくれます。
 小さな精神障害者の世界でのみ、私はその存在を一人前と認められるのです。

 それで良いと思います。
 それで十分です。

 私は私の小さな世界で、私だけに分かる成功を収めたのですから。


主治医引退

2023年06月03日 | 精神障害

 今日の夕方、精神科の診察があります。
 私の主治医、今月で引退のため、最後の診察となります。

 うつ病発症から躁転が起こって病名が双極性障害に変わり、8カ月に及ぶ長い病気休職を乗り切って寛解にいたり、15年以上、再発していません。

 主治医とはもう16年もの付き合いとなります。

 まだ50代後半に見えますが、疲れてしまったのでしょうか。

 主治医が代わっても、私は一生躁を抑える薬を飲み続けなければなりません。
 高血圧を抑える薬のような物です。
 新しい医師との相性が良ければいいのですが。