ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

また猫と

2024年08月10日 | 文学

 今朝は朝一番で内科に行きました。
 4カ月に一度の血液検査のため、採血があったからです。
 その後しばし休んでそごう千葉店に行きました。
 今使っているバスタオルが大分くたびれてきたからです。
 ネット通販でも良いのですが、身に着ける物と同様、手触りを確かめてから購入したいと思いましたので。
 で、少し高いけど極めて肌触りの良いバスタオルを2枚購入。
 その後昼食を摂り、本屋へ。
 文庫本の小説を2冊購入。

 帰宅してから、かねて購入してあった歌集を読みました。
 「また猫と」という猫の挽歌集です。
 歌人は大の猫好きで、多くの保護猫を飼ったり、里親とのパイプ役になったり、猫無しの生活は考えられない人のようです。

 私はたまに愛でるくらいなら良いですが、飼うのは犬も猫も絶対に嫌です。
 実家で犬を飼っていたことがあり、野良猫を餌付けしたりもしていました。
 犬猫は当たり前ですが生きているので、その体温が暑苦しく、しかもほぼ確実に10数年で死んでしまうし、金はかかるしで、私にとって良いことは何もありません。

 で、「また猫と」

 不謹慎 かもしれないが猫の死は ひとのそれよりこたえてしまう

 老猫と居て 代わり映えしない日が 当たり前ではなくいとおしい

 起きたけど いた猫がもういない世界 また起きたけどまたいない世界

 看取るまで じゃなくそこから立ち直る までが「猫を飼う」っていうこと

 これらの短歌群。

 混じりけ無しの猫への愛情が感じられます。

 それにしても人はいつから猫を飼うようになったのでしょうね。
 犬はおそらく狩猟などで役に立つので飼い始めた理由がなんとなく想像できますが、猫は単に愛玩する以外、何の役に立たないはず。
 せいぜい鼠を捕まえるくらいでしょうか。

 しかし世の中には多くの猫好きがいて、せっせと猫の世話をしています。

 なんでも米国では、男が猫を飼うのはオカマみたいで格好悪いとされているとか。
 男なら大型犬、というのが常識だそうです。
 そんなことまで男女差別しなくても良いのに。

 猫の挽歌集、猫好きでなくてもその寂しさ、切なさが心を締め付ける作品になっています。

 どうか老猫が安楽な最期を迎えむことを。
 また、亡くなった猫 が安らかであらむことを。
 


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私、死体と結婚します

2024年08月09日 | 文学

 今朝は半年に一度の視野検査のため、千葉大学医学部附属病院に行きました。
 大学病院はとにかく待たされます。
 視力検査で待たされ、視野検査で待たされ、診察で待たされ、会計で待たされ、合計2時間ばかり待たされたでしょうか。
 どうせ待たされると思っていたので、未読の小説を持っていき、文庫本で229頁、軽やかな文体で読みやすく、待ち時間の間に読み終わってしまいました。

  近頃お気に入りの桜井美奈の「私、死体と結婚します」を読みました。
 比喩的なタイトルかと思いきや、本当に死体と結婚してしまいます。

 結婚間近で同棲しているカップル。
 明日には入籍しようというタイミングで、女が帰宅すると、男が寝室で冷たくなっています。
 女は看護師で、一見して死んでいると分かってしまいます。
 古いヒーターを使用したがゆえの一酸化中毒とみられます。
 しかし女は、冬の北海道での出来事から、4日くらいは死体は腐らないだろうと思い、わずかでも新婚生活をおくりたいと、男の死を隠したまま、役所に婚姻届を提出し、それは受理されます。
 もちろん、違法行為です。
 夫愛しさのあまりの狂気じみた行動です。
 しかしそこには、夫への愛情だけではなく、夫とその父親、幼い頃からの夫の親友が絡んだハチミツの違法輸入が関わり、それが要因か、女の幼い妹が事故死していたことが示唆されます。
 男女は互いに魅かれあい、お付き合いをして結婚を約束するわけで、それは愛情ゆえです。
 ただし女の側には、犯罪を含めた、男の隅々までを知り尽くしたいという欲求があったことが分かります。
 読む者を翻弄しながら、物語は疾走し、大団円へと向かいます。
 この作者、サスペンスを描きながら、王道からは外れるのかもしれませんが、特異なシチュエーションを作り上げるのが得意なようです。
 気楽に親しめる内容になっています。


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夏休み

2024年08月08日 | 散歩・旅行

 明日からから8月15日(木)まで土日を含めて7日間の夏休みです。
 7日間も休めるなんて正月休みとお盆休みくらいなので、嬉しいですねぇ。
 しかし、明日は朝から眼科受診のため千葉大学医学部附属病院に行かなければなりません。

 もともと緑内障のため近所のクリニックに通っていたところ、主治医から点眼治療だけではなく、手術も検討すべきだと、紹介状を渡されて千葉大学医学附属病院に初めて受診したのが3年半前。 

 それ以来、2か月に一度の通院でクリニックに通って、薬を処方され、半年に一度、2月と8月に千葉大学医学部附属病院に検査のため通っています。
 40代、50代での手術は感染症のリスクが高いため、様子をみましょうと言われ続け、もう3年半が経ちました。

 明後日はコレステロールの薬をもらいに近所の内科クリニックを受診予定。
 4か月に一度の血液検査のため、採血を行う予定です。

 それらが済んで1日おいて、8月12日(月)~8月14日(水)まで軽井沢に2泊3日の小旅行を予定しています。 
 コロナ禍で旅行を自粛し、以前は毎年中禅寺湖畔をはじめとする避暑地を選んで旅行に行っていたのですが、最後に旅行に行ったのがもう6年も前、蓼科高原に行って以来です。
 そのせいか旅行も億劫になり、新幹線で東京駅からわずか1時間で行ける軽井沢を選びました。
 軽井沢、避暑地というわりには涼しさは中途半端です。
 過去、最もよく行ったのが標高が高いせいで本当に涼しい奥日光の中禅寺湖畔あたりです。

 しかし眼の悪化とともに車の運転が怖くなり、眼科医からも運転はリスクが高いので、通い慣れている通勤路以外は走らないほうが良いと言われ、イロハ坂を上るなんて論外だということも、軽井沢を選んだ理由の一つです。
 定年退職したら早速運転免許は返納しようと思っています。

 涼しさも中途半端で人ばかり多い軽井沢に行くのはどうかと迷ったのですが、6年ぶりということで軟弱な避暑地を選びました。
 私はまだコロナが完全に終息したわけではないと思っているのですが、世間ではコロナは終わったものとして扱っています。
 その時流に乗って、楽しんできたいと思っています。


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B面の夏

2024年08月06日 | 文学

 30年も前に刊行された黛まどかの句集「B面の夏」を昨夜読みました。
 この人の名前はもちろん30年前から知っているし、代表的な句のいくつかはなぜ覚えたのか分かりませんが、諳んじることもできます。
 それなのに句集を読まなかったのは、この人、もしくはその周辺のファン達のイメージが恋愛依存的な雰囲気を醸し出し、気持ち悪くて面倒くさいように感じたからです。
 改めて読んでみると特段恋愛依存とは感じませんでした。
 
 ふらここや 恋を忘るる ための恋

のような句が恋愛依存的に感じたのかもしれません。
 公園デートでしょうか、ぶらんこに乗りながら前の恋を忘れようと新たな恋を求めているというほどの意かと思います。 

 また、こんな句。

 夜桜や ひとつ筵(むしろ)に 恋敵

なんて、怖いですねぇ。

 私が最も好む句は、

 飛ぶ夢を 見たくて夜の 金魚たち

 です。
 近頃では高校の国語の教科書に載っているのだとか。

 一生を狭い金魚鉢で過ごす金魚でさえ、せめて夢の中では広い世界を飛び回りたいのでしょうか。

 もはや大御所となり、いくつかの大学で客員教授を務めているそうです。

 一口に30年と言いますが、それは途方もなく長い年月です。
 30年前、私は24歳で、仕事にも少し慣れ、悪い遊びを覚え、天下を取ったような気持ちでいました。
 まさか30年後、今の私のような疲れて冴えないおっさんが出来上がろうとは思ってもみませんでした。


 


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殺した夫が帰ってきました

2024年08月05日 | 文学

 近頃お気に入りの桜井美奈のミステリー「殺した夫が帰ってきました」を昨夜読みました。
 タイトルが極めて刺激的です。

 DV夫を崖から突き落として殺した女。
 その後独身と偽ってファッションデザインの会社に勤め、充実した毎日を送ります。
 しかし罪の意識に苛まれるのも事実。
 そして夫殺害から5年も経って、記憶を失った夫が帰ってくるのです。
 崖下で奇跡的に生き残ったのか、はたまた化物か、とにかく女は記憶を失ってすっかり優しくなった夫と奇妙な同居生活を始めます。

 女の不幸な生い立ちが語られ、様々な登場人物が真実に近づき、あっと驚く結末を迎えます。
 謎が重層的に絡まる物語で、何を書いてもネタバレになってしまうので、これ以上は書きません。
 
 切ない真実に、つい、落涙を禁じ得ませんでした。


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犬のように

2024年08月04日 | 散歩・旅行

  昨日はイオンモール幕張新都心に出かけました。
 夏になるとよく訪れます。
 夏は暑すぎて外散歩が出来ないため、歩くために空調の効いただだっ広いイオンモールは快適で便利だからです。
 普段運動などしない私にとっては散歩くらいしか体を動かすことがありません。
 散歩は私にとって死活的に重要です。
 犬のように。

 イオンモール幕張新都心へは東関道を使って車で20分ほど。
 11時半頃に着いて、まずは洋麺屋五右衛門で昼食。
  
 その後歩き始めました。
 
 同居人の体重が過去最も重くなってしまい、近所のジムに通い始めて一か月半。
 食事制限はしていないのに2キロ痩せたと同居人は喜んでいます。
 これまでほとんど運動をしていなかったのに突如として運動に目覚め、スポーツ用品売り場が見たいとか言いやがります。
 色々見て回り、トレーニングウェアを2着購入。

 私は本屋で小説2冊と歌集を1冊、句集を1冊購入しました。

 なんちゃって貝の口(帯の結び目) をマジックテープと思われる帯に突っ込み、腰ではなく腹で巻いたグズグズの着方で浴衣を着た青少年と安そうな浴衣女性のカップルをやたらと見かけました。
 なんちゃって貝の口、存在は知っていましたが見るのは初めてです。
 しかも大勢。
 ちゃんと着ている者は見る限り一人もいませんでした。

 要は七五三の着付けと一緒です。

 スマホで調べたら幕張ビーチ花火フェスタなる花火大会を開催の由。
 なるほどと頷きました。
 開始は19時15分からですが、お昼前からイオンモールをうろついています。
 いくらなんでも早すぎるだろうと心の中でツッコミを入れざるを得ませんでした。

 なんだかんだで8,000歩歩き、珈琲を頂いて帰宅。
 良い土曜日でした。


 


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幻想列車 上野駅18番線

2024年08月03日 | 文学

 金曜の夜、小説を読んで過ごしました。
 読んだのは桜井美奈の「幻想列車 上野駅18番線」です。
 先般この作者の「私が先生を殺した」という上質なサスペンスを読んで気に入り、他の作品も読んでみようと手に取った1冊です。

 

 内容は「私が先生を殺した」はサスペンス、「幻想列車 上野駅18番線」はファンタジーというか寓話というか、とにかくこの世の存在では無い者が登場します。

 心に傷を持った者が上野駅の隅、人けの無いベンチに座っていると、不思議なことが起こります。
 テオと呼ばれるぬいぐるみのように可愛らしい架空の生き物が、その外観からは不釣り合いな乱暴な口調で鍵を渡し、秘密のドアを開けるよう誘います。
 ドアを開けるとレトロな一両編成の列車(一両で列車というのは変ですが)が止っています。 

 上野駅には存在しないはずの18番線
 テオに促されるまま列車に乗ると深く真っ黒な瞳の車掌がにこやかに待っています。
 この車掌、とんでもないくらいの美青年です。
 そこで、誘われた者は不思議なことを聞かされます。
 一つだけ、消したい記憶を消してあげる、というのです。
 そして列車は記憶を消した後の近未来と消さなかった場合の近未来を見に発車するのです。

 この物語では4人の登場人物が同じシチュエーションでそれぞれの記憶を消す旅が描かれ、連作短編集の体裁を取っています。

 音楽家を目指し、目標のピアニストへの茨の道を進むか、安定を求めて教師になるかに悩む音大生。
 彼は少年の頃小さな音楽祭で入賞した記憶を消せば音楽にさして興味を持たないで済んだのではないかと悩んでいます。
 彼は記憶を消すのでしょうか。

 事故で幼い息子を亡くし、さらに一年も経たずに愛しい妻まで病で亡くした男。
 彼は息子の事故の記憶を無くしたいと思っています。
 しかしそれは、妻との結婚をも忘れて、独身生活を続けてきた、という人生にならざるを得ません。
 苦しい記憶とともに愛しい記憶までも無くしてしまうことを選ぶのか。

  痴漢にあったことを忘れたい女。

 幼い頃義父を突き飛ばし、頭をぶつけて亡くなったことを、自分が殺したと言って苦しみ続け、その記憶を消したいOL。

 それぞれ心に闇を抱え、消してしまいたい記憶がありますが、それを消すと消したことに伴って良い記憶をも無くしてしまうという究極の選択を迫られます。

 そしてエピローグにいたって、車掌こそ、50年以上前にすべての記憶を消してこの世の者ではなくなった当事者だということが示唆されるのです。

 平易で読みやすい文章にそれぞれの主人公の葛藤が綴られます。

 記憶とは何だろう。自分を作っているのは、記憶なのだろうか。

 という登場人物のつぶやきは、記憶に拘束されざるを得ない人間の本性を突いていて秀逸です。
 難を言えば平易であるがためにかえって子供っぽく感じられる文章でしょうか。


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ドグマチール

2024年07月28日 | 精神障害

 昨日は4週間に一度の精神科通院日でした。
 最近仕事が増えて落ち込み気味で、今も多くの精神病薬を飲んでいますが、もうずいぶん前、初めて精神科で処方され、救われたと感じたドグマチールを処方してほしいと主治医にお願いし、処方してもらいました。

 思えば今までたくさんの薬を試してきました。
 合う物もあり、水を飲んでいるかのように効かない薬もありました。

 精神病の薬というのは飲んでみなければ効果があるかどうか分からないようなところがあります。
 内科の薬、例えば解熱剤などは、誰が飲んでも効くと思いますが、精神というもの、まだ得体が知れず、脳の一部に作用して薬効を得るわけですが、これがじつに難しい。
 解熱剤の例でいえば、熱を測ればその効果はすぐに分かりますが、精神科の薬はあくまで患者がどう感じたかに依るところが大きく、脳内を検査して効いているはずだと推測は出来ても、患者が効果を実感できなければ意味がありません。
 そういう意味では、ドグマチールは私にとってお守りみたいな物です。
 ただこの薬、承認されたのが1973年と古く、その後多くの新薬が開発されたため、最近はあまり使われなくなりました。

 効いてくれると良いのですが。


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私が先生を殺した

2024年07月22日 | 文学

 今夜ミステリーを読みました。
 テンポが良くて物語が疾走する快感に心奪われ、400頁を一気読みしてしまいました。
 読んだのは「私が先生を殺した」です。

 物語の冒頭、ある私立高校の避難訓練で校庭に全校生徒が集まる中、27歳の人気教師が屋上から飛び降り自殺します。

 一体何があったのか。

 物語は語り手が次々と変わり、それぞれの視点から事件に関する一部が語られます。
 このあたり、湊かなえの「告白」との類似を感じさせます。

 

 語り手が変われば物語が多重的になっていくというのは、芥川龍之介の名作「藪の中」でよく示されています。

 そのため、この手法は時折見かけますが、「私が先生を殺した」では、物語が多重的になるかと思いきや、最後の語り手である自殺した人気教師によって、怖ろしい真実と切ない自殺動機が語られ、一つに収斂していくという、エンターテイメントらしい分かりやすい結末が待っています。

 久しぶりに平易で抜群に面白いエンターテイメントに接することが出来たのは私にとって幸いでした。
 桜井美奈という作家の小説を読むのは初めてですが、またいくつか読んでみたいと思います。
  

 


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他人事

2024年07月21日 | 文学

 今日はあまりの暑さのせいで家から一歩も出ず、冷房を効かせた自宅で快適に過ごしました。
 で、珍しく短編集というか、ショート・ショートを読みました。
 平山夢明という作家の「他人事」です。

 私はこの作家を知らなかったのですが、本屋で偶然見つけて面白そうだと思い、購入。
 しばらく前までは本はほとんどネットで購入していたのですが、本屋では新鮮な出会いがあるので、よく大型書店に出かけるようになりました。

 この短編集、322頁に14のショート・ショートが収められています。
 どれも奇妙な味の、残酷で滑稽な物語たちです。

 短編集というもの、短い話ばかりなので、つい、もう一つだけ、もう一つだけ、なんて思いながら一気読みしてしまうことがあります。
 これがそうでした。

 ホラーだったりSFだったり、ブラックユーモアだったり、どれも私にとってお好みの作品でした。
 幸せな気分になりました。


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35年目のラブレター

2024年07月16日 | 文学

 昨夜は珍しくノンフィクションを読みました。
 読んだのは「35年目のラブレター」です。

 山間部に建つ小さな小屋で炭焼きを営む西畑家。
 そこの長男、西畑保の生涯に取材したもので、小説のような体裁を取っています。

 小学校までは獣道みたいな未舗装の細い道を3時間も歩かなくてはなりません。
 それでも同学年の友達が出来ることを楽しみに通い始めます。
 しかし、草鞋履きで継接ぎだらけのボロを着た見るからに貧しい彼は、その貧しさゆえにイジメにあってしまいます。
 しかも教師までが、彼を疎んじ、イジメを止めさせようとしません。
 西畑少年は登校拒否になり、山間部にぽつんと建つ自宅で父親の仕事を手伝ったり、同じ山間部に住む年上の少年と唯一の友達になり、遊びまわったりします。
 家庭では白飯を食うことなど出来ず、薄い粥ばかりで、いつもお腹を空かせています。
 小学校もろくに通っていないのだから、当たり前ですが読み書きが出来ません。
 それが西畑保を苦しめ続けることになります。

 長じて町に出、食堂で下働きのようなことを始めますが、メモが取れないので注文を受けることが非常に困難です。。

 出前の電話も満足にできません。

 しかも周りの同僚や先輩後輩に文盲であることを隠そうとします。
 そんなことは無理なのに。
 しかし高度経済成長でどこも人手が足りず、仕事にあぶれるということはありません。

 いくつかの飲食店を転々とし、最後は寿司職人におさまります。
 この間、役所の書類などは、右手を怪我したことにして包帯でぐるぐる巻きにし、怪我で文字が書けないと嘘をついて代筆を頼んだりします。

 文盲ゆえに結婚は諦めていますが、お見合い話が転がり込んで、西畑保は相手に一目惚れしてしまいます。

 結婚話はトントン拍子に進み、結婚に至ります。
 当初は妻にまで読み書きが出来ないことを隠し通そうとしますが、回覧板の署名までも書かないことに不審に思った妻に問われるまま、文盲であることを告白します。

 彼は離婚を切り出されることを極端に怖れながら、それを受け入れざるを得ないと覚悟します。

 しかし奥様は彼に深く同情し、字を教えようとします。
 それでも西畑保は拒否反応を示し、字を覚えることはかなわず、妻も字を教えることを諦めてしまいます。

 やがて64歳で寿司職人を引退。
 悠々自適の生活に入ります。

 ここまで来てやっと、彼は夜間中学に通い、読み書きを覚えることを決意。
 その最大の動機は、愛する妻にラブレターを書きたかったからです。 

 涙無しには読めません。

 知らなかったのですが、夜間中学には最長20年間在学できるそうで、その間にひらがな、かたかな、簡単な漢字覚えるのみならず、パソコンのワープロソフトを使って文章が書けるようになるまでに成長します。

  二人の娘、五人の孫に恵まれ、文盲というハンディも乗り越えて、充実感を覚えます。

 結婚35年、妻に初めてのラブレターを送ります。
 その後も妻の誕生日にラブレターを送ったりしますが4通目のラブレターを書いている間に妻が急死。

 それでもへこたれず、文盲に対する差別を無くし、文盲の人を無くそうと、様々な講演会などを精力的に行います。
 88歳の今も老いてなお元気です。

 この本を読んで感じたのは、人間いくつになっても物を覚え、成長することが出来るということと、なぜ64歳まで読み書きを覚えようとしなかったのかという疑問です。

 現代の日本では識字率は99.96%をされているそうです。
 100%ではないのは、西畑保同様、戦後の混乱期に学校に通うことが出来なかった人たちがいるからだといわれています。
 この日本で読み書きが出来ないというのは想像を絶する困難がつきまとうことでしょう。

 ちょっとした書類に署名することすら出来ないのですから。
 貧しいというのは罪なことです。

 一方、東大生の6割以上の親の年収は1,000万円を超えているそうです。
 金持ちは高学歴となって益々豊かになり、貧乏人は文字を覚えるのがやっとだとしたら、日本という国は、根本的なところで教育を誤っているのかもしれません。

ノンフィクションというジャンル、あまり好みませんが、これは小説仕立てで書かれており、読みやすいながら、現実というものを突き付けられて、辛い読書体験となりました。

 


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吸血鬼

2024年07月15日 | 文学

 今日は読書をして過ごしました。
 読んだのは佐藤亜紀の「吸血鬼」です。
 吸血鬼とはいっても、ヴァンパイアが出てきて活躍するわけではありません。

 1845年のポーランド。
 その当時、ポーランドはオーストリア帝国の支配下にあります。
 ポーランドの片田舎の村にオーストラリアの行政官が赴任します。
 因習的で気味の悪い村です。
 ここで続いて3件、不審死が起こります。
 村民は動揺します。
 村民の不安を鎮めるため、行政官は村に伝わる因習的な方法を採ることを決意。
 それは棺を掘り起こし、遺体の首を切断するというもの。
 行政官は当然そんな迷信を信じているわけではありません。
 あくまで民心を安んじるための方便です。

 時を同じくして、ポーランド全土でオーストリア帝国打倒のための反乱計画が密かに進められます。
 この村の地主もこれに呼応するため、大量のライフルを調達して納屋の地下に隠します。

 反乱と因習が結びついて、大きな事件を予感させます。
 
 私はかつて、佐藤亜紀の小説を2冊だけ読んでいます。
 日本の内乱を描いた「戦争の法」という作品がとにかく面白くて、続けて「バルタザールの遍歴」というのを読みました。

 

 「戦争の法」は日本の話でしたが、「バルタザールの遍歴」はヨーロッパが舞台でした。
 そうすると、当たり前ですが人物名も地名も横文字で、これが読みづらく、この作者の作品の多くがヨーロッパの歴史小説だと知り、その後読むことを止めてしまいましたが「吸血鬼」というタイトルに魅かれて久しぶりに読みました。

 オーストリア帝国に支配されていたポーランドでは、オーストリア人がポーランド人を差別し、ポーランド人は少数派のウクライナ系住民を差別するという構図が出来上がっています。
 さらには地主と農奴との関係などが描かれ、物語は重層的な趣を醸し出します。
 「吸血鬼」というのは、ポーランド系やウクライナ系の農奴の血液を吸うがごとくに搾取する支配層を指しています。

 石川淳を思わせるような精神上の暗闘が描かれます。
 物語は非常に面白いものでしたが、やはり地名や人名がよく分からなくなるという読む上での困難を感じました。

 精神の暗闘を描くことこそ、小説の醍醐味の一つです。
 暗闘というのが大袈裟なら、精神の漂流と言っても良いかもしれません。

 私も少年の頃から精神の漂流が始まり、50代半ばを迎えてなお、その漂流が終わることはありません。
 この漂流が終わることは決して無く、それが人間というものなのだろうと思います。


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定年まで

2024年07月14日 | 仕事

 普段なら日曜日の夕方はひどく落ち込みますが、今週は月曜日がお休み。
 精神的にずいぶん楽です。
 火曜日になればまた地獄が待っているというのに。

 就職して33年目。
 若い頃よりはずいぶんずうずうしくなりました。
 休み明け辛いのは辛いですが、休みの最中も仕事のことを思って憂鬱になることは少なくなったような気がします。

 今日は雨が降ったりやんだりで、食材の買い物と昼食に出かけた以外、家でのんびりと過ごしました。
 退職すると毎日がこんな感じになるのでしょうか。
 そうするとずいぶん心穏やかでいられるような気がします。
 多分定年は65歳に延長されるでしょうから、そこまで勤めたらあと10年もあります。
 65歳までは気力、体力ともに持たないような気がします。
 そうなったら早期退職するしか無いでしょうね。
 とりあえず現在の定年である60歳までは勤めたいと思っています。

 


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お買い物

2024年07月13日 | 散歩・旅行

 今日は雨が降る予報でしたが、意外にも晴れ間ののぞく陽気となりました。
 曇りがちなので、気温もそれほど上がらず、そごう千葉店にお買い物に行きました。
 まずはそごう千葉店でお気に入りの椿屋茶房でビーフカレーとサラダとスープの昼食。
 食後にはホットコーヒーをいただきました。
 私たち夫婦は飲食店ではつい長っ尻になりがちで、1時間半もかけてゆっくり食事を楽しみました。

 その後LOFTへ。
  同居人が欲しがっていたちいかわのぬいぐるみを購入。
 同居人、子供の頃お小遣いをもらえず、大人から見たらくだらない、しかし子供にはとても魅力的なぬいぐるみや駄菓子などを購入することが出来ず、思い残しゆえか、社会人になってからそういった物を買いあさるようにになりました。
 それは就職33年目の今も続いています。
 私から見たら馬鹿げているように見えますが、子供の頃の境遇というのはいくつにになっても影響を残すもののようです。

 私は長袖で生地の薄いカジュアルシャツをスコッチハウスで購入。
 クールビズ用のカジュアルなシャツは5枚持っていますが、1枚に朱肉が付いてしまい、しぶしぶ購入。
 月火水木金で5枚は必要なのです。
 職場は冷房が効いているし、車通勤なので、真夏でも長袖を着用しています。
 土日は着物で過ごすことが多いので、それ以上は必要ありません。

 同居人、体重も体脂肪率も人生で最大を記録し、ついにはジム通いを決意。
 週2回、6週間のプログラムに申し込み、運動用にTシャツや短パンを購入。
 同居人、何事も長続きしませんが、今度ばかりは本気のようです。

 さらにデパ地下で今宵の夕飯を購入。

 少々疲れたので喫茶店で本日2杯目の珈琲をいただき、帰宅しました。
 幸いにも雨が降らず、買い物を楽しめたのは私の喜びとするところです。
 


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寛解

2024年06月30日 | 文学

 昨日は月に一度の精神科受診日でした。
 もう寛解にいたって15年以上経ちます。
 日常の苦しみはもはや生きるうえで避けられないと分かっています。
 単に予防的に飲む薬が欲しくて通っているだけのような状態が続いています。


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