blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

341?

2018-07-30 20:14:10 | 日記
PC版の本欄には、前日の閲覧ページ数と訪問者数がすぐ分かるところに書いてある。
昨日の訪問者数が341というのは11年やってきて記憶になく、2百万以上の登録があるgooブログの中でちょうど2,500位となっていた。
商売に使っているわけでもなく、まったくの無名の人間でSEO対策などはまったくしていない中でこの数字は自分でも驚いている。
しかも昨夜のエントリーの中身は単なる個人的な暴露話でお世辞にも褒められた内容ではない。
しかし、普段は訪問者数は100に届かない日がほとんど、しかもBingやGoogle、Twitterなどのbotによる閲覧が数字の大半を占める中(個人のログイン後ページで確認できる)、明らかに人間が見たと思われる数が多かった。
数字が上がって悪い気はしないが、数字が伸びる仕組みも分からない私は「なんでだろう?」と思うばかりだ。

さて、SNS上の幼稚で無防備な書き込みについて、あらためて字数を割く必要はない。
しかし、他人には「私に寄りかかられて疲れた」とこぼしておきながら、私がそこに突っ込むとなぜかガチギレで全力否定という、昨日のエントリーではC君で記載した人物についてはもう少し書いておく。

※本人はまず「私に疲れた」自体が事実誤認と言いたいようだが、それは自らの結婚式で友人代表としてスピーチに立ってくれた人物を疑うことになり、果たしてそんなことが道義的にできるのかという疑問は残るので、あくまで「私に疲れた」ことは事実だという前提で書き進める。

小学校で知り合ったが、私は付き合い始めの時期を頼りに学校が進んでも彼に依存しすぎ、彼からすればいつも「近すぎる」ところに私がいた。
彼が疲れた原因はそのあたり、時期的には毎日学校で顔を合わせていた頃であると思われるから、遠い昔、未熟な10代とはいえ彼には本当に悪いことをしたと今になって思う。
本当に互いに信頼して実のある付き合いができていたのは、長めに見積もってもせいぜい高校3年生の途中あたりまでではないか。
その後の30年は、進学などで地理的に遠く離れている時間がほとんど、会う回数も年に数回程度となっているし、かといって私が電話やメールでしつこく粘着した事実も記憶もない。

本当につい最近まで、具体的には昨年秋の某コンサートまで、私は本当に彼を信じていた。
しかし帰り際、ロクな挨拶もなく、こちらの目を見ることもなく、本当は打ち上げの飲みなんかしないで帰りたかったとでも言わんばかりに金山総合駅の改札に消えて行った姿を見て、一気に気持ちが冷めた。

30年間騙されたとは決して言わない。
しかし、高校を出てからの(出る前から?)30年の付き合いは実質は私の片思いだった。

その中でも思い出は数多くあり、一言では言い尽くせない。
なぜもう付き合いに疲れたはずの人間に対してそこまでできるのか逆に不思議なくらい、当地だけでも様々な思い出をもらった。
私のために貴重な時間を割いてくれたことには、ただただ「ありがとう」と言いたい。
もう会うことも連絡を取ることもないだろうが、決して私の記憶から消えることはない人物であることだけは確かである。
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