blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

泣いていたのか

2018-02-01 21:12:33 | 日記
月の初めの1日、毎月この日だけは朝に全員が集まって有難いお話を聞くことになっている。
もちろん大切でない中身などないわけだが、最前列で堂々と寝ている人も散見され、話す方も特にそれを注意することもなく、集まりは淡々と進む。
個人的には、ここのところチャイムと同時に仕事に飛び出さなくてはならないような余裕のない日がほとんどで、始業30分くらいを座学に費やしたことはちょっとした気分転換にはなった。

各人が陣取る場所というのは、たった月に一度のことではあるが何となく決まっている。
私は会場の左寄り、かなり前の方にいつも行く。
左となりにはかつて私と一緒のチームで活躍してくれた若い某君が座る。
今は特に接点もなく会話もないが、月に一度は「おはよう」の一言くらいはかけてあげたいと思う。

右となりには、事業所きっての美女が二人並ぶ。
美女が座るからといって、こちらは普段も過去も接点はないから特に会話もない。
昼時には一緒にいることが多いので、つるむまではないにしてもお互いに気を許した関係なのだろうと思う。

さて、今日はそのうちの一人の顔が朝から紅潮しているように見えた。
両手を顔に押し当て、あるいは泣いているようにも見えた。
どんな事情があったのか、聞き耳を立てても聞こえない。
昨日仕事で嫌なことがあったのか、あるいは個人的に辛いことがあったのか。

泣くという表情は、相当大きな心の「揺れ」がないと表には出てこない。
他人から見てにわかには信じられないようなことを言われたのだとしても、その人に発言の主をいくらかは信じている気持ちがないと気持ちの揺れにはつながらない。
最初から優しい言葉など期待していない人から何を言われたところで気持ちが大きく揺さぶられることはないのは誰でも同じだろう。

日頃から「他人なんて」とウソぶいてばかりいる人間でも、信じたい人が誰もいないということはあるだろうか。
本当に他人を誰ひとりとして信じていない人間がいると言うなら、ぜひ私に紹介してほしい。
顔は知らなくても他人を100%信じないで生きて行くことは、自給自足の生活でもしていない限りは不可能である。
ましてや気心も知れ、深く信じたい存在であればあるほど、裏切られた時のショックは大きい。
日頃、笑顔は多いものの本質的にはクールなイメージがあって、感情をあらわにする場面などあまりないように思われる人が朝から目を腫らしているように見えたことは少なからず驚きであった。

生きていることは幸せだが、生きていくことは誰にとってもきっとつらいことの方が多いのかもしれない。
どうせ人生がつらいのならば、これだけは、と思える何かを抱えて生きていく方がいいのだろうと思う。

最新の画像もっと見る