スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

評価の理由&親類への配慮

2012-05-26 18:27:11 | NOAH
 NOAHの旗揚げが大規模なものになったことについて,僕は三沢を評価します。僕にとってプロレスラーへの評価というのは,単に素晴らしい実績を残したとか,凄い試合をしたというだけのことではないのです。
 たとえば長州力によるジャパンプロレスの設立とか,結果的に全日本プロレスに最良の時代をもたらすことになった1990年のSWSの旗揚げなど,プロレス界には新しい団体ができることとか,あるいは団体を作るのではなくても,別の団体に移籍するといったことは,それまでにも,またそれ以降にも数多くありました。実例として挙げたふたつの場合では,ジャパンプロレスのときには一定数の選手が長州と行動を共にしましたし,SWSのときも,何人かの選手は天龍の後を追うように全日本から離脱していきました。しかし,NOAHの旗揚げのときのように,敵としてであれ味方としてであれ,一緒に戦っていたレスラーが一斉に行動を共にしたという例はありません。当時の全日本プロレスで戦っていたレスラーのうち,NOAHに参加しなかったのは,渕と川田のふたり。さらに加えても,三沢があまり評価していなかった当時のモスマン,今の太陽ケアと,議員になっていたのでプロレスはほとんどしていなかった馳だけです。いい換えれば,団体を辞して新しい行動に移ったレスラーのうち,三沢ほど,共に戦っていたレスラーたちの信頼をかち得ていた選手はいなかったし,それ以降も現れていないということです。そしてそれが,僕が三沢を高く評価する理由です。僕はレスラーというのは,リング上で素晴らしい試合を展開するというだけでなく,組んでいるパートナーからも,また戦っている相手からも,信用を得ていなければならないと考えています。そういう意味では,三沢光晴こそが,僕にとって最高のプロレスラーである,あるいは少なくとも最高のプロレスラーであったといっていいでしょう。
                        
 なぜ三沢がそんなに信頼を得ることができたのか,それは僕には分からないです。しかし事実としてそうであったというだけで,僕にとっては十分に評価するに値するのです。

 叔父が墓地の管理施設の事務所を借りて四九日法要を営むことにしたのは,第一には僕たちの負担を減らすと同時に,住職の負担もなるべく軽減するためでした。しかしそれだけでもなかったのです。
 祖母の通夜と葬儀は,家族葬という形で,南部斎場において慎ましく執り行いました。つまり僕たちと,僕の従妹とその母以外には一切の参列者がありませんでした。ところが今回はそうではなかったのです。
 これは,祖母の死と納骨との間に,年末年始が挟まっていたということが大きく関係しています。祖母は横浜に来てからは,大和時代の友人たちと交流する機会というのはほとんどといっていいくらいなくなっていました。それでも,年賀状のやり取りはしていたわけです。そこでそうした人たちには,叔父が年始の欠礼状を出しました。よってそれを受け取った人たちは,それによって祖母が死んだということを知ることになったわけです。もちろんそれは,大和に住んでいた頃の祖母の友人たちだけではなく,祖母の血縁者,そして祖母の夫,つまり僕からみれば僕が小学校5年生のときに死んだ祖父ということになりますが,その近親者というのも含まれていました。そこで祖母の友人たちにはこの法要の詳細については知らせなかったようなのですが,近親者たちには伝えたため,その中から何人かの参加者が出ることになりました。
 このうち,祖母の生まれ故郷である秋田県に住んでいる祖母の親戚からは,出席するという返事はありませんでした。したがって参加者のほとんどは,横浜市内に在住の方々が占めることになったのですが,中に1組,岐阜県に住む祖父の親類から,参加するという返事があったのです。横浜市内に在住の方でも,たとえばアパートで法要を行い,大和で納骨するということになれば大変であるに違いありません。しかしわざわざ岐阜から訪ねてくる親類にとっては,この負担はあまりに過度なものであるといえるでしょう。よって叔父は,なるべく墓に近いところで法要も営むように手配しようとしたようです。墓地管理施設の事務所を借りることができるということは,当初は想定していなかったようですが,仮にそれが無理でも,どこか墓地の近辺のホールを借りる腹積もりであったようです。
コメント
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