第23回かきつばた記念。
ラプタスがハナへ。2番手がスマートセラヴィーで3番手にテイエムサウスダン。4番手がベルダーイメルで5番手がケイアイテディ。2馬身差でノボバカラとナリタミニスター。2馬身差でメイソンジュニアとウラガーノ。5馬身差でサンデンバロン。後方2番手がゴールドクイーンで最後尾にエイシンハルニレという隊列。最初の600mは35秒3のハイペース。
向正面でスマートセラヴィーは苦しくなり,テイエムサウスダンが2番手に上がって3番手にベルダーイメル。コーナーに掛かると逃げたラプタスがテイエムサウスダンとの差を広げていきました。ただ4番手に上がってきたノボバカラはベルダーイメルとまだ2馬身くらいの差があり,上位争いは3頭。コーナーで広げたリードを直線でさらに広げたラプタスが鋭く逃げ切って優勝。テイエムサウスダンが3馬身差で2着。直線でテイエムサウスダンの外に持ち出したベルダーイメルでしたが届かず1馬身差で3着。
優勝したラプタスは前走のオープンから連勝。重賞は昨年のかきつばた記念以来で3勝目。この馬は自分のペースで逃げることができるかが最も大事。このレースは発馬で不利がなければそれが叶いそうでしたので,最有力ではないかと思っていました。前走は好位から差していたように,逃げられなければだめというわけではないのですが,やはり重賞ではこれからもその点が最も重要になってくるのではないかと思います。父はディープブリランテ。5代母がバウンドトゥダンスとファーストアクトの祖母。Raptusは衝動。
騎乗した幸英明騎手は第13回,22回に続き連覇でかきつばた記念3勝目。管理している松永昌博調教師は連覇でかきつばた記念2勝目。
神Deusの無限な観念ideaといわれている以上,それが属性attributumではなく様態modiであるとしても,無限様態modus infinitusでなければならないと僕は考えます。いい換えればそれは個物res singularisの観念あるいは同じことですが,思惟の属性Cogitationis attributumの個物とみなすことはできないと考えます。この点からいえば,人間の精神mens humanaはそれ自体が思惟の属性の個物なのですから,第二部定理八でいわれている神の無限な観念については,それを十全に認識するcognoscereことができないということもできそうです。いい換えればこの神の無限な観念というのは,神のうちにある神の観念idea Deiを意味するのであって,人間の精神のうちにある神の観念には妥当しないということができそうです。僕は思惟の属性の間接無限様態については,それを人間が十全には認識することができない様態であるがゆえに,スピノザはそれを明示しなかったのだという,『スピノザ哲学論攷』における河井徳治の指摘には一理あるという見解opinioを表明していますが,このような観点からは,神の無限な観念と思惟の属性の間接無限様態を等置する見方を正当化することができるかもしれません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/2b/4b9a9727bde3a8bcf4f20dab4e2d8a99.jpg)
いずれにせよ僕が神の無限な観念について,その結論を明確にしないというのは,結局のところそれは神の観念というのが,スピノザの哲学においては多様な解釈を要求されているのだということと関係します。つまり,神の観念というのが多様な解釈を要求されているのと同じように,神の無限な観念というのも多様な解釈が要求されていると考えるのです。そしてそれは,第二部定理八および第二部定理八系でいわれている,形相的本性essentia formalisの身分と,個物が現実的に存在している場合の本性である現実的本性actualis essentiaの身分を,スピノザの哲学において,形而上学的な観点からどのように解するのかということと大きく関連するだろうと思います。逆にいえば,このことについてどういう形而上学的立場を採用するのかということが,神の無限な観念というのをどのようなものと解するのかということを決定づける大きな要素となると考えます。
「存在しないものの存在論」についての考察はこれで終了とします。続いて近藤智彦による「自由意志と目的論の帰趨」に関連する考察を開始します。
ラプタスがハナへ。2番手がスマートセラヴィーで3番手にテイエムサウスダン。4番手がベルダーイメルで5番手がケイアイテディ。2馬身差でノボバカラとナリタミニスター。2馬身差でメイソンジュニアとウラガーノ。5馬身差でサンデンバロン。後方2番手がゴールドクイーンで最後尾にエイシンハルニレという隊列。最初の600mは35秒3のハイペース。
向正面でスマートセラヴィーは苦しくなり,テイエムサウスダンが2番手に上がって3番手にベルダーイメル。コーナーに掛かると逃げたラプタスがテイエムサウスダンとの差を広げていきました。ただ4番手に上がってきたノボバカラはベルダーイメルとまだ2馬身くらいの差があり,上位争いは3頭。コーナーで広げたリードを直線でさらに広げたラプタスが鋭く逃げ切って優勝。テイエムサウスダンが3馬身差で2着。直線でテイエムサウスダンの外に持ち出したベルダーイメルでしたが届かず1馬身差で3着。
優勝したラプタスは前走のオープンから連勝。重賞は昨年のかきつばた記念以来で3勝目。この馬は自分のペースで逃げることができるかが最も大事。このレースは発馬で不利がなければそれが叶いそうでしたので,最有力ではないかと思っていました。前走は好位から差していたように,逃げられなければだめというわけではないのですが,やはり重賞ではこれからもその点が最も重要になってくるのではないかと思います。父はディープブリランテ。5代母がバウンドトゥダンスとファーストアクトの祖母。Raptusは衝動。
騎乗した幸英明騎手は第13回,22回に続き連覇でかきつばた記念3勝目。管理している松永昌博調教師は連覇でかきつばた記念2勝目。
神Deusの無限な観念ideaといわれている以上,それが属性attributumではなく様態modiであるとしても,無限様態modus infinitusでなければならないと僕は考えます。いい換えればそれは個物res singularisの観念あるいは同じことですが,思惟の属性Cogitationis attributumの個物とみなすことはできないと考えます。この点からいえば,人間の精神mens humanaはそれ自体が思惟の属性の個物なのですから,第二部定理八でいわれている神の無限な観念については,それを十全に認識するcognoscereことができないということもできそうです。いい換えればこの神の無限な観念というのは,神のうちにある神の観念idea Deiを意味するのであって,人間の精神のうちにある神の観念には妥当しないということができそうです。僕は思惟の属性の間接無限様態については,それを人間が十全には認識することができない様態であるがゆえに,スピノザはそれを明示しなかったのだという,『スピノザ哲学論攷』における河井徳治の指摘には一理あるという見解opinioを表明していますが,このような観点からは,神の無限な観念と思惟の属性の間接無限様態を等置する見方を正当化することができるかもしれません。
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いずれにせよ僕が神の無限な観念について,その結論を明確にしないというのは,結局のところそれは神の観念というのが,スピノザの哲学においては多様な解釈を要求されているのだということと関係します。つまり,神の観念というのが多様な解釈を要求されているのと同じように,神の無限な観念というのも多様な解釈が要求されていると考えるのです。そしてそれは,第二部定理八および第二部定理八系でいわれている,形相的本性essentia formalisの身分と,個物が現実的に存在している場合の本性である現実的本性actualis essentiaの身分を,スピノザの哲学において,形而上学的な観点からどのように解するのかということと大きく関連するだろうと思います。逆にいえば,このことについてどういう形而上学的立場を採用するのかということが,神の無限な観念というのをどのようなものと解するのかということを決定づける大きな要素となると考えます。
「存在しないものの存在論」についての考察はこれで終了とします。続いて近藤智彦による「自由意志と目的論の帰趨」に関連する考察を開始します。