スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

三山王冠争奪戦&活動能力

2021-05-24 19:10:30 | 競輪
 昨晩の前橋記念の決勝。並びは渡辺‐海老根の南関東,竹内‐吉田の中部,脇本‐東口の近畿,清水‐小倉の中四国で,阿部は単騎。
 清水がスタートを取って前受け。3番手に渡辺,5番手に脇本,7番手に阿部,8番手に竹内で周回。残り3周のホームの出口から竹内が上昇開始。この動きに合わせた脇本も動き,残り2周のホームで脇本が前に。打鐘から引いた竹内が発進。脇本を叩いて先行は竹内に。ホームから渡辺が発進し,その後ろから清水も発進。捲り合戦になりましたが,まずバックで渡辺のの前に出て,さらに吉田の抵抗も乗り越え,捲り切りました。直線はマークの小倉が清水を差し切って優勝。清水が4分の3車身差の2着に粘って中四国ラインのワンツー。最終的にこのラインを追う競走になった阿部が半車身差で3着。小倉と阿部の間を突いた東口が半車輪差の4着で最内の吉田は4分の3車輪差で5着。
 優勝した徳島の小倉竜二選手は1月の四日市でのFⅠ以来の優勝。記念競輪は2017年9月の向日町記念以来の8勝目。前橋記念は初優勝。この開催は清水の脚力が断然で,清水が中心に進行していきました。このレースも先捲りを打った渡辺の上を乗り越え,さらに竹内も捲ったのですから内容面では非常に強く,中心選手としての責任を果たしたといっていいと思います。33バンクは直線は短いのですが,出入りの激しいレースになって先行選手が脚を使うために,無風であれば番手が有利になるということが往々にして生じるのですが,このレースはその典型であったといえるでしょう。

 第三部定理一二は,僕たちの精神mensは自分の働く力agendi potentiaを増大するものあるいは促進するものを表象しようとするコナトゥスconatusをもつという意味のことをいっています。逆に第三部定理一三は,僕たちの精神は自身の働く力を減少しあるいは阻害するものに対しては,そのものの存在existentiaを排除するものを表象しようとするコナトゥスを有するという意味のことをいっています。厳密にいうと,これらの定理Propositioは,自分の精神が自分の身体corpusに対してこれらのコナトゥスをもつといっていますが,第三部定理一一にあるように,身体の働く力を促進しまた増大させるものは精神の働く力を促進しまた増大させますし,身体の働く力を減少させまた阻害するものは精神の働く力を減少させまた阻害するので,これらの定理でいわれていることが,人間の身体にのみ適用されると解する必要はありません。そしてこの結果として,第三部定理一三系にあるように,僕たちの精神は,自分の働く力を阻害しあるいは減少させるものを表象するimaginariことを厭うようになるのです。
                                   
 ところで,僕たちは僕たちの活動能力agendi potentiaが増大しまた促進されるときは,喜びlaetitiaを感じます。逆に,僕たちの働く力が阻害されまた減少するときには悲しみtristitiaを感じるのです。なぜなら,僕たちの活動能力が増大するときでも減少するときでも,その観念ideaは僕たちの精神のうちにあるのですから,僕たちはそのこと自体を観想します。よって第三部定理五三により,僕たちは僕たちの活動能力が増大しているなら喜びを感じることになりますし,第三部定理五五により,僕たちの活動能力が減少しているなら悲しみを感じることになるからです。よって第三部定理一二は,僕たちは僕たちに喜びを齎すものを表象しようとするコナトゥスを有するという意味に解せますし,第三部定理一三系は,僕たちは僕たちに悲しみを齎すものを表象することを厭うようになるという意味に解せることになります。
 このことから,第四部定理八により,僕たちは善bonumであるものを表象しようとし,悪malumであるものを表象することを厭うということになります。ところがこの場合には,ふたつの定理の意味を,喜びおよび悲しみと同じように解することはできません。
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