18日に指された第32期女流王位戦五番勝負第二局。
里見香奈女流王位の先手で5筋位取り中飛車。後手の山根ことみ女流二段が向飛車にしての相振飛車。僕は一方が中飛車の相振飛車という戦型をあまり知りませんが,この将棋の後手の作戦はなかなか意欲的で,しかもかなりうまくいっていたように思いました。もし僕の見解が正しければ,大きなポイントとなったのは第1図でしょう。
先手が端に角を上がったのに対し,ここで後手は☖5二飛と受けました。ですがこれはチャンスを逸したように思えます。
☖2六歩☗同歩☖同飛に☗2七歩と打てば☖2一飛と引くことになります。このときに☗5四歩と突く手があり,後手はそれを嫌ったとのこと。ただ,その形で銀の交換になるのであれば,むしろ後手に分があったように思えます。後手は☖4五銀と飛車取りに打って,3六から2七に進出する筋があるからです。なのでここは攻めていくべきだったのではないでしょうか。
里見王位が勝って連勝。第三局は来月2日に指される予定です。
ここまでは善bonumと悪malum,すなわち第四部定理八により,感情affectusとしていうなら喜びlaetitiaと悲しみtristitiaに注目して説明をしてきました。さらにもうひとつの基本感情affectus primariiである欲望cupiditasに注目した説明をすることもできます。ここではその一例として,第四部定理一六に着目してみます。
この定理Propositioがいっているのは,未来に関係する善および悪から生じる欲望が,現在の欲望によって抑制されたり圧倒されたりすることがあるということです。人間は善を希求し悪を忌避するという現実的本性actualis essentiaを有しています。この現実的本性は,第三部諸感情の定義一により欲望と等置しても問題にはなりません。したがって,善から生じる欲望というのはそれを希求する欲望であることになりますし,悪から生じる欲望というのは,それを忌避しようとする欲望であることになります。この定理ではこうした欲望については,それが未来と関連するといわれています。未来と関連するというのは現在とは関連していない,すなわち表象像imagoとしていうなら現実的に存在するものとして表象されている表象像ではなく,未来に現実的に存在するようになると表象されている,つまり僕が示した表象の種類でいえば,想像に該当する表象像のことです。第三部定理一八により,現実的に存在する人間は,そうした想像という表象imaginatioによっても喜びや悲しみに刺激されるafficiのですから,そのときにその表象像から喜びを感じるならそれを希求する欲望を同時に抱きますし,逆にその表象像から悲しみを感じるなら,それを忌避しようとする欲望を同時に抱くのです。
ところがこうした表象像はそれが想像であるがゆえに,現在の表象像すなわち表象の種類でいうところの知覚によって生じるような欲望によって,抑制されることがありますし,場合によっては圧倒されてしまうことがあるのです。たとえば未来の善が現在の善より大なる善であり,かつ現在の善が未来の善を阻害するなら,善悪は比較による認識cognitioなのですから,現在の善は悪と認識されることになり,この限りでそれを忌避する欲望が生じることになります。ところがこうしたことはこの通りには成立しない場合があるということを,第四部定理一六は意味しているのです。
里見香奈女流王位の先手で5筋位取り中飛車。後手の山根ことみ女流二段が向飛車にしての相振飛車。僕は一方が中飛車の相振飛車という戦型をあまり知りませんが,この将棋の後手の作戦はなかなか意欲的で,しかもかなりうまくいっていたように思いました。もし僕の見解が正しければ,大きなポイントとなったのは第1図でしょう。
先手が端に角を上がったのに対し,ここで後手は☖5二飛と受けました。ですがこれはチャンスを逸したように思えます。
☖2六歩☗同歩☖同飛に☗2七歩と打てば☖2一飛と引くことになります。このときに☗5四歩と突く手があり,後手はそれを嫌ったとのこと。ただ,その形で銀の交換になるのであれば,むしろ後手に分があったように思えます。後手は☖4五銀と飛車取りに打って,3六から2七に進出する筋があるからです。なのでここは攻めていくべきだったのではないでしょうか。
里見王位が勝って連勝。第三局は来月2日に指される予定です。
ここまでは善bonumと悪malum,すなわち第四部定理八により,感情affectusとしていうなら喜びlaetitiaと悲しみtristitiaに注目して説明をしてきました。さらにもうひとつの基本感情affectus primariiである欲望cupiditasに注目した説明をすることもできます。ここではその一例として,第四部定理一六に着目してみます。
この定理Propositioがいっているのは,未来に関係する善および悪から生じる欲望が,現在の欲望によって抑制されたり圧倒されたりすることがあるということです。人間は善を希求し悪を忌避するという現実的本性actualis essentiaを有しています。この現実的本性は,第三部諸感情の定義一により欲望と等置しても問題にはなりません。したがって,善から生じる欲望というのはそれを希求する欲望であることになりますし,悪から生じる欲望というのは,それを忌避しようとする欲望であることになります。この定理ではこうした欲望については,それが未来と関連するといわれています。未来と関連するというのは現在とは関連していない,すなわち表象像imagoとしていうなら現実的に存在するものとして表象されている表象像ではなく,未来に現実的に存在するようになると表象されている,つまり僕が示した表象の種類でいえば,想像に該当する表象像のことです。第三部定理一八により,現実的に存在する人間は,そうした想像という表象imaginatioによっても喜びや悲しみに刺激されるafficiのですから,そのときにその表象像から喜びを感じるならそれを希求する欲望を同時に抱きますし,逆にその表象像から悲しみを感じるなら,それを忌避しようとする欲望を同時に抱くのです。
ところがこうした表象像はそれが想像であるがゆえに,現在の表象像すなわち表象の種類でいうところの知覚によって生じるような欲望によって,抑制されることがありますし,場合によっては圧倒されてしまうことがあるのです。たとえば未来の善が現在の善より大なる善であり,かつ現在の善が未来の善を阻害するなら,善悪は比較による認識cognitioなのですから,現在の善は悪と認識されることになり,この限りでそれを忌避する欲望が生じることになります。ところがこうしたことはこの通りには成立しない場合があるということを,第四部定理一六は意味しているのです。