スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

第二部定理三五の意味&第四部定理九備考

2021-05-22 19:09:58 | 哲学
 第二部定理三五は,虚偽falsitasあるいは誤謬errorは,混乱した観念idea inadaequataに含まれる認識cognitioの欠乏privatioであるという意味のことをいっています。このとき,欠乏している認識とは何かということについては,ふたつの解釈が可能です。
                                   
 第二部定理一一系の具体的な意味のうちには,ある人間の精神mens humanaの本性essentiaを構成するとともにほかのものの観念ideaを有する限りでXの観念が神Deusのうちにあるといわれるとき,このある人間の精神のうちにあるXの観念は混乱した観念であるということが含まれています。したがってこのとき,ほかのものの観念もまたある人間の精神のうちにあれば,この人間の精神のうちにあるXの観念は十全な観念idea adaequataであると解することができます。よってそのほかのものの観念が欠乏しているという意味に解することができます。この解釈は僕のブログでいうところの虚偽を構成します。虚偽と誤謬を明確に分けているのは僕が便宜的にそうしているだけであり,スピノザがそういっているのではありませんから,これはスピノザの哲学の解釈として誤っていません。
 もうひとつは,ある人間の精神のうちにXの混乱した観念があるとき,このXの観念が混乱した観念であるという認識が欠乏しているという解釈です。これは僕がこのブログでいっているところの誤謬を構成します。つまり僕がいう誤謬というのは,虚偽である混乱した観念がある人間の精神のうちにあるとき,それが虚偽であるという認識がその人間の精神のうちに不足しているという場合のことです。そしてこのように虚偽と誤謬を厳密に分類することが,『エチカ』のテクストとそれほどの齟齬を来さずに示すことができるのは,第二部定理三五でいわれている欠乏を,ふたつの仕方で解釈することが可能であると僕が考えているからだということになります。
 実際のところ,第二部定理三五でいわれていることを,僕のように二様に解釈することが強引であるという見解opinioもあり得ると僕は認めます。それでも僕がこの強引な解釈を採用するのは,もしもそれが強引であったとしても,虚偽と誤謬を概念notioの上で分類しておいた方が,スピノザの哲学の理解の上では優ると考えるからです。

 第四部定理一六が何を意味しているのかということは分かりました。そしてなぜこうしたことが成立するかといえば,それは第二部定理九系および第四部定理一五から明らかにされます。いい換えれば,第四部定理一六は,このふたつの部分すなわちひとつの系Corollariumとひとつの定理Propositioから証明されるということです。そしてこのときに注意するべきは第四部定理九備考でスピノザがいっていることです。
 第三部定理一八は,僕たちは過去あるいは未来のもの,つまり過去に存在したものの表象像imagoや未来に存在すると想像されるものの表象像によって,現在のものつまり現実的に存在していると知覚されているものの表象像によるのと同じ喜びlaetitiaおよび悲しみtristitiaに刺激されるafficiといっています。しかしこのことが真verumであるのは,そのものの表象像に注目する限りにおいてです。単にそのものの表象像に注目するだけなら,表象されているそのものが現実的に存在しているか存在していないかということとは無関係に,同一の本性essentiaを有しているからです。しかしこのものの表象像以外のものの表象像についても考慮するのであれば,第三部定理一八はそれ自体で真であるともいいきれないのです。そして人間の精神mens humanaのうちには多数の表象像が現実的に存在するのですから,もし現実的に存在する人間の精神のダイナミズムについて考察する場合には,ほかの表象像との関連も考慮しなければならないということになります。
 「未来の物の現実的存在を排除する他の物が現在するとして観想される場合には,その表象像がより弱くなることを私は否定したわけではなかった」。
 つまり,未来に現実的に存在するようになるであろうというあるものが表象されたとしても,もしもその現実的存在を排除するようなものが現実的に存在しているというように表象されると,未来に現実的に存在すると表象されるものの表象像自体が弱まるのです。このことはあまり難しく考える必要はありません。たとえば僕たちがある事柄が実現するといいなと思っているようなことについて,しかし現実的にはそれを妨げる原因causaがあるというような場合には,それが実現するという表象像が弱まるということだからです。
コメント
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