スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産大臣賞典兵庫チャンピオンシップ&自由意志と目的論の帰趨

2021-05-04 18:58:44 | 地方競馬
 第22回兵庫チャンピオンシップ。
 すぐにロードエクレールがハナへ。3馬身差でゴッドセレクション,3馬身差でランスオブアース,2馬身差でリプレーザ,1馬身差でサラコナンと発走後の向正面で早くも縦長に。1周目の正面に入ってロードエクレールのリードは1馬身くらいに。2番手にゴッドセレクション。その直後にランスオブアースとリプレーザとなり,前の4頭は凝縮。5番手のサラコナンはここから10馬身くらい離され,事実上は4頭のレースになりました。
 3コーナーでゴッドセレクションがロードエクレールに並び掛けていき,外のゴッドセレクションが少し前に出て直線に。ここでロードエクレールは一杯になり,ゴッドセレクションが単独の先頭に立ちましたが,コーナーは内を回って直線で外に出てきたリプレーザがゴッドセレクションを差し切って優勝。ゴッドセレクションが半馬身差で2着。リプレーザのさらに外から伸びたランスオブアースがロードエクレールを差して3馬身半差の3着。ロードエクレールがクビ差で4着。
 優勝したリプレーザは重賞初挑戦での勝利。3月に4戦目の未勝利を勝った後,前走は芝1200mの1勝クラスを最後尾に近い位置から豪快な差し切り勝ち。芝を走ったのは前走だけでしたので,ダートは不安ではありませんでしたが,一気の距離延長は明らかな課題。それでも陣営は追走が楽になるからプラスとコメントしていて,実際にその通りの結果に。力量は前走でオープンを勝っていた2着馬が上と目されていましたが,差し脚が生きる展開になって,こちらが逆転したという結果だったように思います。父はシーザリオの産駒で2015年のJRA賞の最優秀2歳牡馬に選出されたリオンディーズでその父はキングカメハメハ。母の父はマンハッタンカフェ。Ripresaはイタリア語で再開,加速。
 騎乗した幸英明騎手と管理している大根田裕之調教師は兵庫チャンピオンシップ初勝利。

 近藤智彦の「自由論と目的論の帰趨」には,「ストア派とスピノザ」という副題がついています。近藤は古代ストア派とスピノザの哲学を,歴史的な観点から切り離して,哲学的観点からのみ比較することを論文の主目的としています。そしてそのときに,自由意志voluntas liberaと目的論というふたつの観点を切り口としています。要するに,古代ストア派の自由意志についての考え方とスピノザの哲学における自由意志の考え方,そして古代ストア派の目的論に対する考え方とスピノザの哲学における目的論の考え方を,比較するというのがこの論文の内容です。比較するといっていますが,全体的にいえば,自由意志に関しても目的論に関しても,古代ストア派の哲学とスピノザの哲学との間の類似点あるいは一致点を指摘することが目的となっている印象を僕は受けました。
                                        
 僕は古代ストア派の哲学の内容がどのようなものであったのかということについては詳しくは知りません。ですから近藤がスピノザの哲学とストア派の哲学の間に類似点があるということについては一切の考察をしませんし,何らかの見解opinioを表明するということも控えます。では僕が何を考察するかといえば,この論文の中で,スピノザの哲学について言及されている点の中で,僕が気になった事柄です。前もっていっておきますが,それはふたつあります。そしてそのうちのひとつは,近藤の主張によって僕が初めて気が付いた点であり,もうひとつはやや疑問に感じられた点です。
 これらの考察に入る前に,論文のタイトルに合わせて,自由意志および目的論というのがスピノザの哲学の中でどのような位置づけにあるのかということを確認しておきます。簡単にいってしまえば,スピノザはこの両方を認めていません。近藤はこのことがストア派の哲学と類似しているとみているわけですから,ストア派もそのような見方をしていたと解していることになります。
 自由意志に関しては,第一部定理三二系一が明白に物語っています。スピノザは神Deusにさえ自由意志を認めていないのですから,人間にもそれを認めません。目的論に関しては,第一部公理三が表明しています。スピノザが認めるのは因果論です。
コメント
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