スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

施設整備等協賛競輪 秋篠賞&重要な点

2021-05-08 18:49:47 | 競輪
 2日に奈良競輪場で行われた秋篠賞の決勝。並びは吉田‐松崎の中部,中西-三谷-鷲田の近畿,石原-福島-大川の瀬戸内で久木原は単騎。
 福島がスタートを取って石原の前受け。4番手に中西,7番手に久木原,8番手に吉田で周回。残り3周のホームの入口から吉田が上昇開始。残りバックの入口で石原に並びました。残り2周半で誘導が退避すると石原は突っ張り,吉田を前に出させないまま打鐘前からの先行に。吉田は引かされ,周回中と同じ隊列に戻りました。ホームから中西が発進。大川の牽制もありましたが,石原のスピードがよく,不発に。マークの三谷は早々に中西を捨て,自力で発進。番手の福島が牽制しようとしたところでうまく開いた大川と福島の間を突き,直線では逃げる石原の内に潜り込むと,石原を差し切って優勝。逃げ粘った石原が半車輪差で2着。石原マークの福島が4分の3車輪差で3着。
 優勝した奈良の三谷将太選手はグレードレース初優勝。この開催は日本選手権競輪の直前なので,GⅢはもちろんFⅠでも優勝候補というレベルの選手もなく,混戦模様。決勝のメンバーの中では経験値で三谷と鷲田が他を上回っていると思いましたので,このラインが中心になるかと予想していました。三谷はうまく進路を取ったことが優勝の最大要因で,その面では地元である奈良競輪場での開催だったことが有利に働いたといえそうです。ただレースの内容でいえば,吉田を突っ張って打鐘前から先行し,中西を不発に終わらせた石原が断然に強かったと思います。

 現実的に存在する人間の精神mens humanaのうちにひとつの観念ideaしかないということ,他面からいえば,人間の精神の現実的有actuale esseがひとつの観念で構成されるということはあり得ないですから,この仮定から,人間には自由意志voluntas liberaがないということを結論してもまったく説得力がありません。実際にこれは僕がここで示したことであって,近藤がこのようなことを論文の中で指摘しているわけでもありません。
                                   
 近藤が重要だと指摘しているのは,第二部定理四九備考のその後でスピノザがいっていることです。すなわち,もし現実的に存在するある人間の精神が,翼のある馬を表象したとしても,この表象像imagoが,翼がある馬の存在を排除する観念と結合しているなら,この人間の精神は翼のある馬の存在を否定するか疑うことになるし,同様に,現実的に存在するこの人間の精神が,その精神が表象している翼のある馬の観念が十全な観念idea adaequataではないということを認識するcognoscere場合にも,この人間の精神は翼のある馬の存在を否定するか疑うかすることになるという点です。
 第二部定理四九によって,すべての観念はそれが十全な観念であるか混乱した観念idea inadaequataであるかに関係なく,何らかの意志作用volitioを含んでいます。ですから,翼のある馬の観念が意志作用を含んでいるように,翼のある馬の存在を排除する観念にも意志作用が含まれていますし,翼のある馬の観念が十全な観念ではないという認識cognitio,すなわちその観念のうちにも意志作用が含まれているのです。スピノザがいう意志作用というのは,観念が観念である限りにおいて含んでいる肯定affirmatioないしは否定negatioのことをいうのであり,肯定だけを意味するのではありませんでした。つまり,翼のある馬の観念が含む意志作用というのは,馬に対して翼を肯定する意志作用のことですが,翼のある馬の存在を排除する観念が含んでいる意志作用とは,翼がある馬が存在するということを否定する意志作用ということになりますし,翼のある馬の観念が十全な観念ではないという認識が含んでいる意志作用は,翼のある馬の観念が十全であるいい換えれば真verumであるということを否定する意志作用であるということになります。こうした意志作用の関係が重要なのです。
コメント
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