スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

共同通信社杯&第二部定義三

2007-10-09 19:07:16 | 競輪
 競輪にはいくつかのGⅡレースがありますが,その中でも最も格上といえるのが,昨日決勝の争われた共同通信社杯です。
 新田選手がSを取ってそのまま前受け。山崎選手が2番手,武田選手が6番手での周回になりましたが,道中で新田選手が引く構えをみせると山崎選手がこれを許したので,山崎選手の前受けに変わり,新田選手は5番手に入り直しました。
 残り3周のホームに入ったところで武田選手が早くも上昇。山崎選手もなかなか引きませんでしたが,バックに入ると武田選手だけは前に出ました。残り2周のホームに入ると山崎選手もようやく引き,当然ながら新田選手も武田選手のラインに切り替えましたので6番手。そのまま打鐘から武田選手の先行になりましたが,新田選手と山崎選手の車間はかなり開きました。残り1周のホームから山崎選手も巻き返していったのですが,バックから3番手の村上選手が先捲り。北川選手もしっかり追走し,2車で捲りきって直線へ。そのまま後続の追い上げを許さず,村上選手が優勝,2着に北川選手と近畿のワンツーが決まり,3着は外,外と捲ってきた山崎選手が,車間を縫うように差し込んできた有坂選手を僅かに抑えました。
 優勝した京都の村上博幸選手は,ビッグはこれが初の決勝進出でしたので,当然ながら初優勝。今年は5月の大垣記念で記念競輪の初優勝も決めています。武田選手の3番手からの競走を選択し,その武田選手がかなり頑張ってくれたことが最大の勝因といえますが,地元でのビッグ優勝ですからかなり嬉しかったのではないかと思います。
 山崎選手は結果的にいえば前との車間が少し開きすぎてしまいました。武田選手がかなり早めに叩きにきましたので,突っ張ろうとせずにあっさり引いてしまった方がよかったかもしれません。ただ,武田選手が,自分は負けても山崎選手には優勝させないというレースをした面がありますので,仕方がないといえるのかもしれません。

 明日は川崎で鎌倉記念があります。難解と思いますがまずヴァイタルシーズ◎。次いでバルバンクール○で,オーラガイア▲。あとはアオゾラ△と北海道のブラウンアマゾン△。

 岩波文庫版の『エチカ』の上巻を手に取りますと,表紙にこの本の説明が書かれています。そしてその文章のうちに,ドイツ観念論の体系が成立する上で,『エチカ』が大きな役割を演じたという趣旨のことが書かれています。もちろん,スピノザの哲学において最も中心的な役割を負っているのは平行論であって,この観点から考える限り,『エチカ』の論理を純粋な観念論であると考えることはできないと思いますし,また,そのように理解することはスピノザの哲学を誤って理解することにつながるのではないかとも思います。
               
 しかし一方で僕は,この平行論という観点に立った上でスピノザの哲学の観念論について考えてみた場合に,おおよそこれほどよくできている観念論というのもなかなかないのではないかと思うのです。簡単にいうと,スピノザのいう観念ideaというのは,必ずその観念の対象ideatumというものが形相的に実在しています。いわば唯物論的なのですが,一方で観念自体は,そうした対象がなくても考えられることができるという点で,自立した実在性realitasが与えられているのです。
 そこで今回は,スピノザの観念の定義Definitioを考えていくことにします。これは第二部定義三です。
 「観念とは,精神が思惟する物であるがゆえに形成する精神の概念のことと解する(Per ideam intelligo Mentis conceptum, quem Mens format, propterea quod res est cogitans.)」。
コメント
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