3歳のダート女王を決める第49回関東オークス。
先手を奪ったのはデイジーギャル。1周目の向正面ではオメガインベガスが2番手でしたが,正面ではアムールポエジーが2番手,3番手にオメガインベガスと入れ替わりました。イチリュウが内,モンシュシュが外で続き,ティズトレメンダスがその外を上昇。しかし2周目の向正面に入ると,この馬はまた後退してしまいました。
後ろを離して逃げていたデイジーギャルは3コーナーで一杯。アムールポエジーが先頭に立つと,オメガインベガスが追い,2頭で後ろを離しました。ただ,前の2頭も直線入口ではすでに手応えに差があり過ぎ,前にいたアムールポエジーが楽々と5馬身もの差をつけ優勝。オメガインベガスも2着は悠々と確保。4馬身差の3着争いは熾烈でしたが,モンシュシュがフォレノワールの追撃を封じました。
優勝したアムールポエジーは4月に6戦目で未勝利を脱出すると先月の500万も連勝していた上昇馬。3連勝目で重賞初制覇となりました。おそらくここにきて体質が強化されてきたのでしょう。今年はオープンで好勝負をしていた馬の参戦がなく,レベル的にどの程度のものか不明な部分がありますので,この後どの程度まで活躍できるか,少し測りかねるところはあります。父はネオユニヴァース。半兄に2009年のカペラステークスと2010年の北海道スプリントカップを勝ったミリオンディスク。
騎乗した岩田康誠[やすなり]騎手は第45回と第47回を制していて2年ぶりの関東オークス3勝目。管理している野中賢二調教師は関東オークス初勝利。
実は『エチカ』にはこのことを示している定理Propositioというのがあります。それは第一部定理三〇です。
「現実に有限な知性も,現実に無限な知性も,神の属性と神の変状を把握しなければならぬ。そして他の何ものをも把握することがない」。
把握しなければならぬ,というと,それをしなければいけないというような意味にも受け取れますが,実際にこの定理が意味しているのは,把握するということです。あるいは,把握するとすればそれであるということです。また,おそらくこの定理にはこれ以上の意味が含まれています。それは,ここでいわれている現実的に無限な知性intellectus infinitusに関してであって,それは神Deusの属性attributumとその変状affectioのすべてを把握しているということです。これはそれこそこの定理の積極的意味と呼びたいところですが,現在の考察は,積極的というのがどのような意味であるのかということの考察ですから,ここではさすがに憚られるいい方です。
なお,この定理はここまでの探求自体が論証Demonstratioになっていると思いますから,これ以上の証明はしません。
さて,この定理からして,知性というのはそれがどんなものであっても,何か認識作用を行うとすれば,神あるいは神の属性を認識するcognoscereか,そうでなければ神の変状あるいは神の属性の変状のどちらかを認識するということになります。つまり認識の対象ideatumをXと仮定すれば,Xは実体substantiaないしは属性であるか,実体の変状substantiae affectioないしは属性の変状のどちらかなのであって,かつそのどちらか以外ではあり得ないということになります。これは実体をA,様態modiをBと置き換えたとき,僕がいう対義語的関係の条件というのを完全に満たすことになります。したがってこの観点から,僕は実体と様態は対義語的関係にあると判断するのです。
このように具体例として示せば,僕がいう対義語的関係というのが,たとえば喜びlaetitiaと悲しみtristitiaのような対義語そのものと,いかに異なっているかは理解してもらえるものと思います。すなわち喜びと悲しみは,各々の感情affectusが反対感情であるから対義語となるのですが,実体と様態というのは,単にそれをことばとしてみた場合にも,あるいは概念notioとしてみても,反対のもであるとはいえないからです。
先手を奪ったのはデイジーギャル。1周目の向正面ではオメガインベガスが2番手でしたが,正面ではアムールポエジーが2番手,3番手にオメガインベガスと入れ替わりました。イチリュウが内,モンシュシュが外で続き,ティズトレメンダスがその外を上昇。しかし2周目の向正面に入ると,この馬はまた後退してしまいました。
後ろを離して逃げていたデイジーギャルは3コーナーで一杯。アムールポエジーが先頭に立つと,オメガインベガスが追い,2頭で後ろを離しました。ただ,前の2頭も直線入口ではすでに手応えに差があり過ぎ,前にいたアムールポエジーが楽々と5馬身もの差をつけ優勝。オメガインベガスも2着は悠々と確保。4馬身差の3着争いは熾烈でしたが,モンシュシュがフォレノワールの追撃を封じました。
優勝したアムールポエジーは4月に6戦目で未勝利を脱出すると先月の500万も連勝していた上昇馬。3連勝目で重賞初制覇となりました。おそらくここにきて体質が強化されてきたのでしょう。今年はオープンで好勝負をしていた馬の参戦がなく,レベル的にどの程度のものか不明な部分がありますので,この後どの程度まで活躍できるか,少し測りかねるところはあります。父はネオユニヴァース。半兄に2009年のカペラステークスと2010年の北海道スプリントカップを勝ったミリオンディスク。
騎乗した岩田康誠[やすなり]騎手は第45回と第47回を制していて2年ぶりの関東オークス3勝目。管理している野中賢二調教師は関東オークス初勝利。
実は『エチカ』にはこのことを示している定理Propositioというのがあります。それは第一部定理三〇です。
「現実に有限な知性も,現実に無限な知性も,神の属性と神の変状を把握しなければならぬ。そして他の何ものをも把握することがない」。
把握しなければならぬ,というと,それをしなければいけないというような意味にも受け取れますが,実際にこの定理が意味しているのは,把握するということです。あるいは,把握するとすればそれであるということです。また,おそらくこの定理にはこれ以上の意味が含まれています。それは,ここでいわれている現実的に無限な知性intellectus infinitusに関してであって,それは神Deusの属性attributumとその変状affectioのすべてを把握しているということです。これはそれこそこの定理の積極的意味と呼びたいところですが,現在の考察は,積極的というのがどのような意味であるのかということの考察ですから,ここではさすがに憚られるいい方です。
なお,この定理はここまでの探求自体が論証Demonstratioになっていると思いますから,これ以上の証明はしません。
さて,この定理からして,知性というのはそれがどんなものであっても,何か認識作用を行うとすれば,神あるいは神の属性を認識するcognoscereか,そうでなければ神の変状あるいは神の属性の変状のどちらかを認識するということになります。つまり認識の対象ideatumをXと仮定すれば,Xは実体substantiaないしは属性であるか,実体の変状substantiae affectioないしは属性の変状のどちらかなのであって,かつそのどちらか以外ではあり得ないということになります。これは実体をA,様態modiをBと置き換えたとき,僕がいう対義語的関係の条件というのを完全に満たすことになります。したがってこの観点から,僕は実体と様態は対義語的関係にあると判断するのです。
このように具体例として示せば,僕がいう対義語的関係というのが,たとえば喜びlaetitiaと悲しみtristitiaのような対義語そのものと,いかに異なっているかは理解してもらえるものと思います。すなわち喜びと悲しみは,各々の感情affectusが反対感情であるから対義語となるのですが,実体と様態というのは,単にそれをことばとしてみた場合にも,あるいは概念notioとしてみても,反対のもであるとはいえないからです。