スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

日刊スポーツ賞スパーキングサマーカップ&第四部定理一九

2016-08-25 19:32:16 | 地方競馬
 笠松から1頭が遠征してきた昨晩の第13回スパーキングサマーカップ
 一旦はレガルスイが前に出ましたが外からブルーチッパーが交わしての逃げ。控えたレガルスイと大外から上がってきたリアライズリンクスの3頭が飛ばしていく展開。離れた4番手集団はストロングジーン,バーンザワールド,インプロヴァイズ,ミラーコロの4頭。また差が開いてグランディオーソが追走。前半の800mが50秒7というミドルペースのわりにはかなり縦長になりました。
 3コーナーを回って前の3頭からリアライズリンクスが脱落。ブルーチッパーとレガルスイが併走で開いた3番手に上がってきたのがバーンザワールド。直線半ばで外のレガルスイが息切れし,ブルーチッパーが突き放す形に。バーンザワールドが追って迫ったものの届かず,逃げ切ったブルーチッパーが優勝。4分の3馬身差の2着にバーンザワールド。大外を伸びたグランディオーソが2馬身半差の3着に届き,レガルスイは半馬身差で4着。
                              
 優勝したブルーチッパーは昨年暮れの東京シンデレラマイル以来の勝利で南関東重賞3勝目。第12回に続きスパーキングサマーカップを連覇。この馬は逃げなければ持ち味が発揮できないことが分かってきて,レガルスイは逃げることもできる馬ですが,控えてくれたので最良の形となりました。縦長になったのは前が競り合っているように見えたからではないかと思いますが,さほど速いペースでもなく,それが並ばれてからまた突き放す形に持ち込めた一因になったのではないかと思います。注文がつくので相手次第ということになりますが,牝馬重賞ならば勝ってもおかしくないと思います。母の半弟に2010年2011年のNARグランプリ最優秀短距離馬のナイキマドリード。Blue Chipperは賢人。
 騎乗した船橋の森泰斗騎手は先週の黒潮盃に続く南関東重賞制覇。スパーキングサマーカップは初勝利。管理している大井の荒山勝徳調教師は連覇でスパーキングサマーカップ2勝目。

 スピノザが善bonumと悪malumに関して,もうひとつ別の視点から言及している代表例としては,第四部定理一九をあげることができます。
 「各人はその善あるいは悪と判断するものを自己の本性の法則に従って必然的に欲求しあるいは忌避する」。
 工藤はこの定理がスピノザの感情論の基礎となる命題であるとしています。何をもって感情論というかを別とすれば,僕はこの定理が感情論の基礎であるとは考えません。ですがスピノザの哲学における人間の倫理の基礎になる定理であるとは思います。おそらく工藤はそうしたことも感情論に含めているので,たぶん僕と工藤の間で大きな見解の相違はないのだろうと僕は解しています。
 この定理は一読すれば,僕たちが善なるものを希求し,悪なるものを回避すること,しかもそうしたことが必然的に生じるということを示しています。ところが,第三部定理九備考が示しているのは,僕たちは希求するものを善と判断し,忌避するものを悪と判断するということでした。したがって後者でスピノザがいっているのは,僕たちは何を希求し何を忌避しているかを知る前に,何が善でありまた何が悪であるのかを判断することができないということだと解せます。ところが第四部定理一九というのは,あらかじめ善なるものと悪なるものがあって,あるいは少なくともそれは判明していて,僕たちはそのうちの善については希求し,悪については忌避するといっているように解せます。これは善悪を語る視点として異なっている,両極端であるといっていいほど異なっているといえるでしょう。
 工藤の議論はここから型としての完全性perfectioすなわちpotentiaという観点からみられた本性natura,essentiaと,現実的本性actualis essentiaとの比較へと進みます。つまり『概念と個別性』が議論しようとしているところへ向かいます。議論の性質および結論は異なっていますが,僕はこのことは問題にはしません。工藤の問いの立て方を借りれば,スピノザは第三部定理九備考では現実的に存在する人間にとっての個別性に類する善と悪について言及しているのであり,第四部定理一九では,それを超越した普遍的な概念notioとしての善悪について語っていることになります。
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