馬場の小橋建太への指導がどのようなものであったかは、小橋自身がその一端を明かしています。
小橋の入門は1987年。田上明と同年になります。田上は大相撲での実績があったため特別扱い。馬場が直々に指導することもあり、小橋はその練習台でした。大きな体格でしたから、田上の相手に小橋は適任であったのでしょう。小橋自身は悔しさはあったけれど、自分の練習にもなっていたと回顧しています。
ハル・薗田が事故死した後、馬場を追うテレビ取材を付き人が制しきれなかったことにカブキが怒り、12月に小橋を馬場の付き人にしました。馬場は小橋が勝手に付き人となったと怒り、一緒に行動はしませんでした。付き人としての仕事は段々とさせてくれるようになったけれども、会話はなかったと小橋は証言しています。ただ、その仕事のうち、シューズやタイツの用意と洗濯のほかに、風呂で背中を流すというのがあったそうです。ずっと後の入院中の看護の状況から推測すれば、ある程度の信頼は得ていたとみていいように僕には思えます。
バトルロイヤルでのプレデビューの後、本格的なデビュー戦となったのが1988年2月26日。この日の夜、馬場は初めて小橋を食事に誘い、労いのことばを掛けたそうです。試合時間は4分48秒と短いもの。それでも小橋はこの試合が最もきつかったと回顧しているもので、試合後の馬場のことばに涙が出そうになったと語っています。
この日以後、馬場は小橋を食事に誘うようになりました。その中のアドバイスとして、プロレスラーとしての心構えとか、トップに立ったときにどのような行動を取るべきかというのがあったそうです。佐藤と藤波について書いたときに紹介した、佐藤昭雄への指導とは、同じ付き人に対するものでも内容が大きく違っています。これは馬場が後に小橋がトップに立てると考えていたからでしょう。
小橋は3ヶ月後には外国人選手とも戦うようになりましたし、半年後には馬場とタッグを組んでいます。入門時の期待はさほどでもなかったと思われますが、その後の姿勢で、馬場の心に大きな変化があったのだと思います。
第二部定理九系は、Xの内部で起こることの観念は、Xの観念を有する限りで神のうちにあることを示します。これでみれば、ある属性の間接無限様態の中に起こることの観念は、その間接無限様態の観念を有する限りで神のうちにあるように思われます。思惟の属性の直接無限様態である神の無限な観念ないしは神の無限知性は、属性の間接無限様態を認識します。いい換えれば、属性の間接無限様態の観念は、神の無限な観念が存在する限りで神のうちにあると、神と関連付けられなければなりません。そして属性の間接無限様態の内部では、無限に多くの事象が生じます。現実的に存在する個物res singularisが存在や作用に決定されることは、その無限に多くの事象のうちに含まれると考えるべきだと僕は考えます。しかしそのことの観念は、無限知性と関連付けられる限りで神のうちにあるのではなく、ほかのres singularisの観念を有する限りで神のうちにあるのです。これは矛盾めいていますが、実際にはそうではないのです。
第二部定理九系で、観念対象ideatumの中に起こることといわれていることは、そのideatumの本性および形相に影響を及ぼすようなことだけを射程に入れています。第二部定理一二を新しく考察し直したとき、僕はこのことを根拠にして、現実的に存在する人間の精神は、自分の身体の中に起こるすべての延長作用を、十全にであれ混乱してであれ認識するということと、現実的に存在する人間の身体を構成する部分の中には、その人間の精神によっては十全にも混乱しても認識され得ない多くの事柄が起こるということは、両立するのだと結論しました。ここでもこれと同じように説明されるべき事柄が発生しているのです。間接無限様態の内部では、res singularisは無限に多くの作用をなします。しかしその作用は、間接無限様態の本性と形相に影響を及ぼすことがない作用です。したがってそのことの観念は、間接無限様態の観念を有する限りで、すなわち無限知性と関連付けられる限りで神のうちにあることはできません。第二部定理九は、このような一種の背理法によっても証明が可能なのだと僕は考えます。
小橋の入門は1987年。田上明と同年になります。田上は大相撲での実績があったため特別扱い。馬場が直々に指導することもあり、小橋はその練習台でした。大きな体格でしたから、田上の相手に小橋は適任であったのでしょう。小橋自身は悔しさはあったけれど、自分の練習にもなっていたと回顧しています。
ハル・薗田が事故死した後、馬場を追うテレビ取材を付き人が制しきれなかったことにカブキが怒り、12月に小橋を馬場の付き人にしました。馬場は小橋が勝手に付き人となったと怒り、一緒に行動はしませんでした。付き人としての仕事は段々とさせてくれるようになったけれども、会話はなかったと小橋は証言しています。ただ、その仕事のうち、シューズやタイツの用意と洗濯のほかに、風呂で背中を流すというのがあったそうです。ずっと後の入院中の看護の状況から推測すれば、ある程度の信頼は得ていたとみていいように僕には思えます。
バトルロイヤルでのプレデビューの後、本格的なデビュー戦となったのが1988年2月26日。この日の夜、馬場は初めて小橋を食事に誘い、労いのことばを掛けたそうです。試合時間は4分48秒と短いもの。それでも小橋はこの試合が最もきつかったと回顧しているもので、試合後の馬場のことばに涙が出そうになったと語っています。
この日以後、馬場は小橋を食事に誘うようになりました。その中のアドバイスとして、プロレスラーとしての心構えとか、トップに立ったときにどのような行動を取るべきかというのがあったそうです。佐藤と藤波について書いたときに紹介した、佐藤昭雄への指導とは、同じ付き人に対するものでも内容が大きく違っています。これは馬場が後に小橋がトップに立てると考えていたからでしょう。
小橋は3ヶ月後には外国人選手とも戦うようになりましたし、半年後には馬場とタッグを組んでいます。入門時の期待はさほどでもなかったと思われますが、その後の姿勢で、馬場の心に大きな変化があったのだと思います。
第二部定理九系は、Xの内部で起こることの観念は、Xの観念を有する限りで神のうちにあることを示します。これでみれば、ある属性の間接無限様態の中に起こることの観念は、その間接無限様態の観念を有する限りで神のうちにあるように思われます。思惟の属性の直接無限様態である神の無限な観念ないしは神の無限知性は、属性の間接無限様態を認識します。いい換えれば、属性の間接無限様態の観念は、神の無限な観念が存在する限りで神のうちにあると、神と関連付けられなければなりません。そして属性の間接無限様態の内部では、無限に多くの事象が生じます。現実的に存在する個物res singularisが存在や作用に決定されることは、その無限に多くの事象のうちに含まれると考えるべきだと僕は考えます。しかしそのことの観念は、無限知性と関連付けられる限りで神のうちにあるのではなく、ほかのres singularisの観念を有する限りで神のうちにあるのです。これは矛盾めいていますが、実際にはそうではないのです。
第二部定理九系で、観念対象ideatumの中に起こることといわれていることは、そのideatumの本性および形相に影響を及ぼすようなことだけを射程に入れています。第二部定理一二を新しく考察し直したとき、僕はこのことを根拠にして、現実的に存在する人間の精神は、自分の身体の中に起こるすべての延長作用を、十全にであれ混乱してであれ認識するということと、現実的に存在する人間の身体を構成する部分の中には、その人間の精神によっては十全にも混乱しても認識され得ない多くの事柄が起こるということは、両立するのだと結論しました。ここでもこれと同じように説明されるべき事柄が発生しているのです。間接無限様態の内部では、res singularisは無限に多くの作用をなします。しかしその作用は、間接無限様態の本性と形相に影響を及ぼすことがない作用です。したがってそのことの観念は、間接無限様態の観念を有する限りで、すなわち無限知性と関連付けられる限りで神のうちにあることはできません。第二部定理九は、このような一種の背理法によっても証明が可能なのだと僕は考えます。