スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

捨てるほどの愛でいいから&第四部定理三七

2018-03-01 19:04:15 | 歌・小説
 「それ以上言わないで」は,別れが歌われている楽曲のひとつです。タイトルからしても「わかれうた」がその代表ということになるのでしょうが,中島みゆきの楽曲の中には,このような別れが主題となっているものが数多くあります。そういう楽曲の中にも僕がとくに好きなものというのがいくつかあります。そうしたものも紹介しておきましょう。
 なお,なぜ僕がそれらの別れが主題となっている曲を好むのかということは何も説明しません。というよりそれは僕自身にもよく分かってはいないのです。なので僕が好む楽曲の傾向については,それぞれに分析してください。
                                     
 「寒水魚」というアルバムは3曲目が「鳥になって」です。これは別れが主題になっているとは僕は必ずしも思いません。しかしその直後の「捨てるほどの愛でいいから」は僕にとっては明らかに別れが主題で,好きなもののひとつです。

     はじめから どうせこんなことじゃないかと
     思っていたわ
     べつに涙を流すほどのことじゃない
     そうよ たぶん
     愛を交わす人の一人もいない人には
     見えなかった わたしの予感があたりね
     でも 気のつくのが遅いわ
     それがわたしの悪いところよ くり返し
     ひとりの浜辺に打ちあげられるだけ


 とても長い歌詞なのですが,僕の印象だと美しいメロディーとともに一気呵成に歌われている感があります。それが僕にとってこの歌の最大の魅力です。

     誰にでも やさしくし過ぎるのは
     あなたの 軽い癖でも
     わたしみたいな者には心にしみる
     はじめから いっそ冷たくされれば
     こんな夢も見ないわ
     いいえ それでも愛を待ちわびるかしら
     でも あなたの胸の中は
     あの人のためによせる愛で 満たされて
     わたしの姿は 波間に消えるだけ


 これが二番。一番もそうですが,歌詞の区切りがそのままメロディーの区切りとなっているわけではありません。そのゆえに一気呵成と感じられるのかもしれません。

     夢でもいいから 嘘でもいいから
     どうぞふりむいて どうぞ


 この曲にはタイトルを含めたリフレインが何度か登場します。しかし楽曲そのものはそのリフレインの最中で終ります。この終息の仕方も僕が好きなところのひとつです。

 僕が示した第四部定理四五証明に関しては,ふたつほど注意してもらいたいことがあります。まず最初にいっておきたいのは,スピノザは僕とは異なった証明Demonstratioをしているということです。
 僕は第三部定理三九,第四部定理三五,そして第四部定理三一を援用することによって第四部定理四五を証明しました。これで確かにこの定理Propositioは証明されていると僕は考えています。しかしスピノザは,第三部定理三九を援用する点では僕と同じですが,第四部定理三五と第四部定理三一を援用することはせず,別の定理を援用しています。それは第四部定理三七です。
 「徳に従うおのおのの人は自己のために求める善を他の人びとのためにも欲するであろう。そして彼の有する神の認識がより大なるに従ってそれだけ多くこれを欲するであろう」。
 この定理を援用したスピノザの証明は単純で,人間は憎む相手を滅ぼそうとするけれども,それによって悪malumをなそうとしていることになり,だから憎しみodiumは善bonumではあり得ないとなっています。この証明そのものは厳密にいえば不十分かもしれません。ただ,自己のために欲することを他人のためにも欲するということと,他人を滅ぼそうとするということが両立するためには,人間は自己を滅ぼすことを欲するのでなければなりません。ですがそれは第三部定理六に反します。よって,人間は憎しみによって,自分は決して欲することがないことを他人のために欲するのです。これが第四部定理三七に反している,いい換えれば悪であるようなあることをなそうとすることであるから,憎しみは善ではあり得ないとことは帰結するでしょう。同時に,第三部定理六でいわれていることは現実的に存在するすべての個物res singularisに妥当します。つまり憎むことによって滅ぼそうとする相手にも妥当します。いい換えれば相手にとっては滅ぼされるということは悪です。この意味でも,相手を滅ぼそうとすることは,悪をなそうとすることであるということが帰結します。つまり,憎しみは自分にとって悪であることをなすように仕向ける感情affectusであると同時に,憎まれる相手にとっても悪であることをなすように仕向ける感情だということになります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする