スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ウィナーズカップ&自己満足の付随

2018-03-22 19:07:05 | 競輪
 松山競輪場で行なわれた昨日の第2回ウィナーズカップの決勝。並びは平原‐武田の関東,三谷‐村上の近畿,原田‐渡部‐香川‐橋本の四国で浅井は単騎。
 牽制はありましたが平原がスタートを取って前受け。3番手に原田,7番手に浅井,8番手に三谷の周回に。残り3周のバックの出口から三谷が上昇。浅井は村上の後ろにスイッチ。引いた原田がホームで発進。バックに入るところで三谷の前に出ましたが,三谷は引かず渡部の横でイン粘り。浅井も橋本のインに入って原田の後ろで3車が併走のまま打鐘で原田の抑え先行に。ホームに入って平原が発進。バックで原田を捲ると,やや離れてしまった武田も何とか原田の前には出て平原を追走。コーナーから直線に掛けて平原に追いついてきたスピードのまま直線で平原を差した武田が優勝。平原が4分の3車身差で2着に粘り関東のワンツー。バックからは武田を追う形になった原田が流れ込んで4分の3車輪差で3着。
                                     
 優勝した茨城の武田豊樹選手は一昨年9月の岐阜記念以来となる久々の優勝。ビッグは2015年の競輪祭以来の優勝で16勝目。ウィナーズカップは初優勝。松山では2009年9月にオールスター競輪の優勝があります。このレースは先行を得意とするタイプがいないので,4人での連携となった原田の先行が有力。三谷と平原では平原に位置取りでの分があるので,平原と武田に有利な競走になるのではないかと予想。その予想とは違った展開でしたが,三谷がインで粘ったことにより隊列は短くなり,捲りやすくなりました。武田が差すことができたのは,平原の発進が早い段階になったためでしょう。それでも平原を差したことは評価に値するのですが,一時的には離れているので,武田もまだ完調とみることはできないのではないかと思います。原田がもっと器用なタイプであれば優勝は原田だったかもしれません。

 僕がその他の条件の等しさをいうのは,このような事前の感情affectusの揺らぎを考慮の外に置きたいからです。棋士は人間であるので感情の揺れ動きは必然的にnecessario生じます。ですからこれは現実的には無意味な仮定であるといえるのですが,対局中の感情の振幅が一切ないと仮定するなら,棋士は自ら好手を連発して勝つ将棋の方が,最後に相手のミスに助けられて勝つ将棋より大きな喜びlaetitiaを得ることができるでしょう。
 なぜそれがより大きな喜びとなり得るのかということは,論理的に示すことができます。それを対局の勝利に対する喜びとみなすなら,その他の条件を同一とみなす限り,どちらも同じ大きさの喜びでなければなりません。この場合のその他の条件は,棋士の感情だけでなく外的な状況も意味します。つまり対戦相手がだれであるのかということや,それがどんな対局であるのかということなどです。一般に強いとみなされる相手に対する勝利はそうであると認識されていない相手に対する勝利よりも喜びとして大きくなるでしょうし,トーナメント戦の一回戦での勝利よりも決勝での勝利の方が勝利の喜びとして大きく感じられるであろうからです。こうした条件が一致しないと,これから僕が示そうとする喜びの大きさの比較は成立しないという点に注意してください。
 勝利の喜びが同一である,すなわち第三部諸感情の定義二でいわれている完全性の移行transitio perfectionisの量が同一であるとしても,好手を連発して勝つ将棋には,相手のミスに乗じて勝つ将棋には付随しない別種の喜びが発生します。そしてこの喜びの分だけ,前者の喜びは後者の喜びよりも大きくなり,強く意識されるのです。
 この喜びは,第三部定理五三で示されている喜びの一種です。自ら好手を連発して勝つ場合,そのような手を指すということはまさに自分自身の働く力agendi potentiaであると認識されます。よってこの種の喜びがこの場合は発生します。この喜びは第三部諸感情の定義二五の自己満足acquiescentia in se ipsoです。しかし相手のミスに助けられるのは自分自身の活動能力agendi potentiaではありません。よってこの自己満足は発生しないのです。なので自己満足が発生する分だけ,好手を指して勝つ方がより大きな喜びとなるのです。
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