スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産大臣賞典黒船賞&第三部定理四四

2018-03-20 19:04:42 | 地方競馬
 第20回黒船賞
 コパノマイケルが逃げる構えをみせましたが外からグレイスフルリープが強引に先手を奪いました。コパノマイケルが1コーナーで外に膨れたこともあり,リードは5馬身から6馬身ほどに。3番手はエイシンヴァラーと,発走後にコパノマイケルとグレイスフルリープに挟まれる不利があったエイシンスパルタン。5番手にラインシュナイダー,6番手にブルドッグボス,7番手にキングズガードで2番手からここまではさほど差がなく追走。大きく離れてヴィンテージイヤー。また大きく離れてサトノキングリーとワイルドコットン。また大きく離れてディアマルコが最後尾。ハイペースでした。
 3コーナー手前で2番手のコパノマイケルは苦しくなり,その内からエイシンヴァラー,さらに内からブルドッグボスの2頭がグレイスフルリープを追撃。グレイスフルリープも4コーナーでは一杯。最内を回ってやや外に出てきたブルドッグボスが一旦は先頭。これに外からエイシンヴァラー,内からキングズガードが追ってきて,3頭の競り合いに。フィニッシュ直前で外のエイシンヴァラーが前に出て優勝。内のキングズガードがクビ差で2着。真中のブルドッグボスはアタマ差の3着。
 優勝したエイシンヴァラーは重賞初勝利。昨年の4月までJRAで走りオープンを含めて6勝。浦和に転入して南関東重賞を2戦したものの着外。兵庫に移籍しての初戦は6馬身差の圧勝でしたがその後は3戦して2着,5着,6着。戦績からはここで勝つというところまでは予想できませんでした。前走がマイナス13キロで今日もマイナス12キロだったのですが,これはJRAで1600万を勝ったときと同じくらいの馬体重。絞れて上昇があったとみるべきなのかもしれません。2着馬と3着馬はここでは実力上位と目された2頭ですので,それらと伍して走れるだけの力があるとみておいた方がよいでしょう。父はサウスヴィグラス。母の父はシンボリクリスエス。祖母は1999年にチューリップ賞,2001年に中山牝馬ステークスを勝ったエイシンルーデンス。Valorは勇気。
 騎乗した兵庫の下原理騎手は2008年の佐賀記念以来となる重賞2勝目。管理している兵庫の新子雅司調教師は2014年のかきつばた記念以来の重賞2勝目。

 僕がここでその他の条件が等しいというのは,外的条件に比重を置いているのではありません。むしろ内的条件,とくに身体corpusの刺激状態とその観念ideaとしての身体の変状affectiones corporis,そしてその意識としての身体の変状の観念ideae affectionum corporis,あるいは感情affectusのありようを考慮に置いています。この条件が等しいと仮定しないと,以下の事情が生じてしまうからです。
                                
 スピノザは第三部定理四四で次のようにいっています。
 「愛にまったく征服された憎しみは愛に変ずる。そしてこの場合,愛は,憎しみが先立たなかった場合よりも大である」。
 この直前の第三部定理四三は,AのBに対する憎しみodiumは,BのAに対する憎しみによって増幅され,BのAに対する愛amorによって除去されることを示しています。これは単純に,憎しみは新たな憎しみを産出し,愛は新たな愛を産出するという意味にここでは解しておきましょう。そこで,AがBを愛する場合,もしAがフラットな状態すなわちBに対して何の感情も抱いていない場合にBを愛する場合と,AはBを憎んでいたけれど,BのAに対する愛によって征服されることによってBを愛する場合を比較すれば,後者の方がAのBに対する愛は大であるといっているのがこの定理Propositioであるといえます。
 この定理は愛と憎しみだけを比較していますが,実際には喜びlaetitiaと悲しみtristitiaとの比較でもこれは成立します。すなわちAがXに対して何の感情も抱いていないあるいはすでに何らかの喜びを感じていて,後にまたXについて喜ぶ場合と,Xについて悲しみを抱いていた後にXに対して喜びを抱くようになる場合では,後者の方がより大きな喜びとなるのです。スピノザがこのことも視野に入れていることは,この定理の後に付されている備考Scholiumから明らかと僕は考えます。
 僕たちはXに対して希望spesを感じているとき,不安と希望は表裏一体の感情なので,Xに対して恐怖metusも感じていることになります。このとき,希望の方が大きかったXが実現するより,不安metusの方が大きかったXが実現する場合の方が,喜びとして大きく感じられるのではないでしょうか。前者は単に希望の実現ですが,後者は希望の実現であるとともに恐怖からの解放でもあるからです。
コメント
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