桜花賞トライアルの第8回ユングフラウ賞。
逃げたのはワイズアンサー。オウカランブ,クラトイトイトイが続き,これらを先に行かせるような形でモダンウーマンが単独の4番手。この後ろはタケショウメーカー,クライフターン,リンダリンダ,ラッキーバトルの4頭がほぼ一団。その直後のポッドガゼールまでが集団で,残りの馬たちは置かれました。最初の600mは37秒1のミドルペース。
向正面に入ってリンダリンダがモダンウーマンの外まで上昇。やや離れてタケショウメーカーとクライフターン,その後ろにポッドガゼールとラッキーバトルという隊列に変化。3コーナー手前で大外からリンダリンダ,内からモダンウーマンが上昇。オウカランブとクラトイトイトイを交わし,直線の入口では逃げたワイズアンサーも交わしました。ここから内のモダンウーマンがリンダリンダを突き放していき快勝。リンダリンダを追うように上昇してきたポッドガゼールがリンダリンダを差して3馬身差の2着。最後は一杯になったリンダリンダが4分の3馬身差で3着。
優勝したモダンウーマンは東京2歳優駿牝馬以来の実戦で南関東重賞3連勝。今日はうまくインコースを回ってこれた分の有利さがあったことは確かですが,最も重い斤量を背負ってこれだけの差をつけたのですから,能力が抜けているのも間違いないところ。桜花賞でも最有力候補でしょう。1600mへの距離の延長はさほど心配することはないと思いますが,桜花賞コースは内枠が絶対的に有利ですから,外目の枠に入った場合には,波乱の可能性もあるかとは思います。父はサウスヴィグラス。母の父は2000年のアンタレスステークス,2001年のアンタレスステークス,2002年の平安ステークス,2003年の平安ステークスとマーチステークスを勝ったスマートボーイ。祖母の半弟に2002年の阪神ジャンプステークスを勝ったミレニアムスズカ。
騎乗した川崎の山崎誠士騎手は昨年のユングフラウ賞以来の南関東重賞制覇。連覇で2勝目。管理している川崎の佐々木仁調教師はユングフラウ賞初勝利。
スピノザがイエレスに送って遺稿集に掲載された書簡と,未掲載の措置が採られた書簡四十八の二の2通との比較からすると,自然科学であれ哲学であれ,スピノザが何らかの学術的内容を含む書簡をイエレスに対して送った場合には,編集者はそれは遺稿集に掲載する価値があると無条件で判断したと解しておくのが最も安全なようです。しかしその学術的内容に遺稿集の編集者が直接的に関係していたような場合には,スピノザが送った書簡の方も掲載には値しないと判断されたようです。これは純然に書簡の内容を価値判断したというよりも,相手がだれであるかを規準として判断したという可能性を含みます。なので実際に書簡の内容を掲載価値の規準に置いたとしたら,本来は掲載するべきものが排除され,それより価値が低いものが掲載されたということがあったと仮定しておく方がよいように思えます。
これが選別の判断であったとしたら,マイエルが『聖書解釈としての哲学』の講評を求める書簡を送っていたとしても,マイエルからのものだけでなくスピノザからのものも未掲載になるので,そういった行為をマイエルはしなかったとは断定できないことになります。また,講読会のメンバーであったバリンクもリューウェルツを出版者として『燭台の上の光』という本を匿名で出版していますが,その講評をスピノザに求めなかったとは断定できません。バリンクは編集者ではありませんでしたが,生きていれば編集者になった人物であり,編集者が同じような考えを示したとしてもおかしくはない人物だからです。同じように生きていれば編集者になったであろうシモン・ド・フリースが送った書簡八は掲載されているとはいえ,これはフリースの著書と関係しているわけではありません。書簡九を掲載する上でこちらも掲載した方が分かりやすいという判断が適用されたのではないでしょうか。アルベルトから送られた書簡六十七は,僕にはまったく価値がない書簡であると思えるのですが,スピノザの返事の理解を容易にするために掲載されたのと同じような判断が,それよりは価値がずっとあるフリースからの手紙についてもされたというのが僕の考えです。
逃げたのはワイズアンサー。オウカランブ,クラトイトイトイが続き,これらを先に行かせるような形でモダンウーマンが単独の4番手。この後ろはタケショウメーカー,クライフターン,リンダリンダ,ラッキーバトルの4頭がほぼ一団。その直後のポッドガゼールまでが集団で,残りの馬たちは置かれました。最初の600mは37秒1のミドルペース。
向正面に入ってリンダリンダがモダンウーマンの外まで上昇。やや離れてタケショウメーカーとクライフターン,その後ろにポッドガゼールとラッキーバトルという隊列に変化。3コーナー手前で大外からリンダリンダ,内からモダンウーマンが上昇。オウカランブとクラトイトイトイを交わし,直線の入口では逃げたワイズアンサーも交わしました。ここから内のモダンウーマンがリンダリンダを突き放していき快勝。リンダリンダを追うように上昇してきたポッドガゼールがリンダリンダを差して3馬身差の2着。最後は一杯になったリンダリンダが4分の3馬身差で3着。
優勝したモダンウーマンは東京2歳優駿牝馬以来の実戦で南関東重賞3連勝。今日はうまくインコースを回ってこれた分の有利さがあったことは確かですが,最も重い斤量を背負ってこれだけの差をつけたのですから,能力が抜けているのも間違いないところ。桜花賞でも最有力候補でしょう。1600mへの距離の延長はさほど心配することはないと思いますが,桜花賞コースは内枠が絶対的に有利ですから,外目の枠に入った場合には,波乱の可能性もあるかとは思います。父はサウスヴィグラス。母の父は2000年のアンタレスステークス,2001年のアンタレスステークス,2002年の平安ステークス,2003年の平安ステークスとマーチステークスを勝ったスマートボーイ。祖母の半弟に2002年の阪神ジャンプステークスを勝ったミレニアムスズカ。
騎乗した川崎の山崎誠士騎手は昨年のユングフラウ賞以来の南関東重賞制覇。連覇で2勝目。管理している川崎の佐々木仁調教師はユングフラウ賞初勝利。
スピノザがイエレスに送って遺稿集に掲載された書簡と,未掲載の措置が採られた書簡四十八の二の2通との比較からすると,自然科学であれ哲学であれ,スピノザが何らかの学術的内容を含む書簡をイエレスに対して送った場合には,編集者はそれは遺稿集に掲載する価値があると無条件で判断したと解しておくのが最も安全なようです。しかしその学術的内容に遺稿集の編集者が直接的に関係していたような場合には,スピノザが送った書簡の方も掲載には値しないと判断されたようです。これは純然に書簡の内容を価値判断したというよりも,相手がだれであるかを規準として判断したという可能性を含みます。なので実際に書簡の内容を掲載価値の規準に置いたとしたら,本来は掲載するべきものが排除され,それより価値が低いものが掲載されたということがあったと仮定しておく方がよいように思えます。
これが選別の判断であったとしたら,マイエルが『聖書解釈としての哲学』の講評を求める書簡を送っていたとしても,マイエルからのものだけでなくスピノザからのものも未掲載になるので,そういった行為をマイエルはしなかったとは断定できないことになります。また,講読会のメンバーであったバリンクもリューウェルツを出版者として『燭台の上の光』という本を匿名で出版していますが,その講評をスピノザに求めなかったとは断定できません。バリンクは編集者ではありませんでしたが,生きていれば編集者になった人物であり,編集者が同じような考えを示したとしてもおかしくはない人物だからです。同じように生きていれば編集者になったであろうシモン・ド・フリースが送った書簡八は掲載されているとはいえ,これはフリースの著書と関係しているわけではありません。書簡九を掲載する上でこちらも掲載した方が分かりやすいという判断が適用されたのではないでしょうか。アルベルトから送られた書簡六十七は,僕にはまったく価値がない書簡であると思えるのですが,スピノザの返事の理解を容易にするために掲載されたのと同じような判断が,それよりは価値がずっとあるフリースからの手紙についてもされたというのが僕の考えです。