道後温泉で指された昨日の第41期棋王戦五番勝負第一局。対戦成績は渡辺明棋王が3勝,佐藤天彦八段が4勝。
振駒で佐藤八段が先手となり角換り相腰掛銀に。渡辺棋王が新手を指して主導権を握り,先手が攻め合いを目指す一局になりました。
先手が桂馬を跳ねたところ。厳密にはもう後手の方が少しいいのかもしれません。
△7六歩▲同銀△8六歩▲同歩と進めてから△4四銀と逃げました。▲3三桂成は王手ですから途中で指せたのですが,桂馬を渡すマイナスの方が大きいという判断だったのでしょう。ただ手抜かれてすぐに取れないのでは,やや苦戦だったのではないかと思います。
▲2四歩と玉頭に手をつけました。継ぎ歩の狙いですが△同歩▲2五歩△同歩▲2四歩とその狙いをすべて許した上で△8六飛と王手で走りました。ここの判断が後手の勝利に結びついたと僕には感じられました。
▲8七銀に△8四飛と引いて6四の銀と連結。先手はさらに▲2五飛で攻め合いを目指しましたが△7七歩▲同金△7六歩▲7八金△8六歩▲7六銀まで決めてからの△4三角が絶好の一着になりました。
先手は飛車取りを受けるほかありませんが,6四の銀が浮いてしまうことがなくなった後手は△4五金と桂馬を取りつつ7六の銀も狙えます。第2図は大勢が決しているといえそうです。
渡辺棋王が先勝。第二局は20日です。
光線屈折学の理論的な知識,そしてそれをレンズの製作のために応用するための方法論的な知識,さらにその方法論的知識をレンズ製作の実践に生かすための職人としての技術に関して,それぞれの偏差値を出すことが可能であると仮定してみましょう。
理論的知識と方法論的知識に関して,スピノザの偏差値が中間値を超えていたことは間違いないとしていいでしょう。もちろんそれを実践するための技術についても同様です。しかし双方の偏差値の値を比較したならば,たぶんふたつの知識に関する偏差値よりも,技術の偏差値の方がより高かったといえると僕は思うのです。なぜなら,たとえば知識に関する偏差値であれば,ホイヘンスやケルクリングがスピノザを著しく下回っていたと考えることはできません。どちらが優秀な自然科学者であったのかを考えれば,それは間違いないと思うのです。一方,この当時の状況から鑑みて,一流の自然科学者として評価を獲得できるほどの人物が,技術力において平均偏差値を下回ることもまず考えられません。つまり知識に関してはスピノザはホイヘンスやケルクリングとよくて同程度の偏差値であったと僕は考えますが,技術力に限定するなら,スピノザの偏差値が両者を上回っていた筈だと推定するのです。
ここから帰結するのは,スピノザが理論的知識と方法論的知識を兼ね備えた光学者であったことは否定できませんが,それよりも一流の技術職人であったということです。このことがレンズ一般に関していえるのですから,フェルメールがカメラ・オブスキュラの高性能のレンズを入手するために求めていた人物の条件に,スピノザは最適といっていいほどの人物であったと想定してもよいと思います。他面からいえば,もしスピノザがフェルメールからそのレンズを製作する依頼を受けたとすれば,フェルメールが満足できるだけの製品を作り出すことができただろうと僕は考えます。
もちろんこれは,実際にスピノザがそのようにしたという意味ではありません。むしろ僕は史実としてはその可能性はきわめて薄いであろうと考えます。ですがその可能性が皆無であったと僕には断定することはできません。
振駒で佐藤八段が先手となり角換り相腰掛銀に。渡辺棋王が新手を指して主導権を握り,先手が攻め合いを目指す一局になりました。
先手が桂馬を跳ねたところ。厳密にはもう後手の方が少しいいのかもしれません。
△7六歩▲同銀△8六歩▲同歩と進めてから△4四銀と逃げました。▲3三桂成は王手ですから途中で指せたのですが,桂馬を渡すマイナスの方が大きいという判断だったのでしょう。ただ手抜かれてすぐに取れないのでは,やや苦戦だったのではないかと思います。
▲2四歩と玉頭に手をつけました。継ぎ歩の狙いですが△同歩▲2五歩△同歩▲2四歩とその狙いをすべて許した上で△8六飛と王手で走りました。ここの判断が後手の勝利に結びついたと僕には感じられました。
▲8七銀に△8四飛と引いて6四の銀と連結。先手はさらに▲2五飛で攻め合いを目指しましたが△7七歩▲同金△7六歩▲7八金△8六歩▲7六銀まで決めてからの△4三角が絶好の一着になりました。
先手は飛車取りを受けるほかありませんが,6四の銀が浮いてしまうことがなくなった後手は△4五金と桂馬を取りつつ7六の銀も狙えます。第2図は大勢が決しているといえそうです。
渡辺棋王が先勝。第二局は20日です。
光線屈折学の理論的な知識,そしてそれをレンズの製作のために応用するための方法論的な知識,さらにその方法論的知識をレンズ製作の実践に生かすための職人としての技術に関して,それぞれの偏差値を出すことが可能であると仮定してみましょう。
理論的知識と方法論的知識に関して,スピノザの偏差値が中間値を超えていたことは間違いないとしていいでしょう。もちろんそれを実践するための技術についても同様です。しかし双方の偏差値の値を比較したならば,たぶんふたつの知識に関する偏差値よりも,技術の偏差値の方がより高かったといえると僕は思うのです。なぜなら,たとえば知識に関する偏差値であれば,ホイヘンスやケルクリングがスピノザを著しく下回っていたと考えることはできません。どちらが優秀な自然科学者であったのかを考えれば,それは間違いないと思うのです。一方,この当時の状況から鑑みて,一流の自然科学者として評価を獲得できるほどの人物が,技術力において平均偏差値を下回ることもまず考えられません。つまり知識に関してはスピノザはホイヘンスやケルクリングとよくて同程度の偏差値であったと僕は考えますが,技術力に限定するなら,スピノザの偏差値が両者を上回っていた筈だと推定するのです。
ここから帰結するのは,スピノザが理論的知識と方法論的知識を兼ね備えた光学者であったことは否定できませんが,それよりも一流の技術職人であったということです。このことがレンズ一般に関していえるのですから,フェルメールがカメラ・オブスキュラの高性能のレンズを入手するために求めていた人物の条件に,スピノザは最適といっていいほどの人物であったと想定してもよいと思います。他面からいえば,もしスピノザがフェルメールからそのレンズを製作する依頼を受けたとすれば,フェルメールが満足できるだけの製品を作り出すことができただろうと僕は考えます。
もちろんこれは,実際にスピノザがそのようにしたという意味ではありません。むしろ僕は史実としてはその可能性はきわめて薄いであろうと考えます。ですがその可能性が皆無であったと僕には断定することはできません。