スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

東京2歳優駿牝馬&神学と哲学の区別

2015-12-31 19:29:28 | 地方競馬
 北海道から1頭,笠松から2頭が遠征してきた第39回東京2歳優駿牝馬
 8番より外の馬は総じて遅れ気味の発馬になりました。先手を奪ったのはスアデラ。2番手にオウカランブ。外の方で最も真面な発馬だったモダンウーマンが3番手。エメンタールベルン,マックスガーデン,エクレアオールまでほぼ1馬身の間隔で追走。カラオケスナック,スウィフトテーラー,ミスミランダー,リンダリンダの4頭がその後ろで集団を形成しました。最初の800mは50秒8のミドルペース。
 3コーナーを回るとオウカランブは騎手の手が動き出し,外からモダンウーマンに交わされると後退。直線の入口ではスアデラとモダンウーマンの併走に。さほど厳しいペースではなかった筈ですが思いのほかスアデラは抵抗できず,モダンウーマンが抜け出して快勝。中団から脚を伸ばした北海道のリンダリンダが1馬身半差の2着。その外を伸びた笠松のミスミランダーが4分の3馬身差で3着。
 優勝したモダンウーマンは先月のローレル賞に続いて南関東重賞を連勝。そのときはスアデラに対してキャリアで優った部分もあったと思え,あるいは逆転もあるかと思っていましたが,むしろ差をつけることに。前回は逃げ切ったのに対し,今回は控えて差したものなので,余計に価値が高いように思います。無事なら来年の牝馬クラシックの中心的存在となるでしょう。父はサウスヴィグラス。母の父は2000年のアンタレスステークス,2001年のアンタレスステークス,2002年の平安ステークス,2003年の平安ステークスとマーチステークスを勝ったスマートボーイ。祖母の半弟に2002年の阪神ジャンプステークスを勝ったミレニアムスズカ
 引き続いて手綱を取ることになった北海道の阿部龍騎手はローレル賞に続く南関東重賞2勝目。前走後から管理することになった川崎の佐々木仁調教師は東京2歳優駿牝馬初勝利。

 スピノザの考え方の特異さを形而上学的に示すなら,神学と哲学には「共通点」はないとした点にあります。『神学・政治論』にみられる神学と哲学の棲み分けの主張は,形而上学的にはこのことを論拠としているといえます。つまり神学と哲学は同一の属性には属さず,むしろ各々が別の属性であるというようにスピノザは認識していたといえるでしょう。
                                
 「共通点」がないというのは,あくまでも形而上学的な意味です。両者に共通する要素がないという意味ではありません。スピノザは神学が人を敬虔にすること,そして哲学もまた人を敬虔にするということは認めています。しかしそこには方法論における差異があるのであって,その差異は,また形而上学的にいうなら様態的区別に属する差異ではなく,実在的区別に属する差異であるというのがスピノザの考え方なのです。
 延長の属性と思惟の属性は「共通点」がないので実在的に区別されます。しかしふたつの属性を実在的に考えたなら,そこに共通する何の要素もないわけではありません。なぜなら延長の属性も思惟の属性も神という実体の本性を構成する属性なのであり,神の本性を構成するという意味においては共通であるといえなくもないからです。なのでこの関係をそのまま神学と哲学の関係に置き換えるなら,敬虔という実体が存在し,この実体の本性を構成する属性として神学属性と哲学属性というふたつの属性があるというのが,この点におけるスピノザの考え方を形而上学的に説明した場合の最終的な結論になるでしょう。
 第一部定理三によって,「共通点」を有さないなら一方が他方の原因であったり結果であったりすることはできません。他面からいえば一方の認識が他方の認識の原因にはなり得ません。だから神学を認識しても哲学を認識することはできないし,哲学を理解しても神学を理解することはできません。よって神学が哲学を従属させることはできないし,哲学が神学を従属させることもできないのです。なのでスピノザは両方の立場を批判することになります。つまりスピノザはブレイエンベルフを批判するだけでなく,マイエルのことをも批判することになるのです。
コメント
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