スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

フラゼマケル&前提部分

2016-02-29 19:48:08 | 哲学
 シモン・ド・フリース書簡八で説明している講読会の初期のメンバーのひとりに,ヤン・ヘンドリック・フラゼマケルがいたと『ある哲学者の人生』では推定されています。
                                    
 産まれた年は判明していないようですが,1620年前後であったとナドラーは書いています。両親が広い意味でのコレギアント派に属していて,同い年かほぼ同年代であったイエレスとは幼馴染であったとされています。フラゼマケルとスピノザの出会いは,イエレスによって仲介されたというのがナドラーの見解です。
 スピノザと親友であったと断定できるのは,フラゼマケルが遺稿集の編集者のひとりであったと確定できるからです。遺稿集のオランダ語版は,フラゼマケルがラテン語から訳したものです。ナドラーはスピノザの著作のほとんどのオランダ語訳を手掛けた人物と説明していて,これはこれで間違いないとは思いますが,実際にスピノザが存命中に出版されたのは『デカルトの哲学原理』と匿名での『神学・政治論』だけなのですから,この説明が実際に意味しているのは,遺稿集の翻訳者であったということと大差ないと思います。
 『デカルトの哲学原理』のオランダ語訳はほかの人物によってなされたものですが,『神学・政治論』を蘭訳したのはフラゼマケルです。スピノザはその出版を阻止するように依頼する書簡を1671年2月にイエレスに送ったのですが,その時点では蘭訳は完成されていたと考えていいでしょう。出版が1693年になったのは,スピノザの意向が受け入れられたからだと解するのが妥当だと思います。ただ,実際にその時点でオランダ語に訳されていたのですから,そちらの方を読んだ人物が存在したということは確かだと僕は思っています。とくにフラゼマケルの幼馴染でラテン語を読むことができなかったイエレスは,フラゼマケルによる翻訳によって,それを読むことができたのだろうと僕は推定します。
 スピノザは同じ依頼をフラゼマケル当人にもしたかもしれません。どういう理由か不明ですが,スピノザとフラゼマケルの間の書簡は遺稿集にはありませんしその後も発見されていません。ただそれが存在しなかったとまでは断定できないだろうと僕は考えています。

 根本的に前提としなければならない事柄から論考を開始します。
 第二部定義二からして,ある事物とその事物の本性は実質的に同じものである,少なくとも相即不離の関係にあるものと解さなければなりません。
 第一部公理六から,真の観念は観念されたものideatumと一致します。したがってある事物を真に認識するということと,その事物の本性を真に認識するということは実質的に同一でなければなりません。なぜならその事物は本性なしには概念できないからです。逆にいうならある事物の本性を真に認識するということは,その事物を真に認識しているのと事実上は同じです。事物の本性はその事物なしには概念することが不可能なものであるからです。
 上述の事柄が,共通概念の認識の場合にも妥当しなければならないと僕は考えます。確かに第二部定理三七により,共通概念を認識するということは個物の本性を認識するということではありません。人間が認識する共通概念に限定していえば,それは自分の身体と外部の物体とに共通する性質の認識です。あるいは自分の身体の本性からも外部の物体の本性からも同じように必然的に流出する特質についての認識です。ですがそうした性質もそれ自体でみれば何らかの本性を有します。第二部定義二の意味から考えて,もしもそうした本性がこの性質には存在しないとするなら,その性質自体の存在を定立する要素が存在しないということになるので,その性質自体の存在は不可能であるといわなければならないからです。したがってどんな共通概念であれ,それを人間が認識するということは,その共通概念自体の本性を真に認識しているのと実質的に同一であると僕は考えます。
 こうした共通概念は神のうちにも存在します。これは第二部定理七系からそうでなければならないと僕は考えますが,第二部定理一一系を援用する方がたぶんこの場合には適切でしょう。人間の精神が神の無限な知性の一部分であるとするなら,人間の精神の一部を構成している真の観念は,そのままの形相で神の無限知性の一部を構成することになるからです。つまり神も共通概念を認識すると僕は解します。
コメント
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