スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

静の涙&書簡三十二

2016-02-09 19:46:01 | 歌・小説
 先生が残酷な恐怖を感じたとする血の色や,私に対してKが変死したと言った際の奥さんの認識について読解した下の四十八から五十にかけてのテクストのうちには,これらとは別の観点から僕の関心を惹く部分があります。
                                    
 Kの自殺の後の処理を主に担ったのは奥さん,後の先生の奥さんになるお嬢さんのの母親で,先生はその奥さんに命ぜられるままに医者や警察に行ったのです。その後でふたりは協力してKが自殺した部屋を掃除し,Kの遺体をを挟んだ先生の部屋の方に寝かせました。そこまで済ませた後,先生はKの実家へKが死んだ旨を知らせる電報を打つためにまた出掛けます。
 帰ったとき,Kの枕元には線香が立てられていて,その傍らに奥さんとお嬢さんの静が並んで座っていました。このときお嬢さんが泣いているのと奥さんが目を赤くしているのをを見た先生は,悲しい気分に誘われたと書いています。
 これ自体は感情の模倣であり,何ら不思議な出来事ではありません。まして先生はお嬢さんへの好意を自覚していました。第三部定理二一によれば,自分が愛する者への感情の模倣は,愛しているがゆえに生じやすいことが分かります。他面からいえば,先生がお嬢さんの悲しみを表象して自分も悲しくなったのは,確かに先生がお嬢さんを愛していたことの証明であるともいえるでしょう。
 ですが,遺書の中では先生はKを親友であったと規定しているのです。その親友が,先生に対して残酷な恐怖を与えるような方法であったとはいえ死んでしまったのです。先生にとってそれ自体が悲しみであったとしてもおかしくはありません。なのに先生はKの死を悲しむお嬢さんの涙を見るまで,Kの死には悲しみを感じなかったといっているのです。ここにはどことなく尋常でないところがあると思えないでしょうか。
 なぜ先生が静の涙を見るまでKの死に対する悲しみを感じることができなかったのか。これは考えてみる価値がある題材であるように思います。

 スピノザが理論と方法論に秀でていただけでなく,レンズを研磨する職人としても一流であったことを示すために,オルデンブルクに宛てた書簡三十二の中で,望遠鏡について言及しているテクストを改めて解読してみます。
 まずスピノザがいっているのは,ホイヘンスが望遠鏡のためのレンズの研磨に熱心に従事し,それは書簡を書いている1665年11月の時点でもそうであるということです。そしてそのためにホイヘンスが磨き皿を回転させる機械を作ったと報告しています。作らせたのではなく作ったと記述しているので,これはホイヘンスの自作だったと僕は考えています。その機械は見事なものであるとスピノザは称賛しています。
 ですがこの称賛は機械に対してのものであり,レンズについてではありません。スピノザはホイヘンスが機械の導入によってどんな成果を得られたかは知らないし,それについては興味すらないという意味のことをいっているからです。なぜなら,球面のレンズを研磨する場合には,どんな機械を用いるよりも手で磨く方がより安全でうまくいくことをスピノザは経験から知っていたからです。
 これは当時の機械の水準を基にしたスピノザの経験則なので,現代と事情が異なることは理解しておかなければなりません。また,スピノザが手で磨く方が安全であるというとき,それが磨く人間の身体にとって安全であるという意味なのか,それともレンズを製作するために研磨するガラスにとって安全であるという意味なのかは僕には判別できません。さらにこれは球面のレンズに限定した記述なので,もしも平面のレンズを研磨するのであれば,機械を用いた場合でも,少なくとも人間が手で磨くのと同じ水準のレンズを製作できること,あるいは人間が磨くより精巧なレンズを製作できることも,スピノザは自身の経験から理解していたといわなければなりません。ただ,望遠鏡のレンズにはどうしても球面のレンズが必要なので,機械を用いても高性能の望遠鏡を作製するのは難しいとスピノザは判断していたということです。
 これらのことから断定できるのは,スピノザも機械を用いたことはあったということです。
コメント
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