スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。
28日に平塚競輪場 で争われたヤンググランプリ2022 。並びは吉田‐菊池の関東,山口‐橋本の岐阜,町田‐松岡の西国,犬伏‐石原の四国で寺崎は単騎。
スタートは牽制になりましたが,吉田が誘導の後ろに入って前受け。3番手に寺崎,4番手に山口,6番手に犬伏,8番手に町田で周回。残り3周のバックの出口から町田が上昇開始。残り2周となったところで町田が吉田に並び掛けると,吉田は突っ張る素振り。しかしこれは素振りだけで町田が吉田を叩きました。この動きがあったために後ろは動くことができず,3番手に吉田,5番手に寺崎,6番手に山口,8番手に犬伏という一列棒状となって打鐘。そこから町田が本格的に先行。松岡と吉田の間,菊池と寺崎の間がやや開き,隊列が縦長になりました。ホームでは仕掛けがなかったのでバックに入って吉田が発進。バックの出口では町田を捲り切りました。直線では捲った吉田をマークの菊池が差し切って優勝。吉田が8分の1車輪差の2着に残って関東のワンツー。菊池を追う形になった寺崎の内に潜り込んできた山口が1車輪差で3着。
優勝した長野の菊池岳仁選手は7月の宇都宮のFⅠ以来の優勝。グレードレースは初優勝。このレースは山口と寺崎が脚力では上位でしたが,周回中に何もできなかったため,その脚力を存分に発揮するには至りませんでした。無策だったといういい方も可能でしょうが,そうなったのは前受けした吉田が一旦は突っ張る構えをみせた後で町田を前に出し,なおかつ町田が発進したところですぐに追わずに車間を開けたからであって,その意味では吉田の巧みな走行が関東のワンツーという結果を齎したといえるでしょう。昨年はそれまでに優勝が1回しかなかった菊池にとっては,恵まれたレースだったという気がします。
第五部定理四二備考 の無知者について述べた部分で,スピノザは無知者は働きを受けるpatiことをやめると存在することもやめるといっています。ここの部分が何を意味しているのかを探求します。この点については『はじめてのスピノザ 』の中で國分も詳しい説明を与えていますが,ここではまずこの部分の何が問題になるのかということから明らかにしていきます。
Xが存在をやめるというとき,それはXが現実的に存在することをやめるということを第一義的には意味します。無知者というのは現実的に存在する人間ですから,第一義的には,無知者が現実的に存在することをやめる,つまりその人間の現実的存在の停止,要するに死ぬということを意味します。しかし当然ながら備考Scholiumのこの部分をこのような意味で解釈することはできません。つまり,無知者は存在することをやめるのですが,だからといって死んでいなくなってしまうわけではありません。むしろ現実的に存在する人間としては,現実的に存在し続けることになります。
そうなると,無知者が無知者として存在することをやめるといっていると解釈することになりそうですが,これも正しい解釈ではありません。この場合は無知者として存在することをやめるなら,賢者として存在するようになるという意味でなければなりませんが,備考のこの部分は,無知者が無知者として存在することをやめて賢者として存在するようになるということを意味するわけではありません。むしろ無知者は,人間として存在し続けるだけでなく,無知者としても存在し続けると解釈する必要があります。つまり,無知者は相変わらず無知者として存在し続けるのですが,存在することをやめるといわれているのです。この部分にどう整合性をつけるべきなのかというのが,問題の中心となります。
このことはその直前に,働きを受けることをやめるといわれていることと関係しています。つまりこの部分では,無知者が存在することをやめるということが,その無知者が働きを受けることをやめることとの関連で述べられているのです。働きを受けることをやめるとなぜ無知者は存在することもやめるかを考察していきます。
昨日の伊東温泉記念の決勝 。並びは中野に大川,野原‐村田の近畿,嘉永‐山崎‐中本‐田中の九州で渡辺は単騎。
野原がスタートを取って前受け。3番手に嘉永,7番手に渡辺,8番手に中野で周回。残り3周のホームの入口から中野が上昇していこうとしましたが,嘉永が自転車を外に出して牽制。この間に村田と嘉永の車間が開いたので,バックで渡辺が内を突いて3番手に追い上げました。ただこれに構わず嘉永が発進。バックの出口ではマークの山崎と共に野原を叩きました。野原は引かずに中本の内で粘りました。この競り合いがバックまで続き,バックで野原が村田を浮かして3番手を奪取して打鐘。嘉永の牽制でいかれなかった中野がここから発進。しかしホームで山崎が番手から発進。山崎の後ろは近畿勢が続き,上昇してきた中野は村田に牽制されて失速。すると村田の後ろにいた渡辺が村田をどかして3番手に。直線は山崎マークのレースになった野原が山崎を差して優勝。野原の外から差し込もうとした渡辺が2着で到達しましたが,内側追い抜きがあったために失格となり,最終コーナーで内を回って山崎と野原の間を突いた大川が4分の3車輪差で繰り上がっての2着。山崎は4分の1車輪差で4着。
優勝した福井の野原雅也選手は9月の福井のFⅠ以来の優勝。記念競輪は一昨年の広島記念 以来となる2勝目。このレースは嘉永の先行が有力。すんなりと駆けられてはほかのラインは苦しくなるのが明白。そのために野原は前で受けて飛びつくとという作戦を採ったのでしょう。その作戦がものの見事に決まっての優勝ですから,作戦勝ちといえる結果だと思います。山崎は番手から出ていくのが少し早すぎたような気はしますが,中本が3番手を守れなかったのが大きな痛手となりました。
『エチカ』の中で,賢者というのに最も相応しいのは,第四部定理六六備考 で示されている自由の人 homo liberです。これは異論がないところでしょう。
この備考Scholiumの中では,自由の人に対しては奴隷servusが対置されています。したがって,自由の人が賢者であるとみなされるなら,ここで奴隷といわれているのが無知者に該当することになります。はっきりとした形ではありませんが,スピノザは自由の人を無知者と対比的に使用している場合もあります。たとえば第四部定理七〇 は,それ自体では無知の人びとと自由の人を対置しているとはいえないかもしれませんが,明らかに対比はしているのであって,したがってこの定理Propositioで無知の人びとといわれている人びとのことを,第四部定理六六備考でいわれている奴隷と同じ意味に解しても,問題はないでしょう。というか,この定理は,自由の人は奴隷たちの親切を避けようとするというように解して間違いないのであって,それはつまり,無知の人びとと奴隷は同じ意味であるということにほかなりません。一方,第五部定理四二備考 の無知者と第四部定理七〇の無知の人びとを異なった意味に解するのは無理があります。よって第五部定理四二備考の無知者と,第四部定理六六備考の奴隷は,同じ意味であるとして問題ありません。というより同じ意味であると解するべきでしょう。
次に,第五部定理四二備考では,無知者が外部の諸々の原因 causaから様ざまな仕方で揺り動かされるといっています。これは無知者の受動 passioを意味します。このことはそれ自体で明白でしょう。しかしこのことから重要なことが帰結します。というのは,第四部定理四 から理解できるように,現実的に存在する人間が働きを受けないでいるということはできないことになっているからです。これでみれば分かるように,現実的に存在するすべての人間は無知者であり奴隷です。他面からいえば,無知者にならずに現実的に存在する人間は存在しません。同じことですが,奴隷にならず現実的に存在し続けられる人間はいません。
しかしこれでは,賢者とか自由の人ということに,何か意味があるのかが疑問になってくるでしょう。この疑問を解消することにします。
昨日の広島記念の決勝 。並びは坂井‐田中の東日本,寺崎‐石塚の近畿,松浦に山田,犬伏‐久米の徳島で原田は単騎。
寺崎の前受け。3番手に松浦,5番手に坂井,7番手に原田,8番手に犬伏で周回。残り3周のバックを過ぎて犬伏が上昇を開始。ホームの出口で寺崎を叩きました。久米の後ろにスイッチしたのが原田。松浦がうまく4番手に入り,6番手に坂井,引いた寺崎が8番手の一列棒状になって打鐘。動きがあったのはバックに入ってからで,3番手に入った単騎の原田が発進。原田の後ろの松浦がそれに続きました。さらにその後ろからは坂井の追い上げ。原田が先頭で直線に入りましたが,直線では一杯。原田との車間を少し開けていた松浦が,外から迫る坂井をうまく牽制し,抜かせずに優勝。坂井が4分の1車輪差で2着。原田が1車輪差で3着。
優勝した広島の松浦悠士選手は9月の岐阜記念 以来の優勝で記念競輪18勝目。広島記念は2018年 と2021年 に優勝していて連覇となる3勝目。ここはグランプリに出走する選手は地元の松浦以外は出走しませんでしたので,脚力は上位で順当な優勝。スピードは坂井の方が上だったのですが,うまく牽制して抜かせませんでした。道中で坂井の前に位置した立ち回りと,坂井のスピードを殺した牽制が勝因で,競走の巧みさによる優勝だといえそうです。結果的にラインは関係なく,脚力で優位に立つ選手が上位を独占したレースでした。
自分が知識なり技術なりを習得していく場合は,振り返る必要がない基本的事項というのが,どのようなジャンルであってもあります。ただ,自分が身につけた技術や知識を他に伝達するという場合にはこれは成立しません。その場合にはどんな基礎的事項であったとしても.そこから振り返る必要があります。とくに,伝達する相手が何の技術も知識も有していないという場合には,そのような基本的な事項から始めていくというのが必須です。これは,あるゲームを他人に説明するときに,その人がそのゲームのルールの基本的知識を知らないのであれば,その部分から伝達する必要があるということから明白でしょう。野球のルールを知らない人に技術を伝達してもその技術は用いようがありません。同様に,駒の動かし方を知らない人に将棋の基本手筋を伝えることはできません。したがって,第一部定義六 でいわれていることを理解していない人間には,神 Deusは存在するということを説明しても,その神が何を意味するのかということは分かってもらえませんから,結局のところその説明自体が無意味に帰すことになります。よって,スピノザの哲学のような,國分のいい方に倣えば僕たちが物事を考える場合にその影響を受けているオペレーションシステムとは別のオペレーションシステムについて考えていることを伝達するというときには,伝達する当の人間には不要であるような復習を繰り返さなければならない機会がそれなりに増加していくのは当然です。いい換えれば,自身が知識や技術を身につけていくことにはそれぞれに難易度の差があるのは当然ですが,それと同じように,それを伝達する場合にも,何を伝達するのかということによって,難易度に差があるのです。
一方,自身にとって不要な基本的事項の復習というのがあるにしても,不要とはいえないような,いい換えれば必要とまではいえないにしても有用な復習というのもあります。たとえばプロの野球選手がキャッチボールをするということは,単にウォーミングアップ以上の意味があると僕は考えます。同様に将棋のプロ棋士が,ごく簡単な詰将棋を解くということも,有用なことだと僕は考えます。
11日の松戸記念の決勝 。並びは山口‐磯田の茨城栃木,松井‐岩本‐和田の南関東,中西‐三谷の近畿で高橋と上田は単騎。
和田がスタートを取って松井の前受け。4番手に中西,6番手に高橋,7番手に山口,最後尾に上田で周回。残り3周のホームから山口が上昇開始。上田は続きませんでした。バックから松井が突っ張り,引いた山口が4番手に。この後のコーナーから中西が発進。松井はこれも突っ張りに出ました。打鐘後のコーナーで岩本が中西を牽制。これで松井の突っ張り先行に。今度は中西が4番手に入りました。バックに入ると山口が巻き返せないとみた磯田が自力で発進。しかし上がっていく前に岩本が番手捲りを敢行。これで後ろはなす術がなくなり,岩本と和田の優勝争い。両者の差は詰まらず,岩本が優勝。1車身差で和田が2着に入って地元勢のワンツー。地力を出した磯田が6車身差で3着。
優勝した千葉の岩本俊介選手は当地で行われた一昨年の千葉記念 以来の記念競輪制覇で記念競輪4勝目。同年に松戸記念 も優勝していて,松戸記念は2年ぶりの2勝目。2011年に優勝した取手記念 も松戸での代替開催でしたので,記念競輪の4勝はいずれも松戸でのものとなりました。このレースは地元勢を引き連れた松井が,他の自力型よりも力量上位。なので前を取って突っ張った方が先行しやすいとみての作戦であったと思います。和田が1番車でしたから,ほかのラインあるいは単騎の選手たちにとっては仕方がない面もあったと思いますが,南関東勢の作戦勝ちというレースでしょう。
僕はスピノザの形而上学の下で物事を考えることが,すでにある程度は習慣化されています。なので,スピノザの形而上学の下での社会societasが,あり得たかもしれない別の近代の姿であるというような言説は,不自然であるということに直観的に気が付きます。ですから僕と同じように考えることが習慣化されている人からみれば,國分はスピノザの入門書において,スピノザのオペレーションシステムはデカルト René Descartesのオペレーションシステムとは異なるといっておきながら,そのことをデカルトのオペレーションシステムの下で説明しているというように批判したくなるのではないかと思います。実際にそのような批判が可能であるということは僕は否定しませんが,しかしそのような批判は不要であるとも僕は考えるのです。なぜなら國分はおそらくそのようなことは十分に承知した上で,このような説明をしているのだと僕は考えるからです。
『はじめてのスピノザ 』は入門書なのであって,それを手に取って読むという人の多くは,スピノザの哲学のことをよく知らない人だと思われます。そのような人はデカルトの形而上学の下で物事を考えるということが習慣化されていることが一般です。ですからそういった人たちからみれば,國分の説明というのは,不自然であるどころかむしろ腑に落ちるものだと思います。そこでこの説明によって,スピノザの哲学を学ぶときに,デカルトの形而上学の下で考えてはならないのであり,デカルトのオペレーションシステムとは異なったものとして,スピノザのオペレーションシステムを一から学ばなければならないという心構えをもつことができるのであれば,國分のその表現は,入門書における表現としては有効だといえるでしょう。ですから確かに國分はスピノザの哲学とは相容れないようなことをいってはいるのですが,そのことをとくに問題視しなければならないとは僕は考えません。
このことから理解できるように,スピノザのオペレーションシステムを学ぶということは,デカルトのオペレーションシステムをアップデートするということではなく,新しいオペレーションシステムを最初から学んでいくということなのです。
高松記念の決勝 。並びは真杉‐佐々木‐吉沢‐宿口の関東,簗田に香川,稲毛‐稲川‐南の近畿。
稲毛がスタートを取って前受け。4番手に真杉,8番手に簗田で周回。残り3周のバックの出口から簗田が上昇開始。誘導が退避するタイミングで稲毛が突っ張る構えをみせたので,簗田は南の後ろに収まりました。残り2周のバックの入口から真杉が発進。打鐘で稲毛を叩き,牽制を受けた宿口も何とか続き,ホームでは関東の4人が前に。稲川が叩かれた稲毛を捨てて宿口の後ろに。そのままバックから捲っていきました。これを牽制したのは吉沢で,稲川はその位置で競り合う形に。結果的に無風の番手となった佐々木が直線の入口から踏み込んで優勝。マークの吉沢が1車身差の2着。逃げた真杉も1車身差の3着に残って関東勢の上位独占。直線で再び外から迫った稲川が8分の1車輪差の4着。
優勝した群馬の佐々木悠葵選手はグレードレース初優勝。このレースは関東ラインが手厚く,真杉がどの段階から駆けていくかで結果が変わってくるだろうと思っていました。打鐘前からの発進になりましたので,佐々木が勝って吉沢が2着という結果に。それでも真杉も3着に残っていますので,脚力自体も明らかに上位だったといえそうです。佐々木はFⅠではコンスタントに決勝には残るというレベルの選手で,今年は優勝がありませんでした。このレベルの選手がなぜ番手を回ることになったのかは,僕にはやや謎が残ります。また,隊列が決まる前に,簗田が中団を取りにいく動きがあったのですが,香川は1番車でしたから,取りたければたぶん取れたと思うのです。地区が違うということはありますが,事前に作戦についての相談が足りなかったのではないかと思います。
僕たちは現実の生活で光速に近似した速度に到達することはありません。前述したように,俯瞰的な立場からみると,静止している状態での1mの長さは最も長くなり,1秒は最も短くなるのであって,それが光速に近づくほど1mは短くなって1秒は長くなるのですが,それは比例的にそのようになっているわけではなく,加速度的にそうなっていきます。つまり光速に近づくほど,長さが短くなり時間が長くなる程度は大きくなるのに対し,光速から遠ざかるほど,あるいは同じことですが静止quiesに近づくほど,その程度は小さくなります。なので,距離を時間tempusで割ることによって速度を計算する公式は虚偽falsitasではあるのですが,その虚偽の度合いつまり誤差というのは,速度が遅いほど小さくなります。そして現実的には光速に近似するような速度に僕たちは到達しないのですから,実際に求めなければならないような速度というのは,この公式で求めたとしても,大した誤差は出ません。なのでこの公式は虚偽ではあるのですが,僕たちが暮らしている社会を支えるためには不都合を生じさせません。
それでも虚偽ではあるのですから,相対性理論に基づいて求められる各々の速度や長さそして時間の公式が簡潔なものであったとしたら,少なくともそれ以降はそちらが社会を支える形而上学として取り入れられることになったでしょう。ところがこちらの公式はきわめて複雑なものであって,少なくとも小学校で教えるような内容を有してはいません。これに対して距離を時間で割ったものが速度であるという公式は,きわめて簡潔です。ですから現代でも,こちらの方が僕たちを支える形而上学として真理veritasとされているのであって,それが真理とされているということは,実は相対性理論は虚偽とされているのと同じなのです。
もちろん,光速に近づくほど時間が長くなるということは,場合によって高速で運動する人間にとっての1年が,静止状態にある人間の10年にも100年にもなるということ,いわゆる浦島太郎現象といわれることが生じ得るのですから,そのようなことが可能になるときには,速度は距離を時間で割ったものという公式は通用しなくなるでしょう。
小倉競輪場 で争われた昨晩の第64回競輪祭の決勝 。並びは新田‐新山‐守沢‐成田の北日本,坂井‐平原の関東,郡司‐小原の神奈川で荒井は単騎。
平原,郡司,新田の3人がスタートを取りにいきました。互いに譲らず発走後の1周はほぼ3人が横並び。最終的に誘導の後ろに入ったのは平原で,坂井の前受けに。3番手に郡司,5番手に荒井,3人の中では最初に引いた新田が6番手という周回に。このまま動きがなく残り2周のホームに入ったので,まず単騎の荒井が動いて平原の後ろまで位置を上げました。新田はバックから発進。坂井も抵抗して先行争いとなって打鐘。ホームに入ると新田が坂井を叩いてかまし先行。坂井は引けないので新山の内で粘りにいきました。両者が併走のままバックに入ると新山が番手捲りを敢行。守沢はやや車間を開けて追走。外から郡司が捲ってくると守沢が郡司,郡司マークの小原を次々に牽制。この間に新山と郡司,郡司と小原の車間がそれぞれ開いてしまい,新山が悠々と優勝。郡司が2車身差で2着。小原が2車身差で3着。
優勝した青森の新山響平選手は4月に岐阜のFⅠを完全優勝して以来の優勝。グレードレースは一昨年3月の玉野記念 以来となる優勝でビッグは初制覇。このレースは北日本の並びが意味するところが僕には定かではありませんでした。新田が早めに駆けて新山が番手捲りというのは考えられましたが,守沢が自身の優勝よりも新山の援護に回ったのは僕には想定外でした。北日本が結束した結果としての優勝という色が濃いように思います。
僕の場合でいえば,ある事柄を探求していくときに,これは重要な事柄であるから基本的な部分から順に論証していくという類のいい方をすることはあります。ただ,ここで重要というのは,僕にとって重要である,あるいは同じことですが,僕は重要と思っているという意味であって,読者にとってそれが重要であるかどうかは分かりません。ですからこの説明は,たとえばスピノザが第一部定理一一備考 の冒頭でいっていることと比較すれば,便宜的なものであるといえるでしょう。他面からいえば,そこでスピノザがしたような説明が必要となるような探求は,あるいはもっと正確にいえばこれは探求そのものではなく探求の方法methodusは,というべきでしょうが,そうした探求の方法を僕は採用していないことになります。
ただ,僕がある事柄が重要だと思っているなら,その事柄を基本的な部分から説明するという意欲を有しているということは,実際にそれを重要であると考えるconcipereかどうかは別として,読者にも伝わるところでしょう。そしてなぜ重要と思う事柄こそ基本的な部分の説明を怠らないように僕がしているのかといえば,結論として帰結してくる重要な事柄にとって,基本的な部分もそれと同様に重要であると僕が考えているからです。そして基本的な部分を教えるのが入門書の性質であるとすれば,僕が一定の頻度で入門書を読んでいるというその理由が,僕のブログには反映されているということになるでしょう。
僕がこのブログで基本的な部分というのは,概ねスピノザの哲学における形而上学的な部分になります。『エチカ』でいえば,第一部がそこに該当すると理解してください。厳密にいえば第一部のすべてが,また第一部だけがスピノザの思想の形而上学的部分を構成するわけではありませんが,僕が基本的な部分ということの大部分がそこに該当するのは間違いないところです。そして僕はその基本的な部分が重要な結論と同様に重要であると考えているのですから,要は僕はスピノザの思想にとっては,形而上学的部分が最も重要である,いい換えればスピノザの哲学の形而上学的部分を理解していることが不可欠であると考えているということです。
富山競輪場 で行われた昨日の神秘の海・富山湾カップの決勝 。並びは根本‐飯野‐竹内‐泉の北日本,北井‐野口‐近藤の南関東,伊藤‐大塚の九州。
飯野がスタートを取って根本の前受け。5番手に伊藤,7番手に北井で周回。残り3周のホームから北井が上昇開始。根本は誘導との車間を開けて待ちました。先行争いとなりそうでしたが,バックで外から北井が叩いて前に。ただ近藤が離れてしまったために,根本が3番手に入り,7番手に伊藤,最後尾に近藤という隊列になりました。北井はホームでも緩めずに駆けていき,そのまま打鐘。根本は発進することができず,バックから飯野が自力で発進。それに野口が合わせようとしました。後方になっていた伊藤は内から進出。飯野は野口の外を乗り越え,前に出るとそのまま先頭を譲らずに優勝。マークの竹内が半車身差の2着に続いて北日本のワンツー。野口が4分の3車身差の3着に残り,内から野口と飯野の間を突いた伊藤は4分の1車輪差で4着。
優勝した福島の飯野祐太選手は先月の松阪でのFⅠ以来の優勝。2008年にヤンググランプリ を優勝して以来のグレードレース制覇で,GⅢは初優勝となりました。このレースは北日本勢と南関東勢が二段駆けの並びで,飯野も野口もこのメンバーなら脚力は上位ですから,先行ラインの番手選手が有利だろうと思っていました。北井が早い段階から全力で駆けていったために,展開としては野口が有利だったのですが,近藤が離れてしまったのが誤算。このために根本の発進は防げたのですが,飯野の捲りには抵抗することができませんでした。最終周回のバックで根本がいけないとみてすぐに自力に転じた飯野の判断もよかったと思います。
受付では別のやり取りもありました。8月から12月の間に血糖値測定器の点検を行うので,その間に血糖値測定器を持参するようにとの案内でした。僕はサマリーを出すために通院の際には必ず血糖値計測器を持参しています。ですから持参については問題ありませんでした。持参すればその日のうちに点検が終わるので,診察が終了するまでには返却されるとのことで,その後の計測には問題はありません。これは8月からのことですから,この日はその案内を受けただけで,点検をしたわけではありません。
診察が始まったのは午後3時5分でした。この日に検査した血糖値が低血糖となっていましたが,それ以外にこの間に発症していた低血糖は2度でした。なお,このときに出た48㎎/㎗という値は異例なほどに低い値であって,僕が自分で計測してこんなに低い値が出ることはまずありません。この間に出ていた低血糖というのは1度が69㎎/㎗で,もう1度が68㎎/㎗です。もっとも計測をしていないだけで,実際にはそれくらいの低血糖を発症しているケースがあるかもしれません。とはいえそのような場合にはすぐにブドウ糖の補給を行いますので,このときのようにその症状はすぐに改善されます。HbA1cは6.7%で,6月 よりも良化していました。これはやはり気候的なものの影響が大きかったと思います。それでも低血糖が頻発しているというわけではありませんでしたから,注射するインスリンの量を変更するという措置はありませんでした。低血糖を発症していたこと以外には異常はありませんでした。何の異常もなかったというのは2月 以来のことでした。
診察の後,血糖値を計測するための針とセンサーを主治医からもらいますが,そのときに自己管理ノートも出してもらいましたので,それも持ち帰りました。昨年の12月 の通院のときに説明したように,自己管理ノートは形式が変わっていたので,1冊を使用することができる期間が短くなっていたのです。ただ実際には8ヶ月でしたので,このときにもらったノートを使い始めたのは9月になってからです。
薬局にはインスリンも注射針もありました。帰宅したのは午後4時10分でした。
昨晩の四日市記念の決勝 。並びは坂井‐守沢の東日本,小原‐福田の神奈川,橋本‐浅井‐坂口の中部,古性‐村田の近畿。
古性,浅井,守沢の3人がスタートを取りに行きました。誘導の後ろに入ったのは古性で前受け。3番手に橋本,6番手に坂井,7番手に小原で周回。残り3周のバックから小原が上昇。橋本の横で止まりました。福田に続いていた坂井がホームで上昇。バックの入口で古性を叩きました。小原は内から上昇。この上昇を古性が阻みにいき,小原はそれ以上上昇することができなくなり,村田の後ろは打鐘で古性が確保したのですが,やや差が開いてしまいました。この間に橋本が発進。待っていた坂井が合わせきり,橋本は不発。ただ村田と古性の車間が開いていたので,浅井と坂口が村田の後ろに入り,古性はその後ろに。バックから古性が発進すると浅井も自力発進。坂井との車間を開けていた守沢がこれを牽制。そのまま踏み込んだ守沢が優勝。守沢の外から迫った浅井が4分の1車輪差で2着。坂井と守沢の間を突いた坂口が半車輪差で3着。
優勝した秋田の守沢太志選手は昨年6月の別府記念 以来となる記念競輪3勝目。四日市記念は初優勝。この開催は平原が二次予選で敗退となったため,古性と浅井が上位で坂井がそれに対抗するという決勝に。小原がどのような動きをするのかがひとつのカギになるかもしれないと思っていましたが,結果的にその動きが古性にとってやや不利になりました。橋本が不発となったために浅井も余裕をもって捲りにいくことができなくなったので,先行した坂井の番手を得た守沢が有利となりました。守沢は優勝は多くありませんが,安定した成績を残していて,まだ上位で戦い続けることができそうです。
5月22日,日曜日。20日に送付されていた預かり金精算書 は,書類ですから,利用者と保護者,つまり妹と僕のサインと捺印を入れて送り返す必要があるものです。ですからこの日に妹と僕の署名と捺印をして送付しました。妹は上手とはいえませんが字を書くことはできます。ですからこのように妹が家にいる場合は,僕は妹自身に署名をさせます。僕が代筆するのはそうでない場合だけです。また,これは前にいったことがあるかもしれませんが,僕は通所施設に渡す必要がある書類については郵送はせず,妹を送ったり迎えに行ったりしたときに通所施設にある事務所の職員に手渡します。ですがグループホーム に渡す必要がある書類に関しては郵送することにしています。これは事務手続き上の書類であって,グループホームに関する手続きは,グループホームを運営している福祉法人が行うものであり,その手続きをする事務所というのは,通所施設の事務作業をする事務所と同一です。ですからグループホームの書類に関しても通所施設で手渡すということは可能です。それでも僕は通所施設に提出する書類とグループホームに提出する書類とでは,その提出の方法を変えています。この預かり金精算書はグループホームの書類ですから,郵送しました。なお,こうした書類には必ず返送用の封筒が入っていますので,郵送費を僕が負担するということはありません。
5月23日,月曜日。妹を通所施設に送りました。
5月24日,火曜日。僕はこの日は戸部に出掛けていて,午後2時50分に帰宅したのですが,留守番電話が入っていました。声の主は妹の支援計画を担当してもらっているKさんで,21日に僕が郵送した妹の受給者証 のコピーが送付されたという通知でした。
5月28日,土曜日。この日は土曜レクリエーションでした。なのでこの週は妹を迎えに行っていません。土曜レクリエーションというのは基本的に月に1回なのですが,6月だけはありません。これは土曜レクリエーションを行うのは祝日がない月と決まっていて,現状の日本で祝日がない唯一の月が6月だからです。たぶん職員の出勤日数が関係しているものと推測します。
6日の防府記念の決勝 。並びは吉田‐神山の茨城栃木,郡司に佐藤‐永沢の北日本,清水‐桑原の山口に園田で東口は単騎。
郡司がスタートを取って前受け。4番手に清水,7番手に東口,8番手に吉田で周回。残り3周のバックの入口から吉田が上昇しようとするのに合わせて清水も上昇。ホームの入口で郡司を叩いたのは清水。東口もこのラインに続いたので郡司は5番手に。ホームに入って吉田が再び上昇。清水を叩き,3番手に清水,6番手に東口,7番手に郡司という一列棒状になって打鐘。ホームから郡司が発進。これを止めにいったのが園田でしたが,郡司に接触してしまい,園田と郡司が共に落車。郡司に続いていた佐藤と永沢も乗り上げてしまい落車。3番手の清水がバックから発進。そのまま捲り切って優勝。マークの桑原が1車身差の2着に続いて地元勢のワンツー。園田が落車したため桑原を追走することになった東口が1車身差の3着に流れ込みました。
優勝した山口の清水裕友選手は3月のウィナーズカップ 以来の優勝。記念競輪は昨年の防府記念 以来となる8勝目。防府記念は2018年 ,2019年 ,2020年 も優勝していてこれで五連覇となる5勝目。このレースは清水にとって最大の強敵は郡司。その郡司が園田の斜行によって落車となりましたので,幸運な面があったのは事実です。ただ,吉田の上昇に先んじて動いて郡司を叩くことによって,吉田ラインの3番手を取ったのはいい作戦でした。仮に郡司が捲ってきたときに,それに合わせて出ることができたかどうかは分かりませんが,作戦面での勝利ということはできるかと思います。
5月13日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。帰宅した後で,妹の3度目の新型コロナウイルスのワクチン接種の予約を入れました。6月の予定は僕の都合で決定することができる時期になっていて,かつ6月中の予約をすでに入れることができる状況になっていたからです。前もっていっておいたように,予約を入れたのは,僕が3度目のワクチン接種を受けた根岸町 にあるクリニック です。ただし,僕が接種したときは武田/モデルナ製のワクチンでしたが,妹の予約を入れた日のワクチンはファイザー製でした。つまり同じクリニックでも,日程によって異なった種類のワクチンを接種していたということです。妹の場合はやはり副反応が生じることに大きな不安があり,その点ではすでに2度の接種を終え,発熱以外の副反応を起こしていなかったファイザー製のワクチンを接種するというのは,悪くない選択でした。
前後しますが,帰宅したときに,支援計画書 を作成してもらっているKさんからの郵便物が届いていました。内容は,Kさんが勤務している福祉事業所の名称が変更になるので,契約を改めて結び直す必要があり,そのために妹の受給者証のコピーを送付してほしいというものでした。ただ,僕は妹の受給者証はグループホームに預けてありますので,すぐに対応することはできませんでした。
午後9時に妹のピアノの先生からの電話がありました。日曜日にピアノのレッスンが予定されていましたので,その開始時刻の通知でした。
5月15日,日曜日。妹のピアノのレッスンがありました。この日は午後1時半からでした。これはレッスンの開始時刻としてはかなり早い方になります。
5月16日,月曜日。午前8時半に,Kさんの事務所に電話を入れ,受給者証について連絡しました。郵便物を受け取った日は電話を入れても通じませんでしたし,土曜と日曜は事業所は休みです。なのでこの日の朝の連絡となりました。Kさんは妹以外にもグループホームの利用者の担当者がいますので,グループホームを訪れる機会がそれなりにあります。なのでそのときにコピーをしてよいという旨を伝え,僕も早い段階でコピーを送付すると伝えました。
京王閣記念の決勝 。並びは吉田‐坂井‐高橋の関東,森田‐平原‐宿口‐中田の埼玉で,佐々木と北井は単騎。
平原がスタートを取って森田の前受け。5番手に吉田,8番手に佐々木,最後尾に北井で周回。残り3周のバックを過ぎると佐々木がインから上昇。中田の後ろに入ったので,5番手に佐々木,6番手に吉田,最後尾に北井という隊列に。ホームで誘導を外した森田は後ろを牽制しつつ打鐘前のバックから発進。だれも追い上げてこなかったのですが突っ張り先行のような形になりました。この後のコーナーでまた佐々木がインから上昇。ホームで宿口の内に取り付きましたが,ここは宿口が守りました。バックに入って吉田が発進。しかしこれはさほどの勢いがありませんでした。吉田がいけないとみた坂井が自力で発進。こちらはよいスピードでしたが,森田の番手の平原が合わせて出て執拗に牽制。このために内が開き,そこを突いた宿口が抜け出して優勝。平原の牽制でスピードを失ったものの,平原を差すことはできた坂井が半車身差で2着。平原が4分の3車輪差で3着。
優勝した埼玉の宿口陽一選手は昨年10月のドームスーパーナイトレース 以来となるGⅢ2勝目。記念競輪は初優勝。このレースは埼玉勢が4人で結束しましたので,森田の先行が有力。ただ早い段階からの先行になったので,番手を回った平原にはあまり余裕がなかったようです。坂井を牽制しての動きではありますが,宿口のために内の進路を開けたとも受け取れますので,自身が優勝できなくても埼玉勢から優勝者が出ればよいという考えが平原にはあったのではないかと思います。そういう意味では森田の頑張りと平原のアシストを受けての宿口の優勝だったということになりそうです。
僕も妹もファイザー製のワクチンを接種したのですから,ワクチンの構成成分は同一です。また,接種した会場は異なりましたが,横浜市の集団接種という点では同じなのですから,接種のために用いた注射器に大きな違いがあったとは思えません。それなのに僕は腕の痛みを感じましたが,妹は感じなかったのです。そして接種後の処置の相違として僕と妹とで何かが異なっていたのだとすれば,それは注射した部位に貼られた絆創膏を,腕の痛みが出る前の当日の夜に剥がしたか,剥がさずに貼ったままにしておいたかという点が,僕にとって思い当たるところでした。なので僕は3度目の接種のときには当日のうちにはそれを剥がさないまま入浴して眠ったのであり,かつこのことが腕の痛みを軽減させる可能性があるのではないかと推測していたのです。そして実際にその腕の痛みは,まったくなかったということはないのですが,1度目と2度目に比べればかなりましでした。というかその比較の上では出なかったといえるくらいでした。
ただし,これは本当に絆創膏を貼ったままにしておいたからそうなったと断定できるわけではありませんので注意してください。スピノザの哲学を利用して少しだけ説明を加えます。
第二部自然学②公理一 から理解できるように,現実的に存在するAという物体corpusとBという物体が関係することによってAという物体に何らかの運動motusが生じるとき,この様式はAという物体の本性 naturaからと同時にBという物体の本性から生じます。この場合でいえば,僕の腕の痛みというのは,僕の腕の本性と同時に注射したワクチンおよび注射器の本性から生じるのです。一方,この接種によって妹の腕に何らかの運動が生じる場合にも,それは妹の腕の本性とワクチンおよび注射器の本性から生じるのです。なので,同じ注射器で同じワクチンをほぼ同じ腕の部位に接種したとしても,僕は腕に痛みを感じ,妹は痛みを感じないということは,絆創膏の処置をどうするかということとは無関係に生じ得ることです。僕の腕の現実的本性 actualis essentia,もっといえば僕の身体 corpusの現実的本性と,妹の腕あるいは身体の現実的本性は,異なった現実的本性であるからです。
前橋競輪場 で開催された昨日の第31回寛仁親王牌の決勝 。並びは新田‐小松崎‐守沢の北日本,吉田‐平原の関東,古性‐稲川の大阪,松浦‐井上の西国。
スタートを取りにいったのは平原と井上。内だった平原が誘導の後ろを確保して吉田の前受け。3番手に松浦,5番手に古性,7番手に新田で周回。残り3周のホームから新田が上昇。誘導が退避するタイミングで平原を叩きました。後方になった古性はホームから上昇。新田を叩いて前に。この動きで後方になったのが吉田で,バックから発進。ただ,稲川と新田の車間が開いていたので,稲川の後ろに入って打鐘。古性の先行になりました。後方になった松浦はホームから発進。新田の前に出たところで内に入り,平原の内に入りました。このふたりが競り合うような形になったので,また内が開き,そこを突いたのが新田。そのままイン捲りのような形で逃げる古性に迫り,直線も内から古性を差して優勝。バックで連結を外して自力で大外から捲って出た守沢が直線も大外から伸び,4分の1車輪差の2着になり,現地集合の形でしたが北日本のワンツー。平原と稲川の間から伸びた松浦が半車身差で3着。
優勝した新田祐大選手 は前回出走の西武園のFⅠから連続優勝。ビッグは2019年のオールスター競輪 以来の優勝で11勝目。GⅠは9勝目。このレースは吉田が先行するのではないかと思っていました。後方から追い上げていったときは吉田もその気だったと思いますが,稲川の後ろに入れる形になったのでそこに入ることになり,古性の先行に。松浦はおそらく捲り切るだけの余力はなかったので平原の内に入ったのだと思います。新田としては外に出せない最悪の位置になりましたが,インからの進出が決まりました。これは古性の走法によるものなので幸運だったというべきであり,この形での優勝では,まだ完全に復調したとはいいきれないように思います。
3月7日,月曜日。内分泌科の通院の日でした。
病院に到着したのは午後1時55分でした。中央検査室は最近としては珍しく,僕の前に5人の患者が採血を待っていました。ですのでこの日は先に採尿をし,少し待ってから採血ということになりました。使用済みの注射針はこの日は持参していませんでした。
診察が開始されたのは午後3時半でした。中央検査室の患者が多いと内分泌科の診察を待つ時間も長くなるケースが多くなるのですが,この日もそうだったことになります。
HbA1cは7.8%でした。これは高い数値ではありますが,2月 よりは低下していました。ただ,低血糖が多くなっていて,全体の5.7%を占めていました。とくにどの時間が多いというわけではなく,就寝前には0でしたが,その他の時間帯,すなわち朝食前,昼食前,夕食前には万遍なく出ていました。なので持続効果型のインスリンであるトレシーバの注射量を,0.01㎎減らすという措置を講じることになりました。厳冬期はすでに過ぎ,これからは気温も徐々に高くなってきますので,その点も踏まえての措置だったと考えてください。
この日はほかにふたつの異常が出ていました。ひとつはアルブミンで,3.9g/㎗と,下限値を下回っていました。これは前年の12月 に出て以来の異常です。そのときに詳しく説明したように,僕のアルブミンは平均値より低い値でずっと推移していて,定期的に下限値を下回るという異常が出ます。この日がそれに該当したということです。
もうひとつはP/C比で,これが300と上限の150を大きく上回っていました。
このP/C比というのは,数値が出されることは滅多になく,これが2度目です。2013年6月 の通院のとき,150という数値が出ていて,これは上限値です。それ以外は数値ではなくNORMALと記されているか,そうでなければ判定不可と記入されているかのどちらかでした。これは尿の中のクレアチニンにどの程度のたんぱく質が含まれているのかを示す数値で,このときに高くなった理由というのは分かりません。腎機能に関連する数値と思われますが,主治医からも何も言われませんでした。
松山競輪場 で争われた昨晩の道後温泉杯争覇戦の決勝 。並びは根田‐福田の南関東に阿部,稲毛‐森川の近畿中部,佐々木‐渡辺‐坂本の西国で杉森は単騎。
渡辺がスタートを取って佐々木の前受け。4番手に稲毛,6番手に根田,最後尾に杉森で周回。残り3周のバックの出口から根田が上昇開始。杉森も続きました。ホームに入ると稲毛はすぐに引きました。ホームの出口では根田が佐々木を叩いて先頭に。杉森も4番手に続き,引いた稲毛はこのラインを追わなかったので5番手に佐々木,8番手に稲毛という隊列に。この隊列のまま打鐘を迎え,根田の抑え先行に。バックから佐々木が発進。福田の横まで来ると福田が軽く牽制。これで佐々木は勢いが止まりました。それほど動かずにすんだ福田が直線で踏み込んで優勝。福田マークの阿部が1車身差で2着。阿部マークのレースになった杉森が阿部と佐々木の間から伸びて4分の1車輪差で3着。結果的にラインで上位独占の形になりました。
優勝した神奈川の福田知也選手は7月の玉野のFⅠ以来の優勝。グレードレースは初優勝。この開催は寛仁親王牌に出走しないメンバーでの争い。脇本が出走の予定でしたが欠場となったため,根田がシリーズリーダーのような存在に。決勝メンバーの中では杉森が根田に次ぐ存在でしたがいかんせん単騎なので,根田のラインが有利になるだろうとみていました。稲毛の走行は不思議で,自ら8番手を取りにいったようなもの。もしかしたら佐々木が福田のところに飛びついて,隊列が短くなったところを捲ろうというものだったのかもしれませんが,いずれにしても作戦の失敗でしょう。抑えて徐々にスピードアップしていくのは根田の力が最も生きる展開なので,そういう展開になってしまった時点でほかのラインは苦しくなりました。福田の前回の優勝も根田をマークしてのもので,このふたりは連携実績が豊富です。両者の信頼関係もこのライン構成では大きかったように思います。
1月31日,月曜日。妹を通所施設に送りました。
これは前にいったことがあるかと思いますが,妹が帰宅する際には連絡帳が渡されます。僕と通所施設の間,また僕とグループホーム の間の連絡は,緊急の事項でない限り,この連絡帳でやり取りされます。妹が帰宅したときは,家にいた間の妹の様子などを記入して,通所施設へ持参し,出迎えた妹の担当者に渡します。ところがこの日は,記入はしたもののその連絡帳自体を持参するのを忘れてしまいました。
僕は通所施設への往復 にはバスを利用しています。上大岡駅でバスを乗り継ぐのですが,持参し忘れたことに気付いたのは上大岡駅で乗り継ぎのバスを待っているときでした。上大岡駅まで来てしまっていましたから,とりあえず妹と通所施設まで行き,妹を担当者に預けた後,また家に戻り,忘れてしまった連絡帳を持参して再び通所施設へ行きました。到着したのが13時前後になりましたが,僕が通所施設の玄関を入ると,施設長のNさんがいましたので,連絡帳と,28日に帰宅したときに送付されていた受給者証 を渡して帰りました。
2月2日,水曜日。2日は総講の日で,この日は行くことができましたのでお寺に行きました。ところがこの日の総講は朝参詣で午前6時半からに変更となっていましたので,僕がお寺に到着したときにはすでに総講は終了していました。僕がお寺に行く主目的は墓参りなのであって,総講に出席することは副次的なものですから,これはこれで僕にとっては大したことではありません。
2月3日,木曜日。家の工事が入りました。この日の工事は午後3時50分まで。あと1回か2回で終了できそうだとのことでした。なお,工事の日程というのは,工事があった日に,次はいつにするかを話し合って決定します。前にもいったように,床下とか屋根裏を工事するとなると,工事をしている間は僕が在宅している必要があります。ですから話し合って決定するといっても,ほとんどは僕の都合です。事前に業者から施工ができない日を伝えられるケースはありましたが,それ以外の僕が指定した日について受け入れてもらえないというケースは1度もありませんでした。
松阪記念の決勝 。並びは皿屋‐浅井‐坂口の三重,三谷‐山田‐の近畿に岡,太田‐大塚の西国で諸橋は単騎。
浅井と山田がスタートを取りにいき,内の浅井が誘導の後ろを確保。皿屋の前受けで4番手に諸橋。5番手に三谷で8番手に太田で周回。残り3周のバックの出口から太田が上昇開始。三谷が大塚の後ろに続きました。ホームの入口で太田が皿屋を叩き,皿屋は引いたので,太田が先頭,3番手に三谷,6番手に皿屋,最後尾に諸橋の一列棒状になり,そのまま打鐘。皿屋は発進する気はあったと思うのですが,三谷が牽制しながら走ったので発進できず。打鐘後のコーナーで浅井が皿屋に接触してしまい落車。太田の抑え先行という形になり,3番手の三谷はバックから発進。マークの山田と前のふたりを捲り切って近畿勢の優勝争い。番手の山田は余裕があったようで,直線で三谷をあっさりと差し切って優勝。三谷が4分の3車身差の2着で近畿のワンツー。その後ろは太田と大塚の間を突いた岡,大塚,大塚の外から伸びた諸橋の3人で接戦。3車身差の3着は外の諸橋。中の大塚が4分の1車輪差の4着で内の岡が8分の1車輪差で5着。
優勝した京都の山田久徳選手は4月の向日町のFⅠ以来の優勝。記念競輪は1月の高松記念 以来の4勝目。松阪記念は初優勝。この開催はS班の選手が準決勝で総崩れ。決勝のメンバーでは浅井,太田,三谷の3人が上位。浅井が皿屋マークのレースでしたので,皿屋次第で結果も変わってくると予想していました。太田はたぶん皿屋が叩き返しに来ると思っていたのではないかと推測しますが,3番手を取った三谷がうまく走ったため,発進できませんでした。このあたりは皿屋はまだ経験が不足していたということでしょう。3番手を取って後ろも牽制した三谷がうまかったというレースで,三谷をマークした山田が有利になったという結果でした。
僕がなぜスピノザの哲学は目的論であるとはいわず,弁証法には目的論の要素が含まれているというのかという理由は理解してもらえたと思います。スピノザの哲学では,現実的に存在する人間について,目標となるべきものはあるにしても,その目標が何らかの意味において目的finisであるということはできません。これに対して弁証法は,現実的に存在する人間にとっての目標が弁証法の過程にあるなら,それは目標であると同時に目的でもあります。というか,目標であるというより目的であるといった方が的確でしょう。
こうした目的論が弁証法に含まれる理由が,スピノザの哲学からみた場合は,弁証法に因果論が貫徹されていないからです。そしてこのことは逆にいえば,スピノザが自然Naturaのうちにあるいは神Deusのうちに因果論を貫徹させたのは,一切の目的論を排除するためであったということです。第一部公理三 は,自然のうちに因果論が貫徹されるということを意味していて,これが公理 Axiomaとして示されるということは,共通概念notiones communesとして知られる事柄であるという意味ですから,それ以上の意図はありません。いい換えればそこにほかに何らかの狙いが含まれているというわけではありません。ただ,この因果論が貫徹されると,目的論は結果的であるとしても完全に排除されるのです。実際にスピノザは第一部の付録 で,自然は何の目的も立てないし,目的原因causa finalisというのは人間の想像物と断定しています。弁証法は最終形態を少なくとも想定することはできるのであって,その最終目的へ向かって運動するのですから,これは明らかに最終形態が目的原因となっているといえるでしょう。したがって実はスピノザは,このようにいうことで弁証法を方法論的に無効であると宣言しているといえるのです。よって,仮にスピノザの哲学に主体subjectumという概念notioが欠如していないとしても,弁証法はスピノザによって無効化されます。目的原因は想像物であるのですから因果論が適用されなければならず,第一部公理三および第一部公理四 により,方法としては演繹法 が適用されなければなりません。
『スピノザ〈触発の思考〉 』に関連する考察はここまでにして,また日記に戻ります。
久留米競輪場 で行われた昨日の熊本記念の決勝 。並びは小松崎‐守沢‐佐々木‐高橋の北日本,深谷‐郡司の南関東,松浦‐村上の西日本で松岡は単騎。
郡司がスタートを取って深谷の前受け。3番手に松岡,4番手に松浦,6番手に小松崎で周回。残り3周のバックから小松崎が上昇開始。深谷はすぐに誘導との車間を開けて引いたので,ホームでは小松崎が前に。高橋を追った松浦が5番手になり,切り替えた松岡が7番手。深谷は8番手になりました。バックに入ると深谷が反撃。小松崎も打鐘から突っ張っていきましたが,ホームの入口で深谷が叩いてかまし先行。7番手になった松浦はバックから発進。郡司はその時点で深谷との車間を開けていて,松浦を牽制。これで松浦は勢いを削がれました。郡司はそのまま深谷を追い,直線で差し切って優勝。松浦マークから郡司にスイッチした村上が深谷と郡司の間から郡司に迫りましたが届かず,半車輪差で2着。逃げ粘った深谷が半車輪差で3着。
優勝した神奈川の郡司浩平選手は共同通信社杯 からの連続優勝。記念競輪は4月の川崎記念 以来になる14勝目。熊本記念は一昨年 も制していて2年ぶりの2勝目。このレースは郡司と松浦が強力。郡司は深谷マークのレースになりましたので,深谷がどういうレースをするかで結果が左右されることになると思っていました。その深谷が前受けからすぐに引いて早めに巻き返すというレースをしたので郡司が有利に。松浦の捲りに対して番手捲りで対抗するのではなく牽制してストップさせましたので,番手選手としての仕事も果たした上での優勝ということになり,深谷とのワンツーにはならなかったものの価値は高かったと思います。このような展開になればこういう結果は大いにあり得るところで,配当がつき過ぎたという感があります。
スピノザの政治論を個物 res singularisの複合の無限連鎖 が形而上学的に支えるということは,スピノザの哲学に個物の複合の無限連鎖という考え方があるので,それに基づく政治論が抽出されるということを意味します。つまり,ヘーゲルGeorg Wilhelm Friedrich Hegelの哲学に弁証法があるためにヘーゲルの政治論が成り立つのと同じ関係が,複合の無限連鎖とスピノザの政治論との間にあると僕は考えているのです。そしてこのためにスピノザの政治論では国家Imperiumが人間にとってあるいは人類にとっての最終形態とはならず,そしてそのゆえに,浅野がいうように,スピノザの政治論では,社会的地平から国家の問題を照射する道が開かれているのです。
三木清に関連する部分の考察はこれだけですが,最後にヘーゲルの弁証法がスピノザの哲学からどのようにみえるかをみておきます。そこには大きく分けてふたつの問題が潜んでいるように思えます。
ひとつは,これは弁証法に特有の問題ではなく,ヘーゲルの弁証法に特有のことですが,この弁証法は観念論的要素が強くなっています。一方,個物の無限連鎖は,すでにいっておいたように,延長の属性Extensionis attributumにも思惟の属性Cogitationis attributumにも適用されるので,観念論的要素はそれより弱くなっています。というか,この考え方は,ある物体corpusと別の物体が結合してより複雑な物体を構成し,その物体がさらに別の物体と結合してより複雑な物体を構成するという形式で容易に理解できますので,どちらかといううと観念論的要素よりも唯物的要素との相性がよくなっています。このことはスピノザが第二部自然学②補助定理七備考 で複合の無限連鎖を説明している事柄から理解することができると思います。
後にマルクスKarl Heinrich Marxは,ヘーゲルの哲学は観念論的であると批判し,スピノザの哲学を援用することによってそれを唯物論的に適用できるように処置しました。スピノザの哲学は平行論というべきで,唯物論といわれるべきではありませんが,唯物論と相性が良いのはヘーゲルよりもスピノザの思想であるのは間違いありませんから,マルクスがヘーゲルが修正しようとしたスピノザを用いてまたヘーゲルの修正をしたことは,僕には理解できないわけではありません。
向日町記念の決勝 。並びは坂井‐成田‐小原の東日本,脇本‐稲川の近畿,清水‐桑原‐筒井‐小倉の中四国。
清水がスタートを取って前受け。5番手に坂井,8番手に脇本で周回。残り3周のホームに入る手前から坂井が小倉との車間を開けて脇本を牽制すると,脇本もホームでは小原との車間を開けて待機。長い一列棒状からバックに入って脇本が発進。打鐘後のホームの入口で清水を叩いてかまし先行。清水が3番手,坂井が7番手となりましたが,脇本のスピードがよかったために縦長の隊列に。バックでは完全に前のふたりが抜け出し,優勝争いは脇本と稲川に絞られました。ただ稲川も意図的だったのかもしれませんが一時的に脇本との車間が少し開いてしまい,直線に入ってまた差は詰めたものの届かずに逃げ切った脇本の優勝。稲川が4分の3車身差の2着で近畿のワンツー。清水の番手から直線で踏み込んだ桑原が4車身差で3着。
優勝した福井の脇本雄太選手は前々回出走の立川のFⅠ以来の優勝。グレードレースは先月のオールスター競輪 以来の優勝。GⅢは6月の燦燦ムーンナイトカップ 以来で通算11勝目。記念競輪は3月の玉野記念 以来で10勝目。向日町記念は昨年 からの連覇で2勝目。このレースは脇本が脚力上位。清水のラインが4人になりましたが,ライン全体があまり強力ではありませんでしたから,脇本が相当の確率で優勝するだろうとみていました。残り2周のホームではかなり後ろに置かれましたが,そこから巻き返してかまし先行に持ち込み,さらにそのまま粘ったのですから,やはり力が抜けていての優勝だったと思います。
スピノザの政治論では国家Imperiumが人間あるいは人類の最終形態ではないということは,別の観点から説明することもできます。
国家の主権あるいは統治権imperiumは,その国家の自然権jus naturaeであるとみなすことができます。ただ,それが国家の自然権として規定されるのは,それが人びとの共通の意志voluntasに基づくからです。それが人びとの共通の意志に基づくから主権あるいは統治権というのは正統化されるのであって,その正統化された統治権による命令を人びとは義務として果たすことになり,それが人びとの自然権として,この場合の人びとというのは人びと全体というより人びとに含まれる一人ひとりの個人ですが,その個人の自然権が拡充されていくのです。いい換えれば,人びとが共通の意志を有するようになるのは,ひとえに諸個人の自然権の拡大,あるいはひとりでいるときにはほとんどないといえるような自然権を多く獲得していくからです。
よってもし国家の統治権が,個人の自然権の獲得あるいは拡大に反する場合は,その国家の統治権は正統性を欠くことになります。なのでこの場合はその国家の人びとは,共通の意志によって正統性を有する別の国家を形成していくことになります。というか,人びとにはそうした権利が与えられているとみなければなりません。こうしたことは一般的には革命といわれるのであって,革命というのが生じ得るということは,人類の歴史が証明しているといっていいでしょう。もちろん革命そのものが正統化されるというわけではありませんが,国家の統治権は個人の自然権に対して正統的なものでなければならないのであって,そうでない場合にこの種の革命が生じるのは,個人のコナトゥスconatusに由来する自然権からして必然といえるのです。
よって,国家の統治権は,人びとの共通の意志の範囲の中でのみ成立する国家の自然権なのであって,それを超越するような自然権ではありません。むしろ統治権は人びとの自然権の獲得あるいは拡大に資するべき権利なのであって,それを制限したり制約したりする権利ではありません。つまりこの統治権は人びとに義務を命令しますが,あらゆる義務を命ずることができるわけではないのです。