1970年のメキシコでのワールドカップ。
あの時は今のように日本での放送はリアルタイムではありませんでした。
しかし、少年樋口はブラジルのペレに憧れていましたので1958年、1962年、1970年と三度目の優勝に悦に入っていたのは間違いありません。
そのブラジルと正反対のプレースタイルをしていた「西ドイツ」(この頃はドイツは東西に分かれていました)で「かっこよすぎる雄姿」を見せつけていたのが「皇帝フランツ・ベッケンバウアー」
試合中に脱臼し「包帯ぐるぐる巻き」での「キリリ」と試合をしていた端正な顔立ち。
そして次の1974年ドイツ大会は彼にとっての地元開催です。
立ちはだかるのは「フライングダッチマン」=「ヨハンクライフ」
華麗で俊敏「かっちょええ」クライフは、ペレなきブラジルのあとを継ぐスターで私も一気に魅了されます。
私が履いていたスパイクはPUMA。
ペレが履いていたからなのですが、クライフも履いていて嬉しかったものです。
ちなみに高校サッカー部のユニフォームは当時のオランダ代表を真似た「オレンジ」
昨日当時の後輩が来店してベッケンバウアーさんの逝去の報からクライフの話になってのは言うまでもありません。
ベッケンバウアーさんには申し訳ありません。
さて、日本では八代亜紀さんの訃報。
この2日ほど頭の中を彼女の「もう一度会いたい」がリフレインしていました。
さて、今日12日はカウンター2席のみの空きになりました。
どうぞ宜しくお願いいたします。
樋口誠