小暮満寿雄 Art Blog

ダジャレbotと間違われますが、本職は赤坂在住の画家です。作品の他お相撲、食やポリティカルな話も多し。右翼ではありません

同じ過ちを何度もおかす人というのは・・・

2010-01-13 16:27:33 | Weblog
同じ過ちを何度もおかす人というのは、遺伝子にプログラムされてる、
なんて説があるそうですが、実は私自身がそれに当てはまる人間です。
一度購入し、不味くて懲りたスポーツ飲料を、もう一度買ってしまったり、
(しかも同じ感想を2回言う)
同じ女性の地雷を2度3度続けて踏んでしまったりと、なかなか懲りないものです。
これらは余程直そうとする意思がないと、進歩がないまま一生が終わってしまう。

フリーランスになった最初の頃は、
待ち合わせ時間や締め切り日を間違えて(論外)、仕事をなくしました。
実害が自分に及ぶと生活に支障をきたすので、さすがに気をつけるようになり、
ここ10年くらいは大きな間違いはなくなりました。

フリーになる前・・・ジーイー企画センター時代は、
色見本帖を制作する仕事をしていましたから、間違いは許されません。
色のパーセンテージを間違えると、赤が黄色や黒になったりするからです。
数千万、時には数億のお金が動くことがあるので、それはたいへん注意しました。
それでも必ず間違えるので、数人でパーセンテージの数値を何度も読み合わせ、
確認につぐ確認。
それで大抵の間違えは避けられましたが、ちょっとした気の緩みから、
2回ほど大きなミスをし、1回につき200万の損害を会社に与えました。
中小企業からすると誤差で済む数字ではありません。

犯罪者というのは、シャレにならない過ちを懲りずにおかす人が多いそうですが、
逆の立場で自分が被害者になった時、
相手の癖やパターンというのは、一種のオリジナリティみたいなもので、
ある意味、芸術の世界に共通するもの。
その人独特のワールドがあり、やられる時の感覚は、よーく覚えているものです。
「ああ、またやられた!」ってね。
こうした行動パターンって、先日お話した噛み方の速度みたいなもので、
なんか脳の深い部分に刻まれていて、どーにもならない気がするのですが・・・

写真は青山ラ・ヴェルデのムール貝。
昨日、クライアントにごちそうになりましたが、調理人が違うのか
年末よりだいぶクオリティが上がってました。
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成人式は遠くなりにけり

2010-01-12 14:29:22 | Weblog
成人式の時に、まだ浪人していた私は
親から「成人式に出ろ」と言われ、頑として出ようとしませんでした。
さんざん説得されて行くことにしたのはいいけど、
会場の前まで行って帰ってきてしまったんだな。
お酒を飲むのも、パーティーの席も好きな方なのに、
なんでそんなことをしたのか、今となっては覚えてません。
場所は確か虎ノ門ホールだったでしょうか。
でも、友だちが会場を前にUターンして帰ろうとする私の姿を見かけ、
遠くから声をかけたと言いますから、きっと迷っていたんでしょう。

美大の浪人は基本的に学科の勉強はしません。
そのかわり毎日予備校で、決められたモチーフでデッサンや油彩を描きます。
成人式に出たくらいでは、受験に影響はありません。
私は高校3年の時は理系クラスを選択していて(出来はわるかった・・・)、
受験の直前になって、美大を受けたいと言い出したので、
その分、美大用の受験が遅れたのか二浪して多摩美に入りました。
実は、その前からずっと絵の道に行きたいと思ってはいたんだけど、
ギリギリまで親に言わなかったんですね。
先日、母から「アンタは美大に行きたいって、いきなり言い出したからね~」
と言われ、逆にびっくりしました。
そーだ、オレ・・・親にキチンと言わなかったんだ、てね。
もう少し早くから準備していたら、大学に早く入れたかもしれませんが、
そのかわり今の大学時代の友人とはつきあってなかったでしょう。

美大に行きたいという私の言葉にびっくりした親爺は、自分の教え子だった、
ジーイー企画センター(デザインメーカー)の伊藤社長に相談したそうです。
そしたら「先生、それは一生息子さんの面倒みるつもりじゃないといけませんよ」
と言われたんだとか。
(いや~、天国のお父さん。ご心配かけてスミマセン!)
それで親爺が何て言ったのか・・・
故伊藤会長から聞いたことなので、今となっては何もわかりません。

それから10年後、私がその会社に入社するとは夢にも思っていませんでしたが、
ジーイーさんで学んだこと(いわゆる商業美術)が、
今飯をいただいてる原点になっています。

写真はわが家では人気のユーハイムのバームクーヘン。
100周年記念だそうで、明日夜10:00からNHKで特集するそうです。

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噛む速度と遺伝子の関係

2010-01-11 08:16:15 | Weblog
昨日のコメントで遺伝子の話が出ましたが、その続きです。
進歩のない同級生どうしの会話でしたが、その中で歯科医になった友人から
「噛む速度は一生変わらない」という話が出ました。
食べるのが早い人、遅い人、食べこぼす人、きれいに食べる人、など
食べ方というのは十人十色ですが、育ちや環境にかかわらず、
食べる行為というのは一生変わらないということが、
最近の歯科学会で言われてるらしいですね。
(もっとも研究として結論が出されて、原因が解明されてるワケではなく、
 歯科医仲間で”何となくこうだろう”と言われてることだそうですが)。

つまり「噛む」という行為は、哺乳動物が持ついちばん原始的な本能で、
おそらくは脳の深い部分に刻まれたプログラムなので、
容易には書き換えることができないことなんだそうです。
そう考えると、”食べる”ことはもちろんですが、男女の間のこととか、
救いがたいバクチ癖とか、盗癖、DV癖とか・・・様々なものが当てはまるかもね。

ところで昨日、実家に立ち寄ったところ、
叔母(父の姉・故人)が渡米していた時の友だちが来ていました。
叔母の夫・・つまり私の叔父ですが、この人は高名な心臓医学のオーソリティーで、
大手医療メーカーの会長をつとめたほどの人物だったのですが(これまた故人)、
困ったことに私生活の素行がよろしくなかった。
ところがそれがハッキリわかったのは、叔母に先立たれてからのこと。
思わぬ人物が叔父の隠し子だったり、
年の離れた相手と再婚したのは良いが、彼女にカラオケでビール瓶で殴られ大けがしたり、
いや晩年はもちろん、亡くなったあとも色んな話がぽろぽろ出てきました。
研究者としては一流でしたけど、一方で”無頼の徒”といった雰囲気のあった人で、
これもやはり遺伝子のなせる技だったのでしょうか。
わが家では、叔父は叔母でもっていた人だった、ということになっています。

写真は根津美術館の庭園にある薬師堂です。
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三つ子の魂百まで

2010-01-10 11:26:44 | Weblog
幼稚園時代からの友人のご母堂が亡くなり、昨日がお通夜でした。
場所は親爺の葬儀と同じ、千駄木の道灌山会館。行かないわけにはいきません。
彼の家は、赤坂の一等地にビルを持つ裕福な家庭で、
オモチャでもマンガでも色々持っていたので、子供たちにとっては絶好のたまり場でした。
彼のお母さまにはさんざんお世話になりました。
お元気とは伺っていましたが、80を過ぎた高齢な方の寿命はわかりません。
体調を崩し入院されていたそうですが、先生から「明日から通常食に戻れますよ」と言われ、
その次の日に亡くなられたそうです。
食事ができずに旅立たれたのは残念ですが、苦しむことはなかったそうです。

小学校と中学が一緒だったので、
お通夜には旧・赤小時代と赤中時代の友だちが顔を合わせました。
30数年ぶりに会った友だちもいましたが、5分足らずで昔に戻りました。
お約束で「変わらないね」と言いあいましたが、小学校の時と同じハズはありません。
若いモンが聞いたら「何言ってんだ、このオヤジたち」と思うに違いない。

道灌山会館をあとにして、「これも彼のお母さまのご縁」だと、西日暮里の駅近くでお清め。
たっぷり2時間、久々に話をしましたが、うーん。
たしかにどいつもこいつも、みんな変わらないぞ・・・。
お・・オレは進歩したつもりだし、大人になったつもりだが、やっぱり全然変わらないのか?
お前は特に変わらないだと? 何をぬかしやがるんだ、コイツは!
どいつもこいつもドッブリ、オヤジやオバさんになったのに、なんなんだ。
この”変わらない”って感覚は・・・?

きっと、それが「三つ子の魂百まで」ということなんでしょう。
人間、死ぬまで中身や性格は変わらないということなんですね。
楽しいやら、安心するやら、バカバカしいやら、何だかわからないお清めでした。

写真は根津美術館の庭園にある「渡唐天神像」。
天神さまとなった菅原道真公が中国に渡ったお姿です。
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「龍馬伝」を見て

2010-01-09 15:13:34 | Weblog
先ほど、再放送見ました。
思ったより・・・というより、すごく面白かった。
最新の機器による映像もきれい。
演出はインド映画っぽい、かなりベタなものだけど、
その辺りは土佐の雰囲気に合っているかな。

江戸で斬り捨て御免をすると、あとで大変なことになったそうですが、
土佐藩はあんな簡単に下位のものを斬ったのか、少し疑問になりました。
まあ、今でも一部の発展途上国に行くと、あれ以上の理不尽があるそうですから
(酷すぎて、ここでは書けない)不思議はありませんが・・。
西原理恵子の自伝でも、お札にウロコがついていて魚臭かったなんて話がありますが、
土佐という場所は、かなり特殊な磁場のある地なのかもしれません。

また岩崎弥太郎は秀吉以来の最大の成り上がり者と聞きましたが、
まさかあそこまで貧乏だったとは知らなかった。
あの時代のハングリー精神には、ほとほと頭が下ります。
大河ドラマは見たことがほとんどないんですけど、今度の「龍馬伝」は続けて見るかも。
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続・赤坂高齢帝国

2010-01-08 15:19:34 | Weblog
年末30日のことです。
昨年の2月に、このブログで近所メーワクなおばあちゃん・N沢さんの話をしましたが、
最近、別の意味で心配になってきました。
マンションの入り口にある花壇のへりに座ったまま、じーっとしてるのです。
万が一、そのまま行き倒れては後生がわるいので、
「N沢さん、何してんの。そんなとこに、ずっと座ってたら風邪ひくじゃない」
と声をかけましたら、
「下の八百屋でおミカン買ったんだけど、余計にもらい過ぎて、動けなくなっちゃったんだよ」
と言います。
N沢さんが背負っていたリュックを持ってみると、けっこうな重さです。
ううむ。親切であげたミカンでしょうが、年よりに過剰な荷物はいけません。

N沢さんの部屋まで手をひいてあげようとすると、その手の冷たいこと!
そして、私の着ていた真っ赤なTシャツをじっと眺めて言いました。
「その服、赤いのかい?」

目が良くないことは知っていましたが、人の服の色もよくわからないのに、
いつもその辺をウロウロしてるんですね。
で、帰れなくなって工事現場の人や、ホテルの従業員やらに手をひっぱってもらっている。
ウロウロ歩けるくらいだから、足はしっかりしてるんだろうけど、
これは何とかしないといけないと思う。
やはり宇都宮に住む長男に言うべきだろう・・・
というより、今はそちらに帰ってるみたいですけどね。
(長男はN沢さんの状態を知っているはずですが、嫁との仲がわるいようです
 でも、仲がわるいなんて、言ってられないでしょ)。

写真はル・カフェ・ベルトレのフレンチ風チーズバーガー。
昨年は一度も食べなかったハンバーガーですが、久々に美味しかったですわ。
今日、根津美術館へ取材に行った帰りに食べたのですが、
実はここ・・・開館は明日からとのことで入れませんでした。
締め切りが近いのにマズイ・・・。
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司馬遼太郎と靖国神社

2010-01-06 10:13:50 | Weblog
靖国神社に行くと、鳥居をくぐってすぐのところに大村益次郎の銅像があります。
大村益次郎(村田蔵六)といえば、司馬遼太郎の「花神」でご存知の方も多いと思いますが、
幕末から明治にかけ、一塊の村医から兵学者となり、日本を明治維新に導いた一人であります。

その人の銅像がなぜ靖国神社にあるのかといえば、
靖国は大村益次郎によって、戊辰戦争の官軍側の戦没者を祀るために
「東京招魂社」として創建されたのがはじまりだからです。
司馬遼太郎が自作の主人公に、靖国神社を創設した人物を選ぶというのも意外な気がしますが、
このあたりが”司馬史観”に疑問を呈す人が出る所以かもしれません。

つまり「明治の指導者はすばらしく、昭和初期の指導者は狂っていた」という
司馬遼太郎の主張に対し、異を唱える意見ですね。
たしかに明治の指導者は素晴らしく、それによって日本は近代化に成功したわけですが、
はたして昭和初期の指導者がそんなにクレイジーだったかというと、
そんなに簡単に言えないような気もします。
勝てない戦争をはじめてしまったのは100%指導者の責任だけど、
当時の日本が”奴隷になるか、飢え死にするか。さもなくば開戦か”
というところまで追いつめられたわけだしね・・。

はからずも「坂の上の雲」の映像化は、司馬遼太郎が戦争について、
・・・たとえばある種の反戦運動とは違った見方をしていたことを、
浮彫りにさせたような気がします。
極端な言い方をすると、クラウセヴィッツじゃないけど、
司馬さんは「戦争は政治の一手段」と考える冷徹さもあったように思えます。
ただ、先の敗戦があまりにショックだったんだろうな。
「バカな戦争をはじめてしまった」悔恨が原点になっているから、
どうしても先の大戦の全否定が司馬作品の前提になっているように思えます。

父は司馬遼太郎が好きで、その膨大の著作のほとんどを読破していました。
私も30代半ばを過ぎてから、司馬遼太郎の作品は夢中になって読みました。
最近、もういちど司馬作品を読み返し、いろいろ考えてみたいと思っています。

画像は父の功績を埼玉大学の先生がまとめてくれたもの。
個展の時にお持ちいただきました。
いや~、恥ずかしながら初めて知ることばかりでしたが、
わざわざお持ちいただき、ありがとうございました。

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靖国神社と彫師たち

2010-01-04 13:57:11 | Weblog
昨日は火曜会の稽古はじめ・・・といっても柔道の稽古はしませんでした。
海洋大学に集合したあと、掃除と1時間の準備運動。
そのあと電車で靖国神社まで行き参拝し、東京海洋大学の間、約10kmの道のりを
走ったり歩いたりというプランです。
別に靖国神社じゃなくても良かったのですが、
以前、仲間内で靖国参拝をめぐって激論をかわした関係で、
せっかくだから初詣は靖国へ行こうとなったわけです。
火曜会で初詣ははじめて。みんなで靖国もはじめてです。

正月の靖国は右翼もちらほら見かけましたが、大半は物見遊山の人たちであふれてました。
鎌倉在住のメンバーの一人も、奥さんと娘さんたちが別行動で参拝に来ていました。
「鎌倉に住んでいるんだから、わざわざ靖国まで来ることないじゃない」って言いましたら
靖国には来たことないんで、いっぺん見てみたかったんだって。
有名なわり、意外と靖国神社に行ったことない人って多いんですよね~。

行列は思ったほどでもなく、15分ほどで本殿へ。
待ってる間、私たちの前には異様なオーラを出してる7~8人の集団がいました。
見たとこ博徒と漁師を掛け合わせたような感じで、女性は大阪っぽいイケイケ風のコスチューム。
でも、言葉は完全な東京弁です。
ドラゴンボールの魔神ブウに似た、4歳くらいのデブ子供は剃り込みを入れていて、
カタギには見えないけど、だからと言ってヤクザにも見えない・・・。
いったい何をしてる人たちかと思ったら、法被には「彫師」と書かれていました。
ああ、なるほどね。彫る人たちなんだ。
彫師の初詣では靖国なんですね。

その後、靖国から海洋大学までのウォーキングのあと
(時間と根性の関係で新橋から品川まで電車)、
品川の海水湯で一風呂浴びていたら、
ものすごい龍の彫り物をした、細面の若者がいました。
ジムではタトゥーを見るのが大嫌いな私ですが、この龍はなかなか見事な彫り物です。
じっくり見たかったのですが、このお兄さん・・・なぜか私に顔を近づけてきます。
ああ、目が合ったらヤだなと思えば思うほど、視線を寄せてくる。
早々に逃げるように風呂から上がりましたが、あとで考えたら因縁をつけてきた風でもなし。
話かけておけば良かった・・・かな?(そんなハズはないか)。
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石神井公園~蒼穹の昴

2010-01-03 08:09:47 | Weblog
正月二日も毎年恒例、家内の実家に立ち寄りました。
私たちが来るのを楽しみにしてくれてるのでしょう、
義母の立てたスケジュールはけっこう盛りだくさんです。

まず回転寿司屋の銚子丸大泉学園店で義兄一家と食事をし、
すぐに隣接する食品スーパーとホームセンターを併設したスーパーバリューでお買い物。
そのあとは陽の落ちる前までにバカ犬ビンゴに散歩をさせなきゃイカンと、
電光石火で石神井の家に戻ります。
3歳の誕生日を迎えたビンゴはだいぶ落ち着いてきましたが、
相変わらず人に飛びつこうとしたり、
石やウンコを食べようとしたりと、いっこうにお利口になる気配がありません。
姪っ子と縄跳びの練習をすれば、自分も入れろと吠えまくるし、やっぱり世話の焼ける子です。

家に戻ってからも、休む間もなくおせちをいただき、
そのあとは百人一首に興じるというハードスケジュール。
私たちが予定より1時間遅れて行ったため、
目一杯だったスケジュールはさらに分刻みになりました。
自分の親でないから、まさか「ひとつくらい削りましょうよ」とは言えませんしね~。
義兄はさすがに自分の親なんで、言いたいことをポンポン言っていたようで、
駐車場の止め方をめぐって、親子で激しいバトルをしていたようでありました。
私も実家に車があった時は、運転すると母と激しく言い合ったものですが、
親子って遠慮がないせいか、つまらないことでケンカがはじまってしまうみたいです。

この日の夜は浅田次郎原作「蒼穹の昴(そうきゅうのすばる)」の第1回。
10:00pmのオンエアに間に合うよう、楽しみにしていたのですが、
「坂の上の雲」みたいなわけにはいかなかったようです。
いきなり春児と梁文秀が宮中に入ったところからはじまるのもびっくり。
原作の最初の4分の1くらいが丸々すっぽ抜けていて、
全25回の長尺だけど、なんとなく駆け足で演出している感じです。
でも、いちおうおつきあいするつもりではありますが。

写真はホームセンターで購入したテーブルクロスのビニールシート。
テーブルクロスは秋に海南島で入手したパラオです。
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乃木神社「”坂の上の雲”を考える」

2010-01-02 09:54:27 | Weblog
元旦は毎年恒例の実家まいりですが、今年はやや趣向を変えました。
実家でお雑煮とおせちを食べたあと(初詣をして)、
こちらのマンションに母と弟を呼んで、お茶とお菓子を出すのです。

で、昨日は連続で人を呼ぶのに、元旦の朝から玄関のペンキ塗りの続きです。
大晦日に下駄箱をドアと同じ黄色に塗り、色を統一したつもりでしたが、
玄関右端のへりが塗り残したように見えて、気になって仕方ない。
掃除や家の補修って、一ヶ所やると次々にきたない部分が見えてきて、
何だかキリがなくなります。
ペンキのこぼれたあとをアクリルで目立たなくしたり、
はじめるとホントにやることがいくらでも出てきます。
まあ、家の補修なんて一銭にもならない労働ではありますが、
いや~、それはそれとして今年はこんな風にいっぱい働ける年にしたいもんだな~。

約束の時間に少し遅れて、午前10時頃に実家に到着。
おせちのあとのお参りは地主の浄土寺さんと、氏神さまの氷川神社。そして乃木さんの3件。
毎年、なぜかおみくじは氷川神社、お祓いは乃木神社と決めていますが、
昨年が親爺の四十九日が開けない前に初詣に行き、
夫婦そろっておみくじで「凶」を引いてしまいました。
親爺も苦笑いしていたかもしれません。
ちなみに今年、私は「小吉」、妻は「吉」でした。去年に比べれば、まずまずですね。

乃木神社では「”坂の上の雲”を考える」という講演のポスターが張ってありました。
司馬遼太郎は乃木さんの軍事的センスを愚将とまで言って、クソミソに書いてますから、
きっと、そのことに関する反論でしょうね。
母の子供時代、明治天皇に殉死した乃木将軍は軍神として崇められていたそうですが、
時代によってずいぶんと毀誉褒貶は変わるもの。
それにしても軍神から愚将という評価の転落は極端です。
以前、乃木邸を見学したことがありますが、思った通り質素なものでした。
軍事は三流とけなしてる司馬さんも、人格は素晴らしかったと評してますが、
それをしのばせるものでした。
ただ、乃木さんの兵隊は大勢死んでますからね~。
結果的に軍人として失敗したと言われても仕方ないかもしれません。
それに乃木さんの性格からして、「愚将」と罵られてもきっと受け入れるでしょうね。
講演は1月16日の昼間。
残念ながら私は行けませんが、興味のある方は参加してみては如何でしょう。

わが家の玄関とキッチンの改造は母も満足。
機嫌よく帰ってもらうことができました。
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映画アバター~麻布十番の年越し蕎麦

2010-01-01 09:00:46 | Weblog
みなさま、あけましておめでとうございます。
旧年中は私のおしゃべりにおつきあい下さいまして、誠にありがとうございます。
Art Blogと銘打ちながら、関係ない話の方が多いブログですが、
本年もおつきあいいただければ幸いです。

で、昨年の昨日は大晦日の大掃除。
一昨日に来客を呼んで掃除したら、ノリにのってしまい
玄関の下駄箱をドアと同じ色にペンキ塗りをしたり、
キッチンの下を掃除したりと大わらわでした。

掃除のあとは映画「アバター」を見に六本木シネマへ。
あの蛇女みたいなアバターのデザインは、最初からそんなに期待はしてませんでしたが、
最新の3Dがどんなものかを見に行ったわけですね。
感想から言うと、思ったほど無内容な映画ではなかったけど、
見たあとにカタルシスを感じるほどの作品ではなかったかな。
ジェームス・キャメロン監督の「これでもかあ!」と畳みかける演出は健在だったけど、
なんか、最近ハリウッド大作を見ていて感じる空しさが全編を通じてありましたね。

最新の3Dも眼鏡をかけると暗くなって、細かいところがよく見えない。
こちらの目が悪くなってきたせいもあるんだろうけどさ。
(映画とは関係ないけど、ふだん眼鏡をかけない私は、
 ほおっておくとメガネがずり落ちるので、自分のハナの低さを再確認。
 3D眼鏡を手で抑えながら見ておりました)。
映画館は満員でしたが、個人的には見ても見なくても良かったくらい。
「のだめ最終章」を見てもも良かったかとも思いました。

映画のあとは年末恒例の年越し蕎麦。
最初は麻布十番の更級堀井に入りましたが、
満員の客を相手に店員たちの連携がわるく、
しかも指で歯の間にはさまれた何かと取ろうとしてたり、
鼻クソをほじくったりしている店員がいたので
(忙しいんだから働け! ちなみにその店員は女性です)
待つのをやめて麻布永坂・更級本店に行きました。
こちらの方が中もゆったりして、店員さんの対応もおだやか。
天せいろと日本酒をいただき、2009年の〆といたしました。

というわけで、みなさま。
本年も何卒よろしくお願いいたします。
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